第1話-2 異世界を歩いてみた

 不思議な事に俺も伊藤さんも、見知らぬ所に何の前触れもなく飛ばされたにしてはパニックを起こすことが無かった。俺の場合は生来鈍い所があるのでそのせいだろう。彼女の場合は単に肝が太いのだろう。彼女のクソ度胸は後々俺にも良く分かってくる事になる。


 二人ともスマホを持っていたのだが、当然に圏外。GPSも勿論圏外。それ以外に持っているものといえば財布とハンカチぐらい。二人でひとしきり現状の確認をやった結果、どうしたってここにいても仕方が無いという結論に達し、俺たちはとりあえず移動を始めた。


 暑いので俺も彼女もブレザーを脱いでネクタイは解き、ワイシャツ姿になった。家の学校の制服は男女ともにブレザーとネクタイだ。ズボンとスカートの違いがあるだけ。今は暑いが今後どうなるかは分からないのでブレザーを捨てるわけにはいかず、小脇に抱えて歩く。剣はどうしようも無かったので手で持ったままだ。


 どうやら熱帯雨林という程ではないが、やや熱帯寄りというような植生らしい。あまり詳しくはないが。密集し過ぎていて森の中に分け入る事は難しい。幸いな事に二人で倒れていたところは木が無く、そこから歩けそうなところを選んでいたらやがて道に出た。


 おお、道だ。道があるという事は人が住んでいるという事だ。舗装はされておらず踏み固めただけの幅2mくらいしかない道だがこれは心強かった。


「どっちに行こうか?」


 後ろを振り向き彼女に尋ねる。伊藤さんは少し不信感を感じさせる口調で答えた。


「なんだか慣れてる感じね?秋川君、もしかしてここに来た事あるんじゃないの?」


 は?俺は驚いて手を振った。


「いやいや、まさか。こんなところ来たこと無いし、慣れてるなんて事無いよ」


「でも、ほとんど迷わずこの道に出たじゃない。道があるのが当然みたいな感じだったよ?」


「いや、そんな事は・・・」


 と返事をしながら俺は気が付いた。ああ、そうか。


「あー、そうかもしれない」


「やっぱり来たことあるのね?」


「いや、そうじゃないよ。良くやってるRPGのゲームみたいな感覚だったんだよ。ゲームだと入れないところは迂回して行けば道に出るから、進入不可能地帯を単に迂回していたらこの道に出ただけ」


「何それ。じゃぁ自信ありげに進んでたけどここに出る確信があった訳じゃないの?勘弁してよ。あなたが迷ったらあたしまで迷うじゃないの!」


 突然怒り出した彼女に俺は焦ったが、彼女もすぐに今更仕方が無いと思ったのか怒るのを止めて、道の左右を見渡した。


「こっちに行きましょう」


「?何か理由が?」


「少し傾斜がある。下って行きましょう。その方が水場に出る確率が高いと思うから」


 水場?そう言われて初めて、俺はずいぶん喉が渇いている事に気が付いた。そしてうかつにもそうなら彼女の方も喉が渇いているだろうということにも気が付いた。なんだか不機嫌なのもその辺りに理由があるのだろう。喉が渇けばお腹も空く訳だ。これは何とかしないといけない。


 とりあえず水場、もしくは食べられそうな木の実を探しながら歩こう。俺はそう思いながら歩き始めた。


 はっきり言って俺の気が利かないレベルは相当なもので、この時俺は彼女の不機嫌さの理由を全く分かっていなかった。それが分かったのはしばらく歩いた後、突然彼女が立ち止まって俺の襟首をむんずと掴んでからだった。


「秋川君、ちょっと待ってて」


「?待てって?」


「ちょっと行ってくるから待ってて」


 心持ち低い声で言う彼女。行くってどこに?俺はいぶかしんだ。まったくもって空気の読めない俺に向けて、彼女は投げつけるようにブレザーを押し付けるとヤケクソ気味に怒鳴った。


「トイレ!」


 そしてガサガサと音を立てながら森の奥へと駆け込んでいった。



 ぶっちゃけ、伊藤さんがお淑やかで虫も殺せないようなお嬢様であったら、異世界の旅路はずいぶんと困難な物になっただろう。


 しかしながら幸いな事に彼女は親に連れられてキャンプやアウトドアに親しんだ経験があり、しかも両親の拘りで自分で釣った魚を捌いて喰うとか水を濾過して飲むとか、かなりハードな経験も積んだらしい。むしろ完全インドア派の俺よりも屋外生活の知識経験は豊富だった。


 俺の方は今でこそインドア派ではあるがそもそも生まれが田舎の町で(小学校6年の終わりに引っ越して来た)あるので、それなりに野山を駆け回って育っていた。


 なので二人ともトイレでないところで用を足すとか、見知らぬ木の実をそのまま齧るとか、一見きれいな川の水を手ですくって飲むとかくらいのことに戸惑ったりはしなかった。


 問題なのはかれこれ一時間は歩いたのに一向に道に終わりが見えないことだった。運動部の彼女は兎も角、インドア派の俺は早くもへばり始めた。


 彼女の方も勿論余裕という感じではない。休憩しようと言うと頷いて、ほとんど倒れ込むように腰を下ろす。


 さっき食べてみて普通においしかったので集めておいた木の実を二人で齧る。飢えないは幸いだし、この暑さなら夜にこのまま横になっても凍死の危険は無かろうが、野宿はぞっとしない。


 大体、俺はそれ以前に一つの懸念を抱いていた。右手で持ったままの剣に視線を向ける。その俺のことを見ながら伊藤 楓がぽつりと呟いた。


「出ないわね」


「?何が?」


「モンスター」


 …思わず目を丸くした俺に向けて彼女はふん、と鼻息を放った。


「私だって少しはゲームするし、こうやって剣を初期装備で渡されるような世界なんでしょう?ここ。なら怪物が出るのは定番じゃない」


 何とも的確な推理である。俺は全く同じ事を考えていたのでちょっと嬉しくなりながら言った。


「そうなんだ。モンスターじゃなくても何か獣でも出るかと思ったけど、出ないなぁと思って」


 時折森の奥で何かの鳴き声は聞こえるので獣は居るのだろうが。


「まぁ、出なきゃ出ないで良いけどね。怪物なら兎も角、盗賊だったりしたら戦いたくないし」


 彼女はそう言って白っぽい鞘に入ったままの剣を持ち上げた。

 

 …それが合図になったわけではあるまいと思うのだが丁度その瞬間、森の中で下草が大きく揺れた。話していた話題が話題ということもあり俺たちは咄嗟に立ち上がった。


 ガサガサいう音がやがてバキバキという音になり、下草だけでなく木々が大きく揺れるようになる。


 俺と彼女はとりあえずその何者かから少し離れる。一目散に逃げなかったのは好奇心があったのと、事態を甘く見ていたからだ。先程からゲームの例えを使ったように、俺たちはどこかこの状況を本気にしていないところがあった。この瞬間までは。


 やがてズシーンと腹に響く足音を立ててそいつが森から現れた。


 見たことも無いくらい大きく見たこともないような形態の見たこともないくらい凶暴そうな生き物だった。それだけでは何の事やら分からないが、この時俺が思ったのは、あるいは考えることが出来たのはそれだけだった。


 身の丈は5m以上あるだろう。簡単に比較対象物をいうなら大型トラックである。幅も長さもあんな感じ。四つん這いで歩いているが、俺の胴体よりも遙かに太い後脚を持っている事から考えて、もしかしたら二足で立ち上がる事もあるのかも知れない。


 ずんぐりとした胴体から思いの外細い首が伸びておりその先に流線型の大きな頭が付いていた。表情が伺い知れない黄色い瞳。大きく割れた口。唇の隙間から不揃いな、大きな尖った歯がはみ出ている。森から完全に姿を現すと奴は長大な尻尾を大きく振って一本の木にぶち当てた。


 木は音を立てて倒れた。尻尾は勿論、全身を不思議な色合いの鱗が覆っている。ぐっとこっちに向き直ると、前足にはご丁寧に巨大な鍵爪を装備しているのが見えた。


 まぁ、なんというか、控えめに見ても怪獣であった。というか…。


「秋川君、あれ」


 伊藤さんは呆れたような口調で言った。


「恐竜よね」


 恐竜。うん、まぁ、そうかも。しかしながらもっと的確な表現があるような気がする。


「恐竜と言うより…」


 そう、あれだ。世界感的に。


「ドラゴンだね」

 



 

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