第8話 推理

 翌々日、俺達は「向こう側」のゴールデン街を訪れていた。靖国通りからゴールデン街に向かう小道は、13時きっかりに男性が女性を背負いながら歩いた場合に限り、途中の公衆トイレがあるはずの場所から右折して『零番街』に入ることができる。

 他の路地と雰囲気こそ似ているが、この通りには飲み屋は一軒も入っていない。

 しかも殆どの建物が増改築を繰り返し、4階以上の高さになっているせいだろう、昼日中にも関わらずなお薄暗く、路地全体がいっそ妖気とも呼べるような気配に満ちあふれていた。


「ちょっともういいでしょ、下ろしてください! で、何なんですかここ? 絶対どこも入りたくない雰囲気、ですね。……私も行かなきゃダメですか?」


 いつものごとく騒ぎながら降りたゆきだったが、流石にここ・・特有の気配は敏感に感じ取ったらしい。

 珍しく気が進まないようだが、今回はゆきがいなけりゃ始まらない。


 そのために昨日わざわざ西新宿まで行って姉妹の感動の再会をセッティングしたのだ。

 ここでゆきに帰られたら掛けた手間がパーになる。実は手こずる事を想定した再会が、気持ち悪いくらいスムーズに進んだおかげで大したことはしちゃいないんだが。

 それでも、手間は手間だ。ここで帰す訳にはいかない。


 まあ余程鈍い奴でもなければ、間違ってこの路地に入ってきても引き返したくなるのは仕方がない。ここは、そういう場所なのだから。

 だが目的地はこの先だ。今更帰る訳にはいかない。俺は渋る彼女の背中を押しながら歩き始めた。


 しばらく路地を進み、中程にある一間ほどの間口の小さな店に辿り着いた。途中立ち竦んで動かなくなったゆきを再び背負う羽目になったが、一体何があったんだか。

 途中の店の曇硝子の隙間から中を伺っていたようだったが、さて、何を見たんだろうな。

 俺? もちろん見る訳がない。世の中知らなくて良いことだって沢山ある。


 店には小さな看板がついているが、既にペンキが剥げ落ち、なんと書いてあったのか判読できなくなっている。外からではどういった店なのか全く判別ができない。

 古びたドアに取り付けられた、今にも壊れそうな朽ちかけたノッカーを鳴らす。

 暫く間を置いて中から出てきたのは、まるでこの街には似つかわしくない、古風な格好をした年配の執事だった。


「おや、梶様。今日も御出でですか。どうぞ中へ」


 そこは表からは想像も出来ないほど広い空間だった。明らかに空間が歪んでいるとしか思えない。

 古色蒼然とした雰囲気を漂わせるその部屋は、ちょっとした邸宅のロビーを思わせるほどの面積があった。

 惜しむらくは物の多さで、広大な空間のほとんどが雑多な物で埋め尽くされている。

 見る人によっては驚異の部屋ヴンダーカンマーといえば分かりやすいだろうか。

 部屋の四面の壁全てが棚に覆われ、見たこともない機械や絵画、骨董などで埋め尽くされている。天井からは骨格標本や剥製などが所狭しと吊るされ、昭明の灯りで妙なコントラストを浮かべていた。

 部屋の中央には巨大な机が置かれ、その上も様々な物や書籍で溢れかえっていた。その前にはこちらに背を向けた人物の姿が伺える。


世界ムンドゥス、そろそろ見つかったんじゃないか?」


 俺の声に応えるようにこちらを振り返ったのは、まるで子供のような背丈の老人だった。

 その肌は水気を失い、まるで即身仏のようにも見えたが、その瞳は確かな生気を宿していた。

 老人はその姿には似つかわしくない機敏さで、懐から取り出した何かをこちらに放り投げた。


「誰に物を言っておる? とっくに手に入っているに決まってる。ほれ、それが『御守り』じゃよ」


 果たして俺の手の中にあったのは、チェーンで繋がれた卵型のガラス玉だった。こいつが今回の事件を引き起こした小道具って訳か。


「流石だな、早かったじゃないか。これでなんとかなりそうだな」

 そのまま話を続けようとしたところ、ゆきが俺のジャケットの裾を後ろから引っ張ってきた。

 わかってる。今タイミングみて紹介しようとしてたんだよ。


「あー、こい……彼女は木嶋ゆき。今回の保険きりふだだ。で、あの爺さんが世界ムンドゥス。今回は彼に全面的に協力してもらっている」


「あの、はじめまして。木嶋ゆきです。色々ありがとうございます」


「ふん。こっちにも益がある事じゃからの。気にしなくて良いわい。それより嬢ちゃん、色々聞かせてもらったぞ。あんたも物好きじゃの」


 カラカラと笑う老人の言葉に、ゆきが余所行きの笑顔を浮かべ対応しながら、こちらをチラリと見た。

 いや、変なことは伝えてねーよ。


「で、経路パスは繋がったのか?」


「もちろんだとも。しかし他の奴らなら厳しかったかものう。人の転送に失敗した御守りは、一定時間が経過すると自壊するようになっておった。奴らも慎重だの。あと少し遅かったらただの石ころになっとったわ」


「ゆき、お手柄じゃないか。徹夜したんだろ? 助かったよ」

 って、なんて顔でこっち見てんだ。俺だって偶には褒める時くらいある。


「……もうっ。で、そろそろ説明してくれるんですよね?」


「ああ。ゆきも犯人はもう分かってるだろ?」


「これ、普通に考えたら犯人は精神生命体カテゴリMしか有り得ないですよね?」


 俺は頷いた。ゆきの言う通りだ。

 世の中は推理小説ミステリほど複雑じゃない。

 人類カテゴリCと敵対していて、強い感情を好む奴らなんて、他に早々いるわけが無い。しかも事態に気付いてる者が長年いないとくれば、これが奴等を嵌める為の罠という線も無い。まず間違いないだろう。それにこの御守りには、奴等の世界への経路パスが残っている。言い逃れは出来ない。

 もっとも、これが全ての答えとも限らないけどな。


「奴等にとっては、法よりも食欲が大切みたいだな。そして密猟よりも養殖の方が効率が良いと気がついたんだろうよ。御守りって釣り糸を垂らしておけば、勝手に生簀の中に餌が入ってきてくれるんだから、笑いが止まらないだろうよ」


「成る程。確かに蟹とかの密猟とかも無くなりませんよね」

 俺の言葉に合点がいったのか、ゆきが変な喩えを出してきた。こいつ、意外と食い意地張ってんのな。怒られそうだから言わないけどな。


「一つ疑問なのは、何故子供達の願いが叶うことで違う世界に飛ぶんですか? 最近の漫画やアニメの主人公ならまだしも、実際には皆が皆、異世界で好き勝手に暮らしたいなんて夢を持っている訳じゃ無いと思うんですけど」


「……最近の漫画やアニメはそういうもんなのか?」


 へえ。こいつもそういうの観るのか。

 ちらりとゆきの顔を見る。

 俺の言いたい事が分かったのか、カーッと顔を赤らめ、しどろもどろに言い訳を始めた。


「私だって、多少はそういうの観ますよ! 世の中の傾向を掴むためには色々なジャンルの情報が必要なんです。そもそも漫画やアニメが子供の物というのが偏見であり、今の主要購買層は成人です。さらに別にそればかり観てる訳じゃなく、政治・経済・芸能スポーツから海外のニュースまで大概の情報はチェックしています。こうした情報とSNSなどの話題や様々な研究者や事情通と交流する事で——」


 どうも思った以上に恥ずかしかったらしい。

 ゆきを宥めるのに余計な時間を取られたが、これは俺が悪かった。


「まあ結局子供の夢ってのは、この世界と乖離しちまうんだよ。違う世界に行かなくたって、例えば空を飛びたいなんて願ったとする。当人はそれで幸せに便利に暮らすつもりだろうが、実際にいたら研究所送りだろうな。好きな奴と付き合うなんて願いだって、実際には自分の思い通りに言う事を聞いてくれる存在を想像している。地に足が付いてないから、有るはずの無い世界にならざるを得ないんだ。それは他の意思とは共存できないのさ」


 本来こうした願いは妄想で終わる。ガキ共はそうやって無茶な夢を削られ、大人という型に嵌っていく。だが今回の御守りは、夢を削るのではなく、世界そのものを作り変える。願いを無理矢理叶えてしまう・・・・・・

 結果、彼らは分岐した世界どころか、切り離され乖離した世界で暮らす事になる。本来ならあり得ない、全てが思い通りに進む世界で感情豊かにな。

 世界の構造が壊れかけている、今だからこそできる裏技だな。まあそんな世界が長続きするとは思えんがね。


 そうやってこちらでは一人の失踪者の、はい出来上がりという訳だ。

 しかも現在『迷宮条約』で守られているのは世界に所属している者だけだ。世界から自ら離れたものには適用されない。


 つまり強い感情・・・・という最高の美味を知ったのに、お預けを食らっている精神生命体カテゴリMからしてみたら最高の晩餐ディナー以外の何物でもないだろう。

 考えたら上手い手ではある。そりゃ最高の飯のためなら抜け道の一つや二つ、考える奴がいてもおかしくない。

 そして予想通り、俺の説明に、ゆきが慌てだした。


「それって、まずいじゃないですか! なんとかならないんですか?」


「そのためにここに来たんだ。ここはゴールデン街の黄金の小路。魔術師が集う街だ。そしてこの御老人こそ、世界ムンドゥスの名を冠する、俺が知る限り最高の魔術師だよ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る