第1話-3 初めてのモンスターはドラゴンでした

 いやいや、ゲームバランスがおかしいだろ。初期装備のプレーヤーの前にいきなりドラゴン出すってどうなのよ。


 などと考えてからそう言えばこれ現実だったんだっけと 思い返す。


 そう。ゲームみたいな展開だがこれはゲームじゃないのである。というかどんな素晴らしい解像度のゲーム機だってこんなに迫力あるドラゴンを再現出来ないだろう。もしも出来たとしても、この吹き付ける獣臭や鼻息の音や溢れかえる殺気などは画面やVRでは表現出来ないに違いない。


 ゲームじゃないということはあの咬まれたら痛いじゃ済まなそうな牙にはモノホンの殺傷力があり、つまり咬まれたら死に、たぶん食べられてしまうということである。


 長々とそこまで頭で考えてようやく恐怖が体の奥底から沸き上がってきた。膝が震え出し血の気が音を立てて引くのが分かった。


「に、逃げ…!」


 と言い掛けてドラゴンの目を見てしまう。すると不思議な事に奴が「逃げ出すところを飛びかかって頭から丸かじりにしてやるぜ」とか考えていることが分かってしまった。確かに、猛獣に相対した時に絶対やってはいけないことは背中を見せて逃げることだ、とオタク特有の無駄知識を思い出す。


 となるともう戦うしかない。恐怖に震えながらも辛うじて「伊藤さんを守らなきゃいけない」という事だけは頭にあり、それがギリギリの所で俺をパニックの縁に踏み留まらせていた。俺は涙目になりながらも、彼女に下がっているように言おうと視線を向けた。


 彼女はすごい顔をしていた。


 具体的に言うと、ガンを飛ばしていた。勿論、ドラゴンに。柳眉を吊り上げ目を見開き、瞬きもせずにドラゴンを睨み付けている。あの巨大な怪獣に対して一歩も引かない構えだ。凛とした表情は笑顔とはまた違った美しさで俺は思わず見とれてしまった。


 こ、これが伊藤さんの真の姿か、などとバカなことを考えたが、考えてみれば彼女は剣道部でそもそも俺よりよほど戦闘能力があるのだ。勿論モンスターを相手にしたことがあるわけではなかろうが。


 それでも「彼氏」としては彼女を守らなければいけない。俺は彼女の気迫に勇気をもらいながら自分もドラゴンを睨みつけ、剣を鞘から抜いた。


 黒革の鞘から現れたのは、不思議な色合いの刀身だった。両刃で、西洋剣にしては薄造り。一見ガラスのようにも見える。そして、驚くほど軽かった。


 頼りない、という感じでは無かった。鞘から抜いた瞬間、何とも言えない力を感じた。安心感、信頼感。そういう感覚だった。


 俺が剣を抜くのを見て、伊藤さんも白い鞘から自分の剣を抜いた。俺より遙かに洗練された動作で剣を青眼に構える。


 彼女の剣はやはり刀身も俺の剣と瓜二つだった。しかしながら初期装備の大量生産品というような安っぽさとかお手軽感は皆無である。立ち上るオーラというか妖気というかそういうモノをヒシヒシと感じる。


 抜かれた二本の剣を見てドラゴンが明確に動揺した。うなり声を上げて体中の鱗を逆立てる。首を下げて警戒するような素振りも見せる。さして知能があるようには見えないので本能的な反応なのだろう。ドラゴンの本能に警戒させるような何かがこの剣にはあるのだ。


 上手くすれば剣を恐れて逃げてくれるかも知れないと思ったのだが、そこまでの恐れでは無かったのか、あるいは食欲が勝ったのか、ドラゴンは逡巡を振り払うように頭を振り、それから首を高々と伸ばして咆哮した。


 空気が震えるような大音声だった。俺は反射的に剣を立てて防御姿勢を取った。俺にしては上出来の反応だったというべきだろう。


 気が付いた時には吹っ飛ばされていた。ドラゴンが尻尾を振って俺に叩きつけたのだということが分かったのは後になってからで、兎に角吹っ飛んで木に衝突して転げた。


 目の前で星がチカチカ瞬いていた。息が詰まって声も出せない。少し遅れて背中に激痛。グボっと吐いてしまう。


 痛みにのたうち回る俺にはその事を考える余裕など無かったが、先程大木をも粉砕したテールアタックをまともに食らったにしては俺のダメージは少な過ぎる位少なかった。一撃で腕が折れ首が折れ背骨が三つ折りになって即死してもおかしくなかったのにただ痛いだけで大きな傷を負ってもいない。


「秋川君!」


 血相変えて俺に駆け寄った伊藤さんも俺が大した怪我を負っていないことにすぐ気が付いて安堵したようだった。そして再び瞳に炎を灯しドラゴンを睨みつける。


「よくも!」


 そして剣を両手で持ち上段に構えた。ああ、俺の彼女カッコいいなぁなどと痛みで朦朧とする意識の中で俺は思った。


 剣からゆらりと炎のような陽炎のようなモノが立ち上る。気のせいか剣がわずかに伸びたようにも見える。伊藤さんはぐっと脚に力を込め、大きく息を吸うと、吠えた。


「イヤアァ!」


 彼女の気合いの声にドラゴンが一瞬怯む。その刹那、伊藤さんは目にも留まらぬ速度で踏み込んだ。


「めえぇんん!」


 首をやや上げたドラゴンの頭までは5m以上の高さがあり、普通だったら到底届かない筈だが、伊藤さんは弾丸のように飛翔するとドラゴンの頭まで到達し、 剣を振り下ろした。


 その瞬間。爆発的なエフェクトが発生した。七色の輝きが渦を巻き風を巻き起こしながらドラゴンを包み込み、ドラゴン身体を断末魔の悲鳴ごと押し潰す。何かが凍り付くようなキンキンという高い音がした。光が収束しながら回転してつむじ風が吹き抜けると、もうそこには何も無くなっていた。


 僅かに地面がえぐれているだけ。あの巨大なドラゴンの姿は影も形も無い。俺は勿論、伊藤さんも唖然としている。流石にあんな相手に一撃で勝負がつくとは思っていなかったのだ。しばらく呆然と立ち尽くしていたが、やがてハッと気が付いたように俺の方に駆け寄ってきた。


「秋川君!大丈夫?」


「あ、ああ。大丈夫。痛いだけ」


 まぁ、痛いのは物凄く痛いし打撲ぐらいはありそうだが、骨折や内臓の損傷は無さそうなので空意地を張っておく。テールアタックの瞬間、掲げた剣が光り障壁を発生させたのが見えた。あれが無ければどうなったか分からない。


 俺はやや無理して立ち上がった。伊藤さんが優しく支えてくれる。二人でドラゴンが消えた場所へと近づいた。


 あんなとんでもない生き物が跡形もない。伊藤さんの剣劇の威力は恐るべきものだった。というか、死体も血飛沫も何もないというのはどういうことなのか。


 と、そこに何か落ちているのに気が付いた。更に近づいてみる。


 それは宝石に見えた。雫のような形をした宝石。大きさは片手に収まるくらい。半透明だが、どことなくさっきのドラゴンの鱗を思わせる色をしていた。ややビビりながら手を伸ばす。熱も冷気も感じなかったが、不気味な光が脈動しているようにも見える。えいと決心して手に持つ。


 物凄い力を感じる。俺はあんまり素手で持っている気になれず、さりとて置いて行く気にもなれず、ハンカチで丁寧にくるんだ後、それをブレザーのポケットに入れ、落ちないようにボタンを締めた。


 二人ともまだ抜き身で剣を下げていた。撃ち込む瞬間はオーラを漂わせていた伊藤さんの剣も今は落ち着いているようだ。しかしながら改めて観察すると、僅かながら自ら発光しているようでもあるその刀身は、怪しい迫力に満ちていた。こいつはやばいアイテムだ。初期装備なんてとんでもない。


「…まぁ、異世界転生とか転移とかにはチート能力がつきものだし」


「は?」


 伊藤さんが変な顔をしたが、説明が難しいのでスルー。兎に角、この剣さえあれば(そして伊藤さんの戦闘能力と度胸さえあれば)余程のことが無い限りモンスターにやられる心配はしなくて済みそうだった。俺たちは落していた鞘に剣を収めた。逆に言えばこの剣は俺たちの生命線だ。大事にしなければならない。


「それにしても、伊藤さん、凄かったね。あんなに強いとは思わなかった」


「え、ううん!私別に強く無いよ。必死だったから良く覚えて無いし。それにまずドラゴンに立ち向かったのは秋川君じゃない!格好良かったよ!」


 そうだったかなぁ?俺は苦笑した。正直、何か出来た気がしない。彼女に守られ助けられた気しかしない。やばいなぁ。このままこの世界で戦い続けるのなら、この調子で守られ続けている訳にはいかないだろう。すぐに愛想をつかされてしまいそうだ。


 あれ?気が付くと俺はべったりと腰を下ろしていた。


「?秋川君!」


 身体が傾いて、コントロール出来ずに引っくり返ってしまう。やばい。やはりそれなりのダメージだったようだ。気が抜けたら身体がどんどん言う事を聞かなくなった。身体がしびれて感覚が無くなって行く。急速に意識が遠ざかり、視界が薄れ狭くなる。


「秋川君!」


 伊藤さんが俺の頭を持ち上げて何か柔らかい物に乗せた。真上の至近に彼女の心配そうな麗貌がある。髪が俺の頬をくすぐっている。なんと、男子憧れの膝枕では。俺は興奮したかったのだが、どうにも脱力が止まらない。俺は彼女の暖かな手が額をなでるのを感じながら、意識を失った。


 

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