第31話・迷子

 休日。

 僕は古本屋にでも行こうと町を歩いていた。

 すると通りかかった公園で小さな女の子が一人で泣いているのが見えた。

 幼稚園に行ってそうな年齢の子はだぼっとして白いシャツに黒いスカートを履いている。

 周りを見回してもお母さんらしき人は見当たらなかった。

 それどころか誰一人いない。

「……迷子かな?」

 最近物騒だし、なにかあったらいやだな。

 そう思った僕は空を仰いで泣きじゃくる女の子に近づき、膝をついて尋ねた。

「どうしたの?」

 女の子は僕の顔を純粋な目で見つめ、泣き止んだ。

「おかあさんがね。いないの」

「そっか」

 多分お母さんはこの子がいなくなったと思ってるだろうけど。

「おうちどこか分かる?」

「あっち」

 女の子は僕が来た方と逆の方向を指差した。

 そっちは河川敷なんだけど……。

 もしかして川から来たのかな?

「えっと……、なに町とか分かるかな?」

「たぶん……ハ長調」

 多分、違うな。

「……あー。名前分かる?」

「さとうあきひろ」

「いや、お父さんのじゃなくて君の」

「さとうるな。ごさい」

「ルナちゃんかー。へえ。可愛いね」

「おにいちゃんは?」

「僕? 僕は篠塚紀一。よろしくね」

「きいち? へんな名前」

「あはは……。かもね」

「プルーンたべてそう」

 この子本当に五歳なの?

「しゅっけしてビルマでたてぶえふいたり」

 絶対に五歳の知識じゃないよ。

「く、詳しいね……」

 ルナちゃんは目を擦って僕を見上げた。

「おにいちゃんは、いいひとなの?」

「え? えっと……まあ、一応は。なんで?」

「あのね。ルナはね。おかあさんにわるいひとについていっちゃだめっていわれてるの」

「なるほど」

「だからね。あのね。おにいちゃんがいいひとならついてくけどね。わるいひとならついてっちゃだめなの」

「うん。そうだね。それがいいと思う」

「じゃあおにいちゃんはいいひと?」

「うん。いい人だよ。だから一緒にお母さんを探そうね」

 そう言って僕がルナちゃんに手を伸ばした時だった。

「騙されちゃダメぇーッ!」

 大橋さんが叫びながら走って来て僕を突き押した。

「ええーっ!?」

 僕の体は吹き飛ばされ、砂場に不時着した。

 大橋さんはルナちゃんの前に立って僕を睨んだ。

「見失ったよ篠塚君! こんな小さな子をどうする気なの?」

 僕はゲホゲホと砂を吐きながら立ち上がる。

「見損なったでしょ? それにどうもしないよ! ただ交番に連れて行こうかなって思っただけだから」

 それを聞いて大橋さんは胸を撫で下ろす。

「そっかー。自首する気はあるんだね。よかったー」

 よくない。

「違うよ! 迷子を交番に連れていくだけ! 僕はまだなにもしてないって!」

「まだ? まだってなに? これからなにする気なの?」

「いや、今のは言葉のあやっていうか……」

「西高に通う一年生男子が五歳の女の子を誘拐。家からは女性の下着が描かれた大量の本が。問われる出版業界の対応」

「変な見出し付けないでよ!」

 僕が抗議するとルナちゃんが不安そうに尋ねる。

「おにいちゃんぱんつがかいてるほんもってるの?」

「え? いや、それは……」

 持ってる。

 でもそういう意味で持ってるんじゃない。

 僕はべつにロリコンじゃないし。

 でも持ってないかと聞かれれば、持ってることになる。

 すると大橋さんがルナちゃんを諭す。

「いい? ルナちゃん。男の子はね。女の子パンツが大好きなんだよ」

 五歳になんてことを教えるんだ。

「とくにあの篠塚君なんて三度の飯よりパンツが好きと言っても過言じゃないの」

 ルナちゃんは震えながら僕を見る。

「たべるの?」

「時には」

「食べないよ! なんで大橋さんは僕にパンツとか本とか食べさせようとするの!?」

 僕の抗議も虚しく、ルナちゃんの視線は不審者を見るそれになる。

「おにいちゃんはわるいひとなの?」

「いや、だからね。違うんだよ。そりゃあラノベとか美少女マンガとか、そういうのは持ってるけど、だからと言って悪い人ってわけじゃないんだよ」

「なんで?」

「え? えっと、あるマンガをね。描いてる人を業界では神って呼ぶんだ。だから僕らは神を信奉する信者なんだよ。信者は良い人でしょ? だから良い人なの」

「見苦しいよ。篠塚君」

 大橋さんは腕を組んで僕を蔑む。

「黒猫先生のことを神と呼ぶ人に小さな女の子を任せられるわけないでしょ?」

 たしかに――

「……い、いやまあそうかもしれないけど、僕はべつに…………」

 違うんだ。

 たしかに僕は女の子のパンツが描かれる本を持ってる。

 それは認めよう。

 でもだからと言ってそういう人がみんな悪ってことはないんだよ。

 それとこれとは別なんだ。

 なのに世間は事ある毎にオタクと犯罪を関係づける。

 オタクが犯罪者になるんじゃないんだよ。

 犯罪者がオタクだっただけなんだよ。

 気付いたら僕は涙を流していた。

 それを見て、ルナちゃんが心配そうに近づいてくる。

「どうしたの? おなかいたいの?」

「……ううん。痛いのは、心だよ」

 僕が優しく微笑むと、大橋さんも泣いていた。

「わーん! 篠塚君がおかしくなっちゃったよーぅ」

 誰のせいだよ。

 その後、ルナちゃんはわんわんと泣く僕らをあやしてくれた。

 そして泣き声を聞きつけたお母さんと帰っていった。

「バイバイ。もうないちゃだめだよ?」

「うん……」

 僕と大橋さんは力なく頷いて手を振った。

 夕日が眩しかった。


 追記 その後、ルナちゃんは僕らを見かけるたびに心配して話しかけてくれます。

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