第3話 情報
八百比丘尼——日本史上に幾人か存在する怪人物の一人。
654年、若狭の国に生まれた一人の娘が数奇な運命の巡り合わせにより人魚の肉を口にする事になったという。その瞬間から彼女の身は時に寄り添う事を止め、時空の異邦人となった。
尼僧として諸国を放浪した娘は八百年後、生まれ故郷の洞窟に入り入定したと伝説では語られている。
そうして歴史から消えた彼女が何の因果か、時代を越えこんな所で情報屋を営んでいるとは、神仏でも気付くまい。
「久しぶりじゃないか。あたしのおかげでかわい子ちゃんとデートできて嬉しいだろ、ふふっ」
煙管の煙を纏いながら気怠げに話すその姿からは、千年以上を生きる者の凄味などはもちろん感じられず、どちらかと言えば昭和の親父じゃないのか、これ。かわい子ちゃんって何時の時代だよ。
「これで彼女はお前の
「……テスト? どういう事ですか? え、それに紹介したってどういう事?」
木嶋ゆきが俺の言葉に目を丸くしている。まあいきなりテスト云々言われても驚くよな。
「ま、落ち着け。後で説明するから静かにしててくれ」
まだ混乱しているようだが、とりあえずは俺の言葉に従ってくれるらしい。そんな彼女を見ながら比丘尼の奴、ニヤニヤ笑ってやがる。ほんと性格悪いな。
「はいはい、香織ちゃんだったね。ちょいとお待ち。……驚いた。こりゃちょいと厄介だね。あんたの妹、何やったんだい? 凄いとこにいるよ」
しばらく目を瞑って煙管を吹かしていたかと思うと、そんな事を言う。いいから早よ言えっての。
「164892
やはりか。俺は自分の予想が当たっていた事を知った。
「そこに妹はいるんですね? 見初められた? どういう事なんですか?」
彼女、ここに来てから質問マシーンになってるな。まあ大したもんではある。普通こんな状況になったら思考停止する奴が大半なんだが。
「ま、簡単な話だよ。西新宿を統べる姫には意中の相手がいたんだが、事故で亡くなってしまってね。よくある悲劇ってやつさ。普通ならここで終わるんだが、幸か不幸か今は世界に大穴が開いている。だったら違う世界から連れてくればいいと、まあそういう訳だろな」
そう。俺はこの事態を予測していた。木嶋香織の顔は亡くなった女性に瓜二つだったのだ。八百比丘尼がわざわざ俺を
「とりあえず場所はわかったんだ、何とかなりそうだな。後はルートを用意してくれ」
「あいよ。お代は十年ってとこさね」
「さらっとボッてるんじゃねーよ。いいとこ二年だろが」
俺が眉を顰めても彼女は不敵な笑みを浮かべ、言葉を重ねてきた。
「昼行灯、天下の黒姫の膝下に入るのがそんなに簡単な訳ないだろ。八年だね」
「大部分は過去の流用だろが。そこまでリソース使ってないだろ。四年」
「お姫様は人の消耗が早いんだよ。六年。これ以上はまからんよ」
さすが見た目はともかく永き時を過ごす者。簡単にはいかないわな。まあ、これも一種のお約束だ。
「オーケー、それで頼むわ。準備できたら連絡くれ」
俺は比丘尼との商談を終えると、まだ混乱した表情の木嶋ゆきを促して店を出た。ま、色々聞きたいだろうからな。
再び複雑な経路を経て戻って入ったのは先ほどと同じ場所にある喫茶店だった。まだこちら側だが、十分もしないうちに向こう側へと「変わる」はずだ。ちなみに今度はアクアリウムショップは通っていない。
「説明、してくれるんですよね?」
店に入ると注文もしないうちから、俺に掴みかからん勢いで聞いてくる。テーブルがあって助かったな。
「あいつは八百比丘尼って名の情報屋でな。一度でも会った事のある誰にでもなれるっていう芸を持ってんだよ」
「誰にでも? 変装ってことですか?」
何度目になるかわからない顰めっ面をしている。そりゃそうだよな。
「いや、正真正銘本人だ。どっちかってーと憑依って言う方が近いかな。ただ決定的に違うのは、本人の意識とも一体化してるって事だ」
「それは憑依された事に気付かない、という事?」
「そうじゃない。例えば木嶋さん、あんたが比丘尼になったとする。するとあんたは、自分は木嶋ゆきであり、同時に比丘尼である事に気付くんだ。それは木嶋ゆきであり、女性であり、ジャーナリストであるというのと、同じような感覚だと思えばいい」
彼女の能力は女性にしかなれず、他にも色々な制限があるものの、この違和感の無さが恐ろしい。道を歩く全ての女性が彼女足り得るのだ。これが彼女が最強の情報屋と言われる所以であった。
そして彼女に本体というものは俺の知る限り、無い。その時メインで使っている身体というものはあっても、それはあくまでも一時のものである。
当然元々の本体はあったのだろうが、それも千年という年月の間に土に還ったのだろう。
「とまあ、そんな訳で彼女が知らない情報というのは驚くほど少ないんだが、彼女も商売だからな、望むものを得るために幾つかのルールを設けてるのさ」
「それが、さっき言っていたテストってやつですか?」
「そーゆーこと。あいつは利用できそうな獲物を見つけると、俺を始めとした何人かの所に送り込みやがるんだよ。だが俺以外の奴は性格悪いからな。余計な揉め事にクビに突っ込もうなんて物好きはまずいないのさ。で、俺たちを見事連れてこれたら合格。ご褒美に解決法を授けるってわけさ。そして後は俺から報酬を得るのさ」
「ふうん……。じゃ、私運が良かったんですね。私もそれなりに蓄えはあります。ある程度はお支払いできますけど」
……あーあ、眉間のシワが一段と深くなってるな。戻んなくなっちまうぞ。
「残念ながらあいつが欲してるのは金じゃない。寿命だよ。最後に交渉してたの、聞いてたろ?」
「寿命って、そんな、馬鹿馬鹿しい。どうやって遣り取りするって言うんですか? 悪魔じゃあるまいし」
「ま、正確には存在値なんだけどな。例えば木嶋ゆきを木嶋ゆき足らしめている何かって言うべきか。これを失った時、人は
俺の言葉に絶句する彼女。
「そ、それって、渡してしまったら梶さんはどうなるんですか? 確か六年って言ってましたよね!?」
さすがに想像してなかったのだろう。蒼ざめたその表情は確かに俺を案じていた。ああ、口は悪いが本当にいい子なんだな。擦り切れた俺の心に、微かに熱が点った感じがした。
「んー、簡単に言うと、これから六年分の
「……っ! そんなの、絶対にダメです! 断ってきますっ。キャンセルです!」
憤然と言い放ち、店を出ようとする彼女の腕を、俺は慌てて掴んだ。
「まあ待てって」
「ちょっと、離してください! そんな馬鹿な話、認められる訳がっ………」
振り解こうとするが、女の力で俺に敵う訳がない。ようやく諦めてくれたのか、渋々と席に着いてくれた。その様子に、俺は思わずクスリと笑ってしまった。
「ゆきさん、あんた本当にいい人なんだな。こんな本気になって心配してくれるとは思わなかったよ」
「か、からかわないでくださいっ。私はただ、そのっ……」
真っ赤になった彼女は必死に否定し始めたが、クスクス笑う俺を見て取り繕えない事を悟ったのか、ふくれっ面をしてソッポを向いてしまった。
「いや、悪い悪い。でもその方がいいんじゃないか?」
「もう、知りません!」
すっかりヘソを曲げてしまった彼女に再び謝りながら、俺は言葉を続けた。
「まあ、俺は大丈夫って言うか、踏み倒すって言うか、んー何と言うべきかな。兎に角、問題にならない方法があると思ってくれ。だからこの件に関しては一切心配しなくていい」
「……分かりました。梶さんを信じます」
まだ納得はしてないものの、理解はしてくれたらしい。まあこれで後は比丘尼からの情報を待って、囚われのお姫様を迎えに行けばいい訳だ。
そうして店を出ようとした俺たちの耳に、店内のテレビからトンデモない言葉が飛び込んできた。
「淀橋一帯の<王国>を治める女王、黒姫が退位を表明しました。後任に指名されたのは木嶋香織と言う女性で——」
その女性アナウンサーの言葉に、俺たちは思わず目を合わせる事しか出来なかった。
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