第9話 魔術

「魔術って……また随分とファンタジーな。ほんと何でもありですね」


「そりゃ世界が意思の数だけある以上、人が想像し得る可能性の殆どは実在し得ると思った方がいい。まあとんでもないブランチはすぐ枯死するけどな」


 流石に受け入れ難かったのか、ゆきの表情が強張っている。

 まあそれが正常な反応だよな。


「それにファンタジーというが、魔術はれっきとしたどの世界にも存在する力だよ。ゆきだって絵本や昔話で見たことあるんじゃないのか?」


「いや、ええっと。まあ、お話の中には出てきますね」


 うん、まあ納得しないわな。爺さんの前だからあからさまな否定はしないだろうが、受け入れがたいのはわかっている。


 「まあ言葉で言っても信じられないよな。爺さん、ちょっといいか」


 俺は世界ムンドゥスに場所を変えるように頼み、散らかった部屋から応接室に移動させてもらった。

 この部屋も雑多なものが多いが、さっきの部屋ほどじゃない。話や実演をしてもらうにはちょうどいいだろう」

 老執事が入れてくれた紅茶の香りを楽しみながら、改めて説明を続けた。


「そもそもゆき、ぶっちゃけ魔術って何だと思う?」


「ええっと。……奇術や化学を使ったテクニックとか、集団心理とか思い込み、なんて一般的には言われてますね」

 爺さんに遠慮しながらおずおずと話すゆき。大丈夫だって、あいつはこの程度で怒りゃしない。


「それは実際に魔術が出来ないから“本当はこうだったんじゃないか?”という解釈で生まれた話だろ? それらも間違いじゃないが、魔術は本当に存在する。ただ現代いまは魔力が薄すぎて殆ど効果が実感できないだけなんだよ」


「はあ。まあ、そういうもんなんですね。わかりました」

 駄目だ、この表情は全く信用してないな。どうしたもんかと思っていると、爺さんが口を開いた。


「嬢ちゃん、無数に存在する世界が意思の力で分岐しているということくらいはわかっておるのだろ? それはつまり、意思が何らかの形で世界に影響を与えている事に他ならん。この意思と世界の間を介在している物質が魔力じゃよ。天文学なんかでもほれ、暗黒物質ダークマターなんて名前で見つかっていたと思うがの」


 やるな爺さん、教えるのもなかなか上手いじゃないか。というか魔力ってそういうもんなのか。勉強になったわ。


「このあたりの周辺世界は魔力が薄い方向に枝が伸びておるから、魔術は使いにくい。それは同時に身体の大半が魔力で構成されている精神生命体カテゴリMも生存しにくいという事になる」


 話しながら爺さんは手元に一枚の紙を引き寄せた。表面には複雑な図形や文字が描かれている。魔法陣ってやつだな。

 その上に爺さんが手を翳し、どこの国の言葉ともしれぬ呪文を唱えはじめる。いつ終えるともしれぬ呪文が続いていく中、突如魔法陣が舞い上がり、粉々に刻まれていった。

 不思議なことに魔法陣の紙片は舞い散ることなく、それどころか凝縮して、何やら蝶のような生き物の姿に変わっていった。


「これが召喚魔術。精霊を呼び出した。風精シルフという名を聞いたことが無いかね?」


「え、えっ。嘘、動いてる? 生きてるの、これ? ただの風ですよね?」

 ゆきが驚きのあまり手を伸ばしたが、思った以上に風の勢いが強かったのか、慌てて引っ込めた。


「ああ、もちろん生きておる。精霊は精神生命体カテゴリMの一種じゃからの。彼らがこの世界で形を取るためには、自身に似た性質の何かを媒介にする必要があるんじゃ」

 そう言いながら、老人は机の下から扇風機を取り出した。


「また、こちらでのエネルギーを与えてやれば、彼らはその存在の格が上がっていく。ほれこんな風にの」

 扇風機のスイッチを入れ、風を吹き付けていくと、不思議な現象が起きた。まるで空中に浮かぶ蝶のようだった姿が、風を吸い込むことでどんどん大きくなっていき、まるで人、いや背中に翼があるから妖精というべき姿に変わっていったのだ。


 果たして肉眼でもその姿がわかるほどになった頃、それまで風の音かと思っていたものが、どうやら妖精の声だったと気がついた。最も何を言っているかは理解できないのだが、爺さんに何か話しかけているらしい。


「爺さん、なんて言ってるんだ、こいつは」


「ふむ。数百年ぶりにこちらの世界に呼び出されて少々気が立っておるな。ちょっと待っておれ」

 さすが腐っても魔術師、言葉は理解できているらしい。似たような風鳴りに似た言葉で何やら意思疎通を図り始めたので、とりあえず黙って見ておく。

 ゆきも言葉を挟むことなく、二人(でいいのか?)のやり取りを見守っていた。


 時折笑いあったりしているが何言ってるのかわからないので、全然面白くない。

 少々じれったさを感じた頃、爺さんが俺の持っていた御守りを指差した。どうやら本題に入ったらしい。


 するとゆきがそっとこちらに近づき、話しかけてきた。

「ねえ、精神生命体カテゴリMって、今回の犯人かもしれないんですよね? この精霊さんが裏切ってない保証は無いと思うんですが、大丈夫なんですか?」


「……正直わからん。こいつらは個々の意識もあるが、それぞれ全体で一個の生命体のような振る舞いをすることもある。俺達とは生き物としてのあり方が違うんだ。まあ爺さんのすることだから間違いは無いと信じたいが」


 俺達が話している間にもやり取りは進み、どうやら終わりを迎えたらしい。

 精霊は現れた時の同じように、唐突にその姿を消していた。元の世界へと帰ったのかね。


「終わったぞい。まあ、概ね上手くいったと言っておこうか」

 肩が凝ったのか、首をポキポキと鳴らしながら、爺さんがこちらに向き直った。なんか、干からびていて本当に折れそうなので心臓に悪いんだが。これ、大丈夫だよな? ゆきも同じことを思ったのか、表情が引きつっていた。


「なんだ、随分含みを持たせるじゃないか。どうなったんだ?」


「まず、子供達のいる世界の座標はわかった。お主なら世界に辿り着いて取り返せるかもしれん」


「ふん、なんか他に問題があるような口ぶりだな。まさか俺達の事があいつらにバレたとかじゃないよな」

 俺の問いかけに爺さんは即座に否定した。


「まさか。確かに精神生命体カテゴリMは、個々の情報を全体で共有するが、それは制限のかかっていない情報に限る。あやつは契約に縛られているから、ここで見聞きした情報を漏らすことはできんよ」


「じゃあ何が問題なんだ?」


「…………わからん」

 たっぷりと間を開けると、爺さんはポツリと呟いた。


「ただ、気に食わんのじゃよ」


 確かに状況は精神生命体あいつらの犯行だと語っている。やつらの技術で作られた御守りもあって、動機だってある。子供達が分岐した世界の座標だって判明した。全ては何の問題もなく解決に向かっている。


「正直、上手く行き過ぎているとは思わんか?」


 爺さんの言葉に、今度は俺が口ごもる番だった。

 確かに、トントン拍子に話が進んでいるのは間違い無い。

 精神生命体カテゴリMが主犯なのは明らかだし、これを公表すれば世界を跨いだ大問題になるだろう。

 犯人の引き渡しを求めるどころか、精神生命体カテゴリMという種族全体に対するペナルティが求められる可能性だってある。


 俺はそこまで話を大きくするつもりは無いが、今後の犯罪を防ぐためには何らかの交渉をする必要があるかもしれない。


 そこまで考えたところで、爺さんの懸念がどこにあったのか気がついた。

 やばい。これは確かにまずい。


 迂闊に動くと、とんでもないことになる。

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