第6話 噂話
俺がその噂を耳にしたのは、寝苦しさが限界に達し、真剣にエアコンの導入を検討し始めた初夏の頃だった。温暖化なのか寒冷化なのかは知ったことではないが、年々気候が極端になってきているのは間違いない。なんで毎日のように真夏日なんだよ。梅雨はどこいった、梅雨は。
っと、季節はどうでもいい。噂の話だったな。
なんでも願いを叶えてくれる御守り、そんなものが最近ガキ共の間で流行っているらしい。
「そんなもん放っときゃいいだろ。昔からあったじゃねえか、なんかおまじない言うとか、消しゴムに好きな子の名前書いて使い切るとか」
「意外と詳しいんですね。正直その手の話題には興味も接点も無いと思ってたけど」
相変わらずゆきは容赦の無いツッコミを入れてくる。うちで働くようになって何ヶ月か経つが、言葉のキツさは生来のものだったらしい。心弱いやつなら泣いてるぞ、ほんとに。
「うるせえな、俺だって色々あるんだよ。で、その噂がどうしたんだよ」
「どうも、本物らしいんですよ。気になりませんか?」
「お前は女子高生か。今いくつだと……」
「六月十日十六時過ぎに一件の行方不明事件が発生したのを皮切りに、それから72時間の間に十六名の子供達が失踪しています。行方不明になった子達に共通するのは、その直前に仲の良い友達に御守りで願いが叶ったと話していたんです。どうです、気になりませんか?」
俺の発言に対し食い気味に言葉を続けたゆきは、俺の心をバッサリ断ち切った。
「おま……」
「気になりますよね?」
「…………ああ、気になるな」
オーケー、よくわかった。ガキ共が心配なのは俺だって同じだ。動いてやろうじゃないか。
だからその生ゴミを見るような目だけはやめてくれ。
俺は逃げるように事務所を後にした。もちろん逃げた訳じゃあない。未来ある少年少女の事を思っての行動だ。
ああ、多分そのはずだ。
✳︎
新宿駅東口改札付近。ここは数多ある新宿駅の中でも共通の景観が多く、迷った事に気が付きにくい“難所”でもある。
この付近はただでさえ穴が多いのだ。かつて最大の行方不明者を出した「アルタ前集団失踪事件」は、まだ覚えている者も多いだろう。あれも結局戻ってきたのは三人だけだったと記憶している。
そんな事をつらつらと考えつつ、俺は東口地下通路を通り、書店近くの通路から地上へ出た。
実は元の世界にほど近い、“こちら側”の新宿にも俺の事務所は存在する。
情報規制されている向こう側と違い、こちらでは迷宮の存在は公然の物となっているからだ。当然入ってくる情報も桁違いであり、世界を渡る俺が事務所を構えるのもある意味、必然と言ったところか。
ちなみにゆきにはまだこちらの事務所の存在は言ってない。ただでさえ家計が火の車なところを切り盛りしてくれているのだ。別の家賃の話なんて出来る訳が無い。
俺は人気の無い事務所に入ると、PCの電源を入れた。基本的にこちらとあちらの新宿の違いは、迷宮に関する情報が公開されているかいないかだけだ。だが、それでも細かい情報の差異は存在する。比丘尼などの情報屋なら、そうした並列情報も問題なく処理できるんだろうが、俺には無理だ。それ故こちらからは足が遠のいていたのだが、今回は仕方ない。比丘尼に頼めりゃ楽なんだが、前回の支払いの件で揉めてるからしばらくは難しいだろう。
辿々しい手つきで入界管理局のサイトにアクセスした。
えーとパスワードは何だったか。PCの周りに無数に貼ってある付箋の中から該当するものを見つけて入力する。ここまででもう20分かかっている。間怠っこしいたらありゃしない。
ちなみにこのアカウント、以前とある仕事で手に入れた物だが、意外と重宝している。
ここの入界管理局は迷宮が公開されている世界だけあって、ある程度ではあるが全世界間に跨る情報がきっちり纏まっているのだ。
ようやくデータベースへのアクセスに成功し、異世界渡航者の一覧を表示する。
自力渡航者21032名、異世界召喚者8名、事故による転移者1026名、その他52名。総計22118名。この場合の自力渡航者とは、ほぼ全て黒姫の大回廊や、それに類似した『門』を経由しての渡航だ。いわば正式なルートでの渡航なので、その身元は全て確認されている。今回は外して問題無いだろう。
異世界召喚は、簡単にいえば誘拐みたいなもんだ。『迷宮条約』に調印していない世界が行った蛮行であり、場合によっては戦争になってもおかしく無い。御守りとやらがこの召喚のトリガーと考える事もできるが、人数が少なすぎる。今回のケースには当てはまらなそうだ。
事故はそのものずばり、新宿の迷宮に迷い込んだ者達だ。ここに名前が挙がっている者は全員何処かの世界で保護され、元の世界に戻されている。これも外して問題無い。
問題はその他の52名だ。これには様々な者が含まれる。事故に遭い、見つかっていない者、自力で迷宮を踏破できる実力者等だ。もちろん彼らが自分から名乗り出る筈も無い。これは世界間にある境界面に残された痕跡からの推定値だ。とはいえ境界面に痕跡を残さない移動など俺でも難しい。少なくとも何の力も持たない人間を大量に移動させる力量の持ち主というのは少し考え難い。52名というのは、ほぼ正確な数値と見ていいだろう。
さらにこのうち6名分は俺とゆきの3回の移動だ。つまり46名。この中に子供達がいるのは間違いない。
さあここから先はネットじゃわからない。俺は気を引き締め直して携帯電話を手に取った。
「もしもし? 紫堂さんの番号で合ってるかい?」
「……誰だ?」
短いコールの後に聴こえてきたのは、もはや老境に達しているような枯れた男性の声だった。
「よ、久しぶり。俺だよ。忘れちまったか? あれから二十年は経ってるもんな」
「……!! おおおおっ、忘れるものですかっ。大兄、お久しゅうございます! あれから御恩は一日たりと忘れた事はございませぬ!」
まあ声は忘れてたけどな。俺は大人だから突っ込まないが。電話の向こうからの感謝の言葉を聞き流しつつ、適当に相槌を打つ。
俺の事を大兄と呼んだこの男は紫堂克己。数多の新宿に跨る黒社会組織の一つ『白王会』の三人の首領の一人。かつて俺が命を救い、今の地位に就くきっかけを作ってやった男だ。
こちらの世界では向こうと違い、およそ二十五年前に新宿の底が抜け、世界が大混乱に陥ったのだ。彼が属していた組織はその混乱を乗り越え、複数の世界を跨いだ連合組織となっている。
異世界貿易が齎す利益は膨大であり、この世界での紫堂の組織の力は比類なき物となっていった。
彼は余程恩に感じてくれたのか、それから何かと力になってくれたのだが、彼の組織がどんどん大きくなるにつれ、話もどんどん大事になり、流石に申し訳無くなって頼む事も無くなったって訳だ。
大体超偉くなっちまった爺さんに大兄なんぞと呼ばれても居心地悪くて仕方ない。俺の迂闊な一言で何人がその地位を失いかけたことか。気を使っちまって仕方ない。
まあ嫌いになった訳じゃないし、年賀状のやり取りくらいはしてたがね。
だが今回の件を調べるには裏側の情報に通じた、相当の実力者でないと無理だ。それほど世界間移動は難しく、またその情報は秘匿されている。一介の情報屋なんかが手に入れられる情報では無い。もちろん比丘尼は例外だけどな。
「それで、この度はどういった御用でしょうか。私に出来る事であれば何なりと仰ってください」
「実はちと調べて欲しい事があってな。悪いけど手を貸して貰えないか」
俺は事件の概要を伝え、子供達についての情報が無いかを尋ねた。
「……相変わらず大兄はもの凄い事件に関わっておりますな。ちょうど我々も注目していたのですよ。実はですな——」
そうして紫堂から齎された情報は、驚くべき物だった。
✳︎
俺が事務所に戻ってきたのは、もう深夜といってもいい時間帯だった。鍵を開けようとして施錠されていない事に気がついた。微かな緊張を漂わせながら、そっとドアを開く。
視界に入ってきたのは、机に突っ伏して寝るゆきの姿だった。
「……っ」
思わず言葉に詰まってしまう。こういう所があるから、俺はどうしても彼女に強く当たれなくなっちまう。
「……おい、ゆき。帰ってきたぞ」
声を掛けるが、起きる気配は無い。考えてみれば、子供達についての情報を「こちら側」であれだけ集めていたのだ。相当な時間がかかったはずだ。おそらく最近はほとんど寝ていなかったのだろう。そんな事を気付いてやれなかった自分に腹が立ってくる。
「……あ、おかえりない」
しまった。起こしちまったか。
「ああ、悪いな。遅くなった」
「それで、何か分かったんですか? こんな時間まで飲んでたとかだったら怒りますよ」
彼女は寝ている所を見られたのが恥ずかしのか、強がった態度を取りながらもその頬は微かに赤らんでいた。
「つーか、ほっぺに跡残ってるぞ」
俺の言葉に一気に赤くなり、頬を擦り出す。その反応に思わず笑ってしまうが、涙目でこっちを睨む視線に自重する事にした。
「子供達の行方、分かっ……」
「無事だったんですか!? どこにいるんですか?」
早速喰い気味にまくし立ててくる。なんだ、最近はこういった芸風が流行ってるのか。構わないが、ちと落ち着いたらどうなんだ。
「……元気なのは間違いない。ただ、全員連れ帰るのは、ちと骨が折れそうだな。みんな違う世界にいるんだよ」
「どういうことですか?」
彼女は怪訝な顔をして訊ねてきた。ま、そりゃそうだよな。
「簡単な話さ。皆、自分達の夢が叶った世界で暮らしてるのさ。そりゃもう幸せそうにな」
俺の言葉に絶句するゆき。
ほら、連れて帰るのは難しそうだろう?
さて、どうしたもんだかな。
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