第5話 戴冠

 ただならぬ事態に、慌てて最上階に辿り着くと、そこにはこれ以上は無いくらいに破壊されたフロアが広がっていた。

 調度品は言うに及ばず、扉や壁、さらには周囲の窓ガラスまで、全てが完膚なきまでに破壊されている。というか天井もかろうじて一部分が残るのみだ。


 そんなまるで爆弾で全てを吹き飛ばしたかのようなフロアの中央には、二人の人物が対峙していた。


 俺はその姿を知っている。


 一人は西新宿を統べる最強の血液生命体カテゴリB、黒姫。人間離れした美貌と艶やかな黒髪は、他の者と見間違えるのが難しい。黒鬼革ダークスキンの戦闘礼装に身を包み、振るう獲物は絶佳十傑が一本『烏金揚羽』。

 この俺ですらその名を知る伝説級ランクSSSの装備を纏うその姿は、荒れ果てた室内ですら豪奢な謁見の間と見紛う程の完全な美を体現していた。


 そして対する人物は、写真で見た木嶋香織そのものだった。

 決して華美では無いが微かな品の漂うパンツスーツに、控えめなナチュラルメイク。

 こうして見るとテレビで見たこともあった気がする。


 そんな彼女が黒姫の一撃を、で受け止めていた。いやいや、おかしいだろ。無類の斬れ味を誇る伝説級ランクSSSの一撃だ。少なくとも銘入りランクSの業物クラスじゃないと受ける事も出来ないだろう。


 しかも一合、二合と撃ち合う度に響く重い金属音。彼女はその膂力においても黒姫と渡り合えるだけの力があるという事か。


 木嶋香織が人間だったのは間違いない。仮に黒姫の眷属にされたのなら強靭な力を得る事もあるだろうが、そもそもその場合には戦う事はあり得ない。彼等は上位の者には絶対服従の筈だ。


 そうして見ている間にも二人の戦いは激しさを増していた。もはや視認することも困難な速度に達した剣撃が轟かせるは、雷鳴が如き大音声。果たして百合か二百合、既に数える事さえ困難な撃ち合いは、唐突に終了を迎える事になった。


「そこにいるのは誰だ!?」


 何のことは無い、俺が踏み砕いた瓦礫が、予想以上に大きな音を立てただけだ。

 まあ結果として、神話を再現したかのような戦いを披露した刀と手刀が俺の目の前に突きつけられる事になった訳だが。


「……あー、怪しい者じゃないって言い訳は通じないかね?」


「この世界には、知的生命体は我々以外には存在しない。ここに至る回廊も封鎖している。貴様、何者だ? どうやって此処に来た?」


 誰何しながらも、切先と俺の喉元との距離は縮まってきている。もうキスできる程って言えばわかりやすいだろう。お陰でほら、動悸が止まらない。これ、恋じゃあねえよなあ、やっぱり。


「……俺の名は梶。そこにいる香織さんのお姉さんに頼まれてね、迎えに来たんだよ」


「姉に頼まれただと? だが此処へ至る路は全て……まてよ、梶? ……そうか、貴様『漂泊の民』か!」


「その辺は想像に任せるよ」

 首をすくめる俺に対し、黒姫は言葉を続けた。


「数多ある世界を渡り続ける者がいると聞いたことがある。此岸から彼岸へ、彼方から此方へ。アリアドネの糸を持つが如く、彼の者には暗き海に浮かぶ灯火が見えているのだと」


「それが俺だってのかい? 買い被りにも程がある」


「別に真実は何でもかまわん。侵入者は斬る、其れだけだ」


 黒姫の瞳が真紅に染まる。これって本気を出す時の形態変化じゃねーか。あ、詰んだかね。


「待って」


 そんな事をぼんやり考えていた俺の命を間一髪、救ったのは香織だった。


「姉さんに伝えてください。ごめんなさい、戻れなくなった、と」


「……驚いた。意識も記憶もあるんだな」

 この瞬間、俺は自分の予想が外れていた事を悟った。


「ふふ、別に眷属になった訳でも、転生憑依している訳でもないですから」


 そう言って香織は仄かに微笑んだ。少し哀しげに。

 咄嗟に言葉を続けようとしたが、俺の鳩尾に黒姫のつま先が捻じ込まれ、そのまま登ってきた階段まで吹き飛ばされた。踊り場まで転がり落ちたが、その痛みより鳩尾から内臓全体に走る激痛に頭が真っ白になる。


「そういうことだ、お引き取り願おうか。命があるだけありがたいと思え」


 いや、これ死ぬんじゃねーか? 手加減無しに蹴飛ばしやがって。そんな事を考えつつ、俺は意識を失った。


✳︎


「気がつかれましたか?」


 意識を取り戻した俺の目の前にいたのは香織だった。

 辺りの雰囲気から察するに、此処は同じビル内の医務室といった所か。


「頑丈なんですね、姫の一撃を受けてこの程度で済むなんて。それにあのカウンター。全く気が付きませんでした」


「よせやい、そんな大したもんじゃねえよ」


 くそ、苦笑いするだけで痛い。ほんとよく生きてたもんだ。

 香織によると俺を吹き飛ばした後、黒姫は俺のカウンターを受けて結構なダメージを負ったらしい。そのため、禅譲の儀は延期になったのだそうだ。


「ん?……禅譲の儀?」


「ええ。先程の戦いは、彼女からその地位や力を譲り受けるための儀式なのです」


「ちょ、ちょっと待ってくれ。そんなの初めて聞いたぞ。それにあんた、本当に木嶋香織さんなのか?」


 俺は予想外の事態に混乱していた。

 血液生命体カテゴリBの生態にもかなり造詣が深いと自負していたが、そんなのは聞いた事がない。それに、人間である木嶋香織本人が禅譲を受ける、だと?

 禅譲ってのは中国において、皇帝が徳のある人物に自らその地位を譲る事だったはずだ。


「ええ、順番にお話しますね」


 そう言って彼女はこれまでの経緯を語り始めた。


 全ては黒姫と生前の香織との出会いから始まったのだった。それまで戦いに明け暮れ、戦乱の日々を送っていた彼女を助け、癒したのが彼女なのだと言う。

 人間でありながら修練を重ね、いくつもの修羅場を潜り抜け黒姫の片腕と呼ばれるまでになった彼女は、ある日黒姫が血液生命体カテゴリBの限界に達している事を知る。そして黒姫自身が戦いに飽いている事も。

 黒姫を本当に大切に思っていた彼女は、その負担を軽くするために一旦その地位を預かる事を提案し、黒姫自身もそれを望んだのだそうだ。


 こうして黒姫と香織の間での禅譲の約束が交わされた矢先、とある事故により彼女は亡くなったのだった。


 そう、ここまでは大体知っている。限界だとか禅譲云々は初耳だが、二人の関係は一部の世界では舞台にまでなっている。

 片腕を無くした黒姫はそれまで以上の勢いで異世界侵攻を進め、最愛の人の面影を探しているなんて言われてたしな。


「それはある意味正解です。もっとも探していたのは面影ではなく、私自身なのですが」


「だが亡くなったんだろう? やはり転生なのか?」


 そう、それはおかしい。魂の輪廻により転生した場合、記憶は殆ど残らない。ごく稀に前世をほぼ完全に記憶している者もいるが、記憶保存のメカニズムは解明できていないはずだ。大体、年齢が合わない。前世(という言い方でいいのか)の彼女が亡くなる前に、今の香織は生まれている。辻褄が合っていない。


「いえ、私が行ったのは『永劫回帰』です」


「……確か、ニーチェの哲学的思想だったか?」


「よくご存知ですね。ただ、私の能力ギフトは少し違うんです」


 彼女の能力である永劫回帰は、失敗した事象を成功するまで何度でも無限に繰り返す事が出来るのだと言う。もちろんいくつか制限はあり、さらに正確に言うならば似たような条件の平行世界を見つけ出し、上書きする事で擬似的に時間の巻き戻しのような効果を発現しているらしい。


 つまりこういう事だ。

 例えば俺が転んだとする。永劫回帰を使うと、数多ある平行世界の中から「転びそうな俺」という似た事象に遭遇している自身を見つけ出し、現実に上書きをする事で次は転ばないように気をつけられるのだという。まあリセットしてやり直すようなもの、なのか? 便利なもんだな。


「はい。しかしこの世界での私は既に、どう足掻こうが死の運命を覆せない状況でした。当時のリソースでは、どうやり直しても助かる事は出来なかったのです」


 結果、彼女はこの世界での生存を諦めた。

 その代わり『永劫回帰』の特性である“検索”と“上書き”を使い「事故に遭うけれど、助かる可能性のある平行世界の私」に自分自身を上書きしたのだと言う。


「姫が探していたのは、その上書きされた別の世界の私だったのです。まあ結局は見つからず、こちらから出向くことになったのですが」


 確かに数多ある世界の中で現状に程近い、特定の条件の世界というのは意外と探すのが難しい。そもそも殆ど変わらない状況の平行世界なんて、あっという間に収束して消えてなくなってしまう。普通は自分自身に合う事すら宝くじに当たるようなものなのだ。そりゃ見つかる訳無いわな。


「永劫回帰を行った私は似たような事故の瞬間に戻ります。そして本来ならそこで死んでいた私と同化するのです。もちろんこちらの私と違い、記憶も経験もある私は、事故から逃れる事が出来たのです」


 成る程。例えば核ミサイルで撃たれた世界ならどう足掻こうが助からないだろうが、銃で撃たれた世界なら、撃たれる事を自覚していれば避けようはあるって事か。


「黒姫の片腕だったあんたがそうやって助かったのは分かったよ。だが、木嶋ゆきの妹さんとしての木嶋香織はどうなっちまったんだ?」


「先ほど言った通り、同化しているのです。私は黒姫の片腕であり、姉さんの妹なんです」


 ああ、そういうことか。つまり永劫回帰は比丘尼と同系の能力なのか。

 確かにこれじゃ救えやしない。


 いや、救う必要が無いと言うべきか。木嶋ゆきの妹である香織は、本来なら死ぬはずの定めを覆し、自らの意思で黒姫の助けになろうとしている。俺が出る幕は何処にも無かった。


「姉さんに伝えてください。ごめんなさい、そしてありがとう、と。私があの世界に行くのはもう難しいかもしれませんが、こちらから姉さんの幸せを祈っています」


 そう告げる香織の瞳には揺るぎのない決意の光が見てとれた。


✳︎


「……と、言うわけだ。悪いな、彼女を連れ戻せなかった」


 二日後、俺はようやく事務所でゆきに事の顛末を伝える事が出来た。

 理解出来なさそうなややこしい部分はだいぶ端折ったが、大筋としては間違ってないはずだ。

 ゆきは下唇を噛み締め、両手を握りしめていた。俯いているのでその表情は伺えないが、想像は付く。まあ、付くからと言って何が出来るって訳でも無いんだが。


「……あー、彼女は感謝してたぞ? それにほら、元気でやってるんだし、な?」


 駄目だ。反応が無い。こういうシチュエーションは苦手なんだよ、クソ。


「まあ、すぐは難しいかもだが、元気出せよ、な? 俺で良ければまた力になるから」


「……本当ですか?」


 そう言って顔を上げた彼女の瞳には、想像していたような、弱さは微塵も感じられなかった。

 あれ、俺の想像とちょっと違うぞ。


「……じゃあお願いがあります。私を此処で雇ってください」


「…………………………………………は?」


「ですから、力になってくれるんですよね? 私を此処で雇ってください」


 キッパリと言い切る彼女には、何を言っても通じそうもない。まさかこう出てくるとはね。


「いや、なんでそんな結論になるんだ?」


「香織はこちらに来れないんですよね? だったら私から行くしか無いじゃないですか。そして梶さんは迷宮を自由に行き来できる。……ですよね?」


「あ、ああ」


「だから、此処で働かせてください。私、結構色々出来ると思いますよ?」


「…………」


 太々しい笑みを浮かべる彼女には、逆らえそうも無いな。まあ、力になるって言っちまったしな。


「……分かったよ。ただ、そうそう簡単には連れてけないからな?」



 どうやら、俺の彷徨に、しばしの同行者が現れたらしい。まあ、たまにはそんなのもいいだろう。暫くは現状を楽しもうじゃないか。



✳︎



Episode-7『吸血姫の戴冠』end

††† †† † ††††

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