第10話 準備

 俺の青褪めた顔にゆきが気がついた。


「ど、どうしたの? 急にそんな怖い顔して」


「俺はとんでもない勘違いをしていたかもしれない」

 二人の視線が俺に集中した。


「今回の事件、始まりは二十五年ほど前だった。事件の規模からして単独犯ではなく複数、おそらく何らかの組織の仕業だと思われる。彼らは自らの栄養源たる感情を手軽に手に入れるために人々を誘拐し、もしかしたら養殖まで考えている節がある」


「概ね間違ってはいないと思うがの。どこに問題があった?」


「その前に教えてくれ、爺さん。さっき精霊は契約で縛っているから情報を漏らさないって言ったよな? ということは契約していない精神生命体カテゴリMの場合はどうなるんだ?」


「そりゃ奴らはすぐ情報の共有を行う……なるほど」


 漸く気がついた爺さんがゴクリと唾を呑んだ。


「そういうことだ。奴らは俺たちと違い、個人で完結していない。何らかの契約で縛ったりしているのでなければ、その行動は


「敵は精神生命体カテゴリBという種そのもの……!?」


 ゆきの言葉に俺達は揃って頷いた。

 つい自分達の基準で事件を捉えていた。これまでいくらでも気がつく機会はあったのに。


 犯人を捕まえて奴等の司法機関(と言うものがあるのかは知らないが)に突き出せば済むかと思っていたが、事はそんなに甘くなかった。

 種族全体がグルなのであれば、話は全く変わってくる。


 この場合、相手の悪事を非難し、否定できるかどうかは純粋に力の問題に変わってくる。国力と言っても良いだろう。

 そして混乱する世界の中で、いち早く他の世界への侵攻を果たした彼らの影響力は大きい。


 この世界、力無き者が訴えても無視されるか握り潰されるだけだ。下手したらその命だって失いかねない。

 交渉のテーブルに着くためにすら、一定の力が必要だ。


「いや、もちろんこれは最悪の場合だ。実際はもう少し調べないとな。ゆきは……帰れって言っても聞かないよな、しゃあねえか」

 脅したくらいで引くような女じゃないことは、これまでの付き合いでとっくに分かっている。説得なんて無駄な時間を取る気はない。

 当然のように頷くゆきの瞳は、説明するまでも無いほどの決意の光に満ちていた。


 さて、どうすっかな。


 ✳︎


 三日後。俺は西新宿を訪れていた。

 迷宮化は新宿駅を中心に放射状に広がっているが、その範囲は一様ではない。概ね半径1〜2キロがその影響範囲だが、駅の路線がある部分はそれ以上に迷宮に侵蝕されている。

 大体東西は新宿御苑から西新宿五丁目あたり、南北は北参道から大久保にかけてと思っておけばそれほど間違ってはいないだろう。

 だが例外的に迷宮化が進んでいる場所もいくつか存在する。ここ新宿中央公園もその一つだ。

 その西の端に存在する神社は、新宿駅から離れているにも関わらず、実は特異点と呼べるほどの歪みを内包している。ここ・・にいる者の存在値が大きすぎるのだ。

 

 俺は12時ちょうどに、鳥居の端をお辞儀をしながら潜り抜けた。

 視界の隅に見える鳥居の柱を通り抜けた瞬間、二つ目の鳥居の柱が見えた。そのまま歩いていくと、三つ目、四つめと鳥居は増えていく。頭を上げていないのでわからないが、もし第三者が見ているなら京都の伏見稲荷と見紛うような光景が広がっていることだろう。

 そうして、どれだけの鳥居を潜ったのだろう、気がつくと俺はこじんまりとした境内に立っていた。

 眼の前には果たしていつの時代に建てられたのかもわからない、古びた社が建っていた。


 古いながらも手入れの行き届いている社に参拝していると、背後に気配を感じた。

 どこからか来たわけじゃない、唐突に生じたその気配に驚き振り返ると、そこにいたのは一人の巫女だった。

 足元まで伸びた艷やかな黒髪と白衣のコントラストが眩しいほどに似合っている。


「おや、驚かしてしまったようですまないね。ほら、ここって滅多に人がこないだろ。ちょっとビックリしちゃったのさ」

 おいおい、随分気さくな巫女さんだな。だがここの主の力を考えるとこっちも気軽に話そうって気にはなれない。


「突然訪ねて申し訳ありません。主上様はおりますか?」


「んー、いるっちゃいるし、いないっちゃいないかなあ」


「……ってどっちだよっ」

 前言撤回。思わず突っ込んじまった。


「残念だけど、主上は誰とも会わないんだよね。だからいてもいなくても変わらないの。わかる?」

 じっとこっちを見られて気がついた。この姉さん、顔はニコニコと笑っているが目が全く笑ってないでやんの。

 あー、こりゃやっぱり無理だったか。


「そこをなんとか、お願いできないでしょうか。主上の力が必要な事件が起こっているんです」


「そんなこと言われても、無理なもんは無理。主上が誰かに肩入れすることなんて天地開闢以来、一度としてないからね。だからお話することも無いって訳。悪いけど帰ってもらえるかな」


「……迷宮条約が破られています。世界全体の危機なんです。そこを曲げて、何とか助けてもらう訳にはいかないでしょうか」


「なんとかしてあげたいのは山々なんだけどねー。ごめんね?」

 事情を説明し、何度か食い下がってみたが、やはり返事は変わらなかった。

 だが俺が諦めて帰ろうとした時。


「あ、力は貸してあげられないんだけどさ。ここってほら、腐っても神域だから。外から覗き見たり、話を伺うとかは絶対に出来ないんだよね。ここで起きたことは、だーれも知らないんだよね」


 背後からそう告げられた。

 ふん、なるほどね。これが譲歩できる限界ってことか。

 それだけでも全然違う。来た甲斐があるってもんだ。

 俺は巫女さんに一礼すると、その場を後にした。


 その後、何軒か心当たりを周り、「向こう側」の事務所に戻って来たのは、既に夜も更けた頃だった。

 灯りがついているって事は、ゆきのやつ、まだ残っているのか。

 先日もう一つの事務所の存在を教えてから、あいつずっと事務所に泊まり込んで調べ物をしてやがる。

 新宿迷宮が公開されている分、情報の量が桁違いとはいえ、あいつの身体が先に参るんじゃないかと心配しているんだが、聞きやしない。どうせまだ仕事しているに違いない。


 扉を開けると、はいビンゴ。案の定パソコンに向かうゆきの後ろ姿が見えた。


「おい、いい加減帰って休め、向こうまで送ってやるから。お前が先に参っちまうぞ」


「いえ、大丈夫です。ちゃんと生活できる準備はしてありますから。それより何とかなりました?」

 確かにゆきの足元にはでっかいスーツケースが用意されていた。

 こいつ、こっち側に住む気満々じゃねえか。事務所を教えたのは早計だったか。

 あんなに余計な経費を使っていると怒ってたくせに。解せぬ。


「とりあえずできる手は打っておいた。上手く行くかは神頼みだがな」


「ちょっと、それって不安しか無いんですけど。一応私の方はこれまでの事件を調べられるだけ調べておきました。ほぼ確定のものから、可能性レベルの事件まで、一通り網羅しています」


 ドサッと積み上げられたプリントアウトした用紙の束が、ゆきのワーカホリックぶりを表している。

 パラパラと見たが、確かによく纏まっている。

 さすがジャーナリスト、情報の調査と分析はお手の物って訳か。


「この短時間でよくここまで纏めたな、助かるよ」


「まあこれくらいは軽いもんです。決戦は明日でいいんですよね?」


「ああ、向こうの本丸に乗り込む。ちゃんとお前も連れてくから、今日は帰ろう。な?」


 俺の言葉に、ゆきが満面の笑みで頷いた。

 ここまで来たら後には引けない。なんとか上手いこと事件を解決しないとな。

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