第7話 経緯

「え、じゃあ御守りは本物だったという事、ですか?」


 俺の言葉にゆきは目を丸くする。

 流石に本物だとは思っていなかったのだろう。


「でも、なんで別の世界なんですか? たった一人の願いを叶えるためだけに新しい世界を作ったってこと?」


「ま、簡単に言うとそれが一番コストがかからないんだよ」


 俺は近くにあった紙とペンを取り出すと、一本の線を引いた。


「世界ってのは、一本の木に例えられるんだ」


 一本の線に途中から幾つかの分岐を書き足し、まるで樹木のような形に仕上げていく。


「過去から未来へと続く時の流れの中で、世界は意志の力で分岐をしていくんだ。それは強い想いを抱いた者の数だけ分岐し、枝葉を伸ばす樹木のようになる」


「意志、なんですか? 量子論なんかで語られる平行世界は、可能性の数だけあるという説を聞いた事ありますけど」


 俺の話にゆきが異議を唱える。まあこれくらいは知っているか。


「ああ、間違ってないな。だが作られた可能性を世界たらしめ、存続させるのはそれを望む者の想いなんだよ」


 例えば、ある時右に曲がった自分と左に曲がった自分がいる世界に分岐したとする。確かにその時点で世界は二つに分かれるが、そんなものは世界の流れに大きな影響を与えることなく、元の一つの世界に収斂してしまう。


 世界がはっきりと分かれるのは、そこに意志が介在した場合だ。

 一人の少年がサッカー選手を志した瞬間、世界は分岐する。上手くいくかいかないか、また幾つかの分岐で枝分かれしていく。そして大きな違いが無かった世界は、結局元の世界と一つになってしまう。


 だが彼の行動が多くの人に支持され、それが皆の意志になった時、世界は二つに枝分かれしていく。それは分かれたままかもしれないし、後に一つに戻るかもしれないが、それはその世界に属したもの達次第だ。


 俺は図を描きながらゆきに説明していった。

「収斂……って、それじゃ矛盾しちゃうじゃないですか」


「そうだな。だが問題は起こらないのさ」


「でも、矛盾する記憶や記録が二つあったら、おかしな事になりますよね」


 俺の言葉に首をかしげる。まあそりゃそうだ。


「それがならないのさ、考えてみろよ。例えばケネディ大統領が暗殺されたという証言と生きているという証言、二つあったらどう思う?」


「そりゃ生きているって証言が間違えてるんですよ。もしくは勘違いですね。でも、それとこれとは違いますよね」


「じゃあ生きているって記事だったら?」


「捏造ですね。暗殺されたのは間違いないですから」


「そ、まさにゆきの言う通り。結局そうなるのさ。時の流れの中では、少々の矛盾は吸収されちまう。本当がどうだかわからない事なんて沢山あるだろ? 時には主流になっていた話がガラッと変わってしまう事もある。結局収斂した過去の事なんて、その程度のものなのさ」


 色々と反証を考えていたようだが、軽く肩を竦めると手を挙げた。


「そうね、とりあえずは納得、できたかな」


「ま、余程決定的な出来事でもあれば、収斂は起こらず、未来は決定的に分岐していく。そうして世界は枝分かれしていくんだよ。で、そうやって分けるために必要なのが意志なのさ。なんとなくじゃ元に戻るって事だな」


「うーん、でも不幸な偶然で起きた出来事とかありますよね? これって意志の問題なんですか?」


「ああ、そりゃ他の世界が干渉してるんだよ」


 簡単に言えば、同じ方向かのうせいに向かって生えた世界という枝はぶつかり合い、どちらかしか真っ直ぐ成長できない場合があるのだ。

 うまく分岐していけばよいが、時には一つの世界に戻ってしまうこともある。


 また、別の方向から伸びてきたせかいと一つになるという場合もある。

 世界とは、そうして複雑さを増していく。


 こうした世界の構造全体を知る者達は、これを『世界樹』と呼ぶ。


 そして今の世界樹は、全ての枝を一纏めにしたような状態になっている。言うまでもなく、世界の底が抜けたせいだ。


「ああ、大根とかほうれん草の葉を輪ゴムで止めてる感じですか?」


「間違っちゃいないが、まさか世界を大根に例えるとはね」


 苦笑しながらも、ゆきがちゃんと理解しているようなので俺は本題に入る事にした。


「今回の御守りは、この世界の分岐を促進させる効果を持つ、らしい」


「……なんか話がとんでもない方に行ってません?」


 確かにな。紫堂から齎された情報は驚くべきものだった。


「実は御守りの被害者は、分かっているだけで二百人以上いるらしいんだ」


「……!? もっと前から起こっていた事件だったって言うんですか!」


 思わず身を乗り出すゆきに一つ頷くと、俺は分かっている事実を伝えていった。


 紫堂曰く、始まりは二十五年程前らしい。

 当時、今より世界は混乱しており、食い詰めた者達が大勢いたのだという。


 ✳︎


 電話では話せないという言葉に、久しぶりの再会を果たした紫堂の姿は、記憶の中の姿と比べてずっと小さくなっていた。組織の長としての重圧が彼を少しずつ潰していったのだろうか。だが、彼はその重みに負けなかったのだ。打たれ、研がれ、磨かれた結果、その佇まいは一本の銘刀を思わせる鋭いものとなっていた。やはり二十年という歳月は人を大きく変えるのだろう。


 大して変わらないのはずっと不精に生きている俺くらいのもんかもな。


 ひとしきり再会を喜びあった後、連れてこられたのは新宿でも最高級を誇る中華料理店『鳳圓 別館』の6階にあるプライベートルームだった。……このビル5階建てだと思ったんだがな。


 運ばれてくる料理に舌鼓を打ちながら昔話に花を咲かせていたのだが、いつしか話は本題に移っていった。


「当時はそりゃあ酷い有様でした。私は大兄のお陰で命を拾いましたが、多くの兄弟があの混乱で命を落としました」


 当時こちら側の新宿は全面立入禁止になるだけでなく、戒厳令まで敷かれていた。異世界からの侵略の所為である。

 当時は世界間の侵略を規制するような者もおらず、ただただ歴史上始まって以来の混乱の中で、いち早く立ち直った者達による侵略が繰り返されたのだった。

 鉄の統制がとれている血液生命体カテゴリB、元々横の繋がりがない故に速やかに侵略を開始した情報生命体カテゴリI、そして種全体で混乱を起こす事なく意思疎通を行える精神生命体カテゴリMなどに代表される種は、この時期世界樹の四割を戦火に巻き込んだと言われている。


 そして新宿に現れた侵略者は精神生命体カテゴリM

 他者の感情を主食にする彼らにとって、この世界はまさに宝の山だったのである。未知の生命体を相手とする戦いは、お互いの人権などを認められないが故、非常に凄惨なものとなっていた。


 そうした混乱の中で麻痺する社会システムを支えていたのは、紫堂を始めとする法の縛りよりも己のルールを上位に置く者達だったのである。彼らの尽力もあり、どうにか戦いは五分五分の状態まで持ち直していた。


 そんな戦争も一年も過ぎた頃。

 戦争はお互いの手の内を知る事で膠着状態に陥っていた。

 また、この頃には世界間での条約締結へ向けた動きも現れ、世界は束の間の平穏を取り戻す事に成功していた。


 ちょうどその頃、事件は始まっていた。

 当時、真っ当(とは言い難いが)金融業を営んでいた紫堂の周りで失踪者が出ていたのだ。


「社長、また飛ばれました。この間と同じです。こりゃ何か有りますぜ」


 そんな部下の報告を元に調べたところ、返済の目処が立ったと言った顧客が相次いで失踪したのだと言う。しかしその時は、失踪者は後に見つかっていた。


「全員、所謂脳死状態でした。何しろ共通点がうちの顧客というだけでしたからね。相当睨まれましたよ」


 外的要因が見られず、またアリバイもしっかりした物があったにも関わらず相当厳しい追及が為されたらしい。結局事件性は無しとして混乱の中で有耶無耶になったのだと言う。


「それから数年後、今度は路上生活者の失踪が相次いだんです。彼らもまた、やっとまともに生活出来るという言葉を最後に姿を消しました」


 紫堂が過去の事件とこれを結びつけた切っ掛けは、行方不明者の一人だけが、脳死状態で見つかった所為だった。


「多分、過去の事件と繋げて考えた者は殆どいなかったでしょうね。何しろ皆、身寄りも無く社会との関わりも薄い。もちろん国だって彼らに真剣に向き合っている訳じゃない。たまたま、そう、本当にたまたまですよ。私が気が付いたのは」


 それ以降、紫堂は世間の情報を注意深く仕入れていた。社会が落ち着き、異世界の情報が入ってくるようになってからは、そちらにも耳を傾けた。すると世界中である程度の間隔を置きながら、そうした失踪事件が発生していたのだ。


 世間と隔絶した修道院での全員失踪事件、寒村での集団脳死事件、老人ホームでも失踪事件が起こっていた。


「大兄、『世界からいなくなる者の条件』はご存知ですよね」


「ああ。さすがに気がつくよ。全員他者との関わりが薄い、異世界に迷い込みやすいタイプの人間達だな」


「そうです。最初は世間との関わりが薄い者達の死亡から始まり、徐々に完全な失踪へと変わっていきました。それから少しずつ、世間との関わりが深い者達へと移っているのです」


「そしてついに、他者との関わりの中で行きているガキ共まで異世界へと放り込む事に成功したって訳か。誰の仕業かは分かったのか?」


 俺の質問に紫堂は首を横に振った。


「いえ、まったく掴めていません。ただ、最初の事件とそれ以降の流れから大まかな推測は出来るかと」


「……だな。サンキュー、参考になった。この借りは——」


「大兄、借りがあるのは私の方ですよ。いつでも声を掛けてください。人手が必要なら言ってください。私に少しでも恩を返させてください」


「もう十分返してもらってるよ。また何かあったら連絡する。本当助かった」


 俺は苦笑しながら、片手を挙げてその場を後にした。ドアの外では奴の部下が俺の態度に眉をひそめていたが、さすがに何も言ってくることは無かった。ちょっとホッとしたのは内緒にしておこう。


 ✳︎


「なるほど、大体の経緯はわかりました」

 一通りの経緯を語って聞かせると、ゆきも犯人が推測できたらしい。

 ま、状況から考えたらそんな難しい話じゃない。


 さて、次の手を打ちますかね。

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