第11話 到着
深夜零時。終電間際の慌ただしい雑踏を掻き分け、西口の裏道に入る。
ここは新宿の西口と東口を繋ぐ、か細い連絡通路。
昼間ですら怪しげな気配漂うその通路は、十六夜の月烟る夜にあっては、まるでぽっかりと開いた魔界への入り口にも見える。
俺はゆきを連れ、連絡路に足を踏み入れた。切れかけた灯りが明滅する中を一歩ずつ進んでいく。
「ねえ、このトンネル、すごい短かったですよね? なんで東口側の出口、見えないんでしょうか」
ゆきの言う通り、どこまでも続くトンネルの向こうに出口は見えない。それどころか明滅する灯りに合わせ、時折左右に枝道まで見えている。
「お察しの通り、ここが奴らの世界に通じる連絡路だよ。あいつらの
キョロキョロと周りを不安げに見回すゆきに先を促しながら、何本目かの枝道に入る。
「ねえ梶さん、梶さんも彼らの世界がどこにあるか知らなかったんですよね? 座標っていうのを聞いたのはわかりますけど、それでなんで道がわかるんですか?」
しばらく歩いていると、沈黙に耐えられなくなったのか、ゆきがポツリと呟いた。
「…………ゆき、お前料理下手だったよな?」
「それ今、関係あります? こないだ作ってあげた食事の文句ですか?」
「違う、そうじゃない。別に文句じゃない。いや本当だって。ちゃんと全部食ったじゃねえか」
確かに美味くは無かったが、俺より全然マシだ。何しろちゃんと食えるもんには仕上がってるんだ。
大体自分で料理は自信が無いって言ってたじゃねえか。
「それってやっぱり美味しくなかったって事じゃないですか」
「いやほら、前に言ってたよな。妹は料理が凄い上手で、一度食べた食事は大体再現できるって。あれ、どうしてかお前理解できるか?」
「わかったら今頃私だって出来てます。悪かったですね、美味しくなくて。あれでも一応レシピ通りやってるつもりなんです」
完全に話のフリを誤った。違う、そんな事が言いたいんじゃない。というかレシピ見てアレなのか。いや、今これ言ったら殺されるから言わないが。
「すまん、ごめん、俺が悪かった。そうじゃない、お願いだからちょっと最後まで話を聞いてくれ」
俺は平謝りを繰り返した。夜で良かった、こんなとこ人に見られたら恥ずかしくて死んじまう。
「だから、妹さんと一緒なんだよ。さっきの、なんで道がわかるかって話だ。俺は一度聞いた場所には、大体行けるんだよ」
料理の味を頭の中で分解し、その味にたどり着くための素材と調理手順を考えられるから一度食べたものを再現できる。
それと同じように、俺は一度場所を聞けばそこへたどり着くための道順が大体わかる。もちろんトラブルもあったりして必ずその道を進める訳じゃないが、目的地を見失うことは無い。
「もう。梶さんはいっつも説明が足りないんですよ。それじゃ誤解してくれって言ってるのと変わらないですよ。そもそもコミュニケーションというのは――」
必死の謝罪と説明に、漸く納得はしてくれたものの、怒りは収まらないのか、説教は道すがら小一時間ほど続いたのだった。なんか着く前に心が折れそうだ。
✳︎
ゆきの説教が済んでから、さらに一時間ほどが過ぎていた。
周りの景色は既にコンクリートに囲まれたものでは無くなり、石積みの地下道に変わっている。
一定間隔毎の灯火に浮かび上がる通路はまるで
「ゆき、大丈夫か? 少し休むか?」
「いえ、まだ行けますよ。ご心配なく」
言葉の通り、その顔に疲労の色は殆ど見られなかった。
大したもんだ。あとどれだけ歩くか分からないというのは、想像以上に消耗するもんだ。
「……いや、やはり少し休もうか。多分、あと三十分程で向こうの世界に出ると思う。出たらすぐに交渉になるはずだから、万全の状態で臨もう」
「分かりました、そういう事なら。どこか場所探しましょうか」
十分ほど歩いた先にあった広場で小休止しながら、今後の予定を話す。
「正直
「いきなり炎の中とか宇宙空間に出ちゃうとか、まさかそんな事は無いですよね?」
「いきなりの焼死や窒息死は勘弁願いたいね。本来生命体が生きられない世界なんてのは、そう長く存在出来ないもんだが、あいつら妖精や火蜥蜴とか、そもそもの在り方が違うからな。そこは何とも言えん」
俺の言葉に強張った笑みを返すゆき。
「まあ、正直そこまでは無いだろ。元が同じ世界から分岐している以上、そこまで異なるのは考えにくい。物理法則なんかも大体は同じはずだ」
大体そんな環境だったら、この通路に少しは影響が出ているはずだ。それが無い以上、俺達が生存できない世界ってことは無いはずだ。
その後、交渉についての大まかな流れなどを説明してから、俺達は再び歩き出した。
しばらく勾配のある一本道を登っていたが、少し先で道が左に折れ曲がっていた。いよいよ到着だ。
左折した先に、僅かに明るい空間が見える。
星空だ。漸くの到着だ。
驚くことに、そこには俺達の住む新宿東口とほぼ同じ街並みが拡がっていた。
さすがに時刻は深夜二時を周っているので人影は少ないが、行き交うその姿は俺達と同じ人類そのものに見える。間違っても異形の存在が街を練り歩いているような光景は見られない。
「あの、ここって元の場所、とかじゃないですよね?」
「ああ。ちゃんと目的地には着いたはずだ……が、これは俺も想像していなかったな」
呆気に取られる俺達の前に、不意に一人の男が現れた。
「君が梶だな。私はグリクト・レス大尉だ。待っていた、ついて来るがいい。くれぐれも逃げようなどとは考えないことだ。余計な手間は増やしたくない」
軍服、なのだろう。機能美と様式美を上手に融合させた制服に身を包んだ男が目の前にいた。あまり聞いたことの無い名前の響きが、ここが日本では無いことを改めて教えてくれる。
制服では隠しきれない肉の盛り上がりが、この男が只者でないことを教えてくれた。
ふん、やはり俺達が来ることは完全に読まれていたようだな。
「一応言っておくが、俺は争いに来たんじゃない。こちらの身の安全は保証してほしいんだけどね」
「悪いがそんな権限は与えられて無い。そういったことは向こうで交渉するがいい」
そう言うと男はサッサと歩き出した。
「……ちなみに、ここは何て国なんだい?」
「…………」
チラリとこちらを見たが、返事は無かった。まあ仕方ないか。
それから大体二十分後、俺達は都庁の前にいた。いや、正確には俺達の世界で言う都庁の場所だ。
そこに建っていたのは神殿とでも呼ぶべき建物だった。
パルテノン神殿を思わせる、太く雄大な柱が立ち並んだ建造物が幾重にも重なっている。
中心には遥か上層へと一直線に伸びる階段があり、見た目の印象は古代メソポタミアの
それが周囲からライトアップされ、一種独特の荘厳さを醸し出していた。
「ここだ。階段を上がって真っ直ぐ進め」
「あんたは?」
「ここまで連れてくるのが、私の任務だ。さあ、さっさと進むがいい」
全く取り付く島もない男の様子に追い立てられるように、俺達は中央の階段を登り始めた。
「梶さん、なんかこれヤバいですよね」
「ああ。……な? 保険掛けといて良かったろ」
男の姿が小さくなった頃、ゆきがヒソヒソと話しかけてきた。
それほど不安がって無いあたり、ほんと肝が座ってるな。
「とりあえず打てる手は打ったんだ。まあ殺されることは無いと信じようぜ」
だが、そんな事を話せていたのも最初だけだった。
上までが、とにかく長い。いやエレベータくらい付けてくれよ。ほんとに。
ビルで言う三十階ほどは登ったんじゃないだろうか。下手したらもっとかもしれない。
息も絶え絶えになり、一歩一歩足を引き摺るようにして、ようやく頂上に辿り着いた。
そこはちょっとした庭園になっており、豊富な緑と水のせせらぐ音が聞こえてくる。
昼間であればさぞかし美しい光景だったに違いない。
だが深夜である今は、正面の建物への導かれるように灯っている炎に照らされている部分が辛うじて見えるだけだ。
現実離れした雰囲気が、ここがある種の結界の中であることを教えてくれた。
正面の聖堂とも呼べる雰囲気の建物の扉は開いており、その先の真っ暗な穴のように見える通路は俺達の運命を暗示してるかのようにも見えた。
……これ、今からやっぱ帰るって言っても無理だよなあ。
なんでギャラ貰ってる訳でもないのにこんな事しなきゃならないんだか。割に合わなすぎる。
ってか、ゆきのやつ、なんでやる気になってんだよ。ゴールデン街『零番街』の百倍ヤバい雰囲気だろうが。
ええい、ままよ。
俺は観念して、扉の中へと歩を進めた。
そして身体が闇に包まれたのを自覚したその瞬間、俺の意識も闇に飲まれていった。
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