ウィリアム・トレヴァー『ふたつの人生』
ウィリアム・トレヴァー『ふたつの人生』国書刊行会、二〇一七。
二編の中編小説を収録した本。いずれも女性主人公の人生を描いている。一編は読むひとの、二編目は書くひとの生涯について。
一編目は、めぐまれない夫婦生活を強いられた女性がいとこの青年と再会し恋に落ち、しかしかれが死んでしまってもかれを思い続け、精神病院に入院させられて生涯の大半を過ごす、という「ツルゲーネフを読む声」。
舞台は一九五〇年代、アイルランドの田舎町。没落しつつあるアングロアイリッシュの家族に生まれ、同じアングロアイリッシュの男と結婚するメアリー・ルイーズ。あらすじから、どうしようもない悲惨な物語を想像されるかもしれないが、筆致は淡々としていて、おおげさなところはまったくなく、凡庸なひとびとの日常的な暮らしを描いて、その行間からは、おぞましい人間の行いが浮かび上がってくる。アイルランドの田舎町に限らず、ほんとうにどこにでもいそうなひと(ちょっと見栄っ張りの商売人の男、さきに結婚した弟の妻をいじめる姉妹など)の、ささいな行いの積み重ねが、主人公の精神を叩きこそげて、彼女のこころは破壊される。当時のアイルランドは離婚はできない。夫婦であることに閉じこめられ、けれど彼女にはほかに愛したひとがいる。しかもそのひとは死んでしまった――……。
じわじわと追いつめられていく主人公のこころの動きが、心内語のほとんどない神視点三人称でも、ひたひたと押し寄せてくる。
「誰を愛するか選ぶのは自分じゃないよ」
主人公が愛したいとこ、ロバートのセリフで、ほんとうにそれはそうだと思うのだが、人間の人生でそうだということは、残酷なことだと思う。
終盤で、主人公は夫(年上)や夫の姉たちが死んだあとも生き続けるだろうことが示唆される。けれどそれはなにもかも壊されたあと、長い長い時間が過ぎてからだ。それははたして救いなのか――それには答えが示されないまま、この物語は終わる。
ただ、そういった「主人公はしあわせになれるのか」という問いに答えるための小説ではないのだ。娯楽小説に限らず、そういった「引き」が小説のリーダビリティになることはほとんどだが、トレヴァーはおそらく、この作品の主眼をそこには置いていないのだろう。では、なにが主眼なのか――……途方もない時間を、精神疾患と妄想という毛布のなかに隠れて過ごした主人公の生涯が示していることは。わたしにとってそれは、「とてつもない悲しみ、絶望、痛みのあとにでも、人間は自分の人生を生きる、生きなければならず、人生は続いていく」ということだと思う。これは、次の「ウンブリアのわたしの家」にも通底することなのだが。
二編目は、イタリア・ウンブリアに住むロマンス小説家が列車爆破事件にあい、その生き残りたちを自分の家に引き取ってともに暮らす「ウンブリアのわたしの家」。
主人公は独身で、小説を書くかたわら自分の家を宿泊施設として経営する、わりあい裕福な中年女性なのだが、その前半生は波乱にみちている。その回想と、爆破事件、そして生き残りたちの人生が交錯する構成となっている。
訳者あとがきにあるように、彼女の一人称であるこの小説は、「信用ならない語り手」による、スリリングな展開を見せる。彼女は、確たる根拠もなく他人の人生を推測し、それをほんとうらしい形にして語る傾向があり、読者はそれにいぶかしみながら読み進めることになる。しかし、ミステリのようには、客観的な事実は提示されずに終わる。事実の究明はこの物語の主眼ではないのだ。
一編目と同じく、彼女も自分のなかの幻想――妄想のなかに生きている。二編目では、だれかを思うのではなく、他人の人生を推測し、それに従って世界を解釈する世界に生きている。ただし彼女は現実のなかでも、屋敷を切り盛りし(実働をするのはクインティという、彼女の書きぶりからはよくわからない心根の男なのだが)て生きていく。読者は彼女のすべてを理解することはできない。彼女の語る、彼女にとっての事実を聞き、その枠ごと彼女を理解するしかないのだ。けれど、それ以上のことはどのような場でも望みえないのではないだろうか。あらゆる物語、あるいは現実の暮らしでも、人間は他者を理解するのに、「語り」にしか手がかりはないのだ。ことばでも、しぐさでも、なにかによって語られるものでしか、人間を、世界を理解することはできない。
「ウンブリアのわたしの家」には、世界に対してすこしちがったアプローチをする人物が出てくる。アリの研究を生業としているミスター・リバースミスだ。かれは主人公とは対置的に描かれる。理系の事実の追求のしかたと、主人公の世界の捉え方は、やはり対照的なのだろう。
中編小説二点といいつつ、本じたいは500ページほどあるので、日本の小説でいえば、読み切りの文庫二冊ぶんと言ってもいいだろう。事実、人生を扱っているだけあって、二編続けての読後感はどっしりとしたものだ。どこにでもいる、なんでもない日常を生きるひとびと――(列車爆破事件は起きたりするが)の、さりげない描写の積み重ねが、読み進めるうちにこころにひたひたと迫ってくる。かれらはわたしであり、わたしをとりまく世界なのだ、と。
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