第3話 白い世界
カーラジオから聴く夕方の天気予報が、今夜から明日にかけて大雪への警戒を伝えていた。
17時。現場での作業を終え、アルバイトを帰らせて車庫のシャッターをおろす。
同じビルの2階にある事務所の扉を開けると、同僚達も明日の雪を気にしていた。
「あー、大雪になって電車とまんねーかな」
「ホントですよね、こんなときくらいくらいしか休めませんからねー」
社長の帰った事務所ではこんな会話が毎日のように繰り広げられる。
従業員のほとんどは家族持ちであり、家族との時間がとれないことが共通の悩みになっている。
考えてみれば電車が止まるくらいの大雪ならばどこにも行けないのだが、そんなことにも気付かないほど、潜在的な休みへの欲求は高まっていた。
本日の作業日報から見積書の作成、下請け業者への作業指示など帰社後にこなす業務は多い。
今日も、事務所をあとにするころには21時を過ぎていた。
シャッターのおりる商店街を抜け、寂れた駅のホームに立つ。
やっと来た電車は酒の匂いが漂い、酔っ払いの大きな話し声が響いている。
メールの受信を通知するスマートフォンを開き、妻から送られてくる娘の写真を見た。
僕には見せたこともない笑顔が踊る。
いつになったら僕の前でも笑ってくれるようになるかな、なんて思っているうちに最寄の駅に着いた。
人のいないホームの階段を登り、改札を抜けた。
駅前のロータリーの欅の木を揺らすくらい強く冷たい北風が吹いた。
客待ちのタクシーの列を横目に、大通りを渡る歩道橋を歩く。
雪が降ってきた。
街灯に照らされた夜の街に無数の花びらが舞うように、冷えた空を白く染めていた。
朝5時半。
5時40分に合わせてあるアラームより先にスマートフォンが鳴った。
会社の社員でつくるグループラインに社長からのメッセージが来ている。
〜今日は大雪により休み 関係各所には各自連絡をすること〜
枕元においたスマートフォンでメッセージを確認すると、ベッドから飛び降りカーテンを引いた。
一面真っ白の世界がそこにはあった。
まだ夜が明けていないのに、すべてが雪の白に支配されていた。
今、娘がこの雪に気付いてないなら、誰より早く教えたい、心から思った。
心を踊らせ、妻と娘が眠る部屋に向かう。
僕が部屋に入ってきて少し目を覚ました妻の肩を叩いて
「積もってるぞ、雪!」
と教えた。
えっ!と呟いた妻は窓を明け、一面の銀世界を眺めた。
「仕事休みになった」
僕は冷静を装い、そう伝えると
「この雪じゃ電車も動かないかもね」
と、少し嬉しそうに返した。
程なくして娘も起きた。妻は窓際に娘を連れていって、
「雪、降ったねー」
と絵に描いたような世界を娘に見せた。
いつもとは全く違う景色に娘には一瞬怯んで泣きそうになったが、すぐに窓の向こうの幻想的な世界に目を輝かせた。
「外に出てみるかー?」
こんな時間に家にいることがない僕が、ごく自然にこんな言葉を娘にかけた。
娘は一瞬僕の顔を見てあと、すぐに妻を見つめた。
「ちょっとパパと外行っておいで」
優しくそう言ってくれた妻の言葉に安心したのか、娘は僕のほうにやってきて、両手を拡げ抱っこをせがんだ。
それだけで、僕はもう泣きそうになってしまったが、両手で小さな身体を抱き上げた。
こうやって抱っこするのも、娘が産まれて妻と一緒に病院から家に帰ってきて以来だ。
確実に大きくなった娘を感じながら、玄関を出て雪の世界に出た。
雪を手にとってはしゃぐ娘。
色を失ったこの世界は、僕にとってこの上なく明るく感じた。
家の中を覗くと、妻が朝食の準備をしている。
家の中に戻ると、娘は僕の腕から離れて行くだろう。
今、感じている娘の体温をこれからもずっと感じていたい。
年一度の大雪の朝。
ひと晩降り積もった雪に朝陽が反射した。
はじめて僕に見せた娘の笑顔と同じくらい眩しかった。
転職日記 鷹宮 茉綾 @oajiroooo
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