第30話・夏

 夏が来た。

 七月になるとはっきりそう感じる。

 少し歩くだけで汗をかくし、喉も渇く。

 授業にだってあまり集中できない季節だ。

 ぼーっとしてる間に授業が終わると僕らは図書室にいた。

 教室にはクーラーがないけど、ここはあるからだ。

 汗でしっとりした大橋さんは気持ちよさそうに目を細めた。

「ふわー♪ 極楽だよー♪」

 大橋さんはそう言って胸元をパタパタし、それからスカートもパタパタしちゃっている。

 見てると「篠塚君はあっち向いてて」と怒られるので僕は本を読んでた。

 それでもどうしても目線は引っ張られてしまう。

「夏は汗で蒸れちゃうから大変なんだよねー」

 一体どこが蒸れちゃうんだろう?

 僕は悶々としながらも平常心を心掛ける。

 大橋さんは涼みながら鞄を探った。

 そして二枚のうちわを取りだし、一枚を僕に渡した。

「これあげる。予備校の人が配ってたんだ」

「あー。駅前とかによくいるよね。ありがと」

 僕はせっかくだしと予備校の名前が書かれたうちわを貰った。

「ねえねえ篠塚君♪」

「うん」

「これでお互いを涼しくしない?」

「お互いを?」

「だってその方が頑張るでしょ? はい。じゃあまず篠塚君」

 僕は言われるがままに大橋さんを扇いだ。

 これじゃあまるで家来みたいだ。

「ああー。そうそう良い感じー」

 まあ大橋さんが気持ちよさそうにしているしちょっとくらいいいか。

 僕はしばらく大橋さんを扇いでいた。

 すると腕は疲れてくるし、動いているからこっちは暑いままだ。

「あ、あの……。そろそろ……」

「あ。そうそう。夏と言えばスイカ割りだよねー」

 大橋さんは急に話を切り出した。

「スイカ割り?」

「うん。篠塚君はやったことある?」

「いや。ないけど」

「やりたいよねー」

「まあ、うん。あの、それより――」

「スイカ割りってどうやるんだっけ?」

「え? 目隠ししてスイカを割るんでしょ?」

「素手で?」

「だとしたら空手家とかしかできなくなっちゃうよ」

「じゃあどうやって?」

「え? えっと、たしか木刀とかバットとかで割ってたと思うけど……」

「それってアニメの知識?」

「……はい」

「ふ~ん」

「ふ~んって?」

「だってスイカ割りしてるってことは水着の女の子が出るアニメってことでしょ?」

「ま、まあ……」

「詳しいってことはそんなアニメばっかり見てるんだなーって」

「い、いや……。一種の定番っていうか……」

「なら他にはどんな定番があるの?」

「定番?」

「うん」

「えっと、お金持ちの子がいて、その子の家が持ってる別荘に合宿とか?」

「子供だけで?」

「そういう時もあるけど、メイドさんとかがいる場合もあるよ」

「へえー。でもお金持ちの娘さんなら親が厳しそうな気がするけどなー。男の子と合宿するなんて普通親が許すかなー?」

「……まあ、アニメだし。許してくれないと困るっていうか……」

「そっかー」

 大橋さんはどうでもいいって感じで涼んでいる。

 僕の二の腕はすでに硬くなり始めていた。

「あの、そろそろ――」

「他にはどんな定番があるの?」

「え?」

「うん」

「は、花火大会行ったりとか?」

「あー。定番っぽいねー」

「そこではぐれちゃったり」

「分かった。二人きりで花火見るんだ」

「そうそう。誰も知らない穴場スポットを偶然見つけたりね」

「でも今の時代、そんな穴場スポットに誰もいないなんてあるのかなー?」

「え?」

「だってそんな良いところがあったら絶対にSNSで上げられちゃってるよ? 動画付きで拡散してそう」

「まあ、そうかもしれないけど……」

「それにはぐれてもスマホで電話すればすぐに会えるんじゃない?」

「いや、スマホとかは落としちゃうんだよ。あとで友達に拾ってもらったりして」

「えー。もしスマホ落としたらデートどころじゃないと思うけどなー。必死に探しちゃうよ」

「ま、まあ現実的にはそうかもしれないけど……。あとは足をくじいておんぶとか」

「あ。それいいね♪」

 大橋さんはようやく気に入ってくれた。

「でしょ? それで神社の裏とかで手当してあげたり」

「なんで?」

「え?」

「足くじいたら病院連れてくんじゃないの? 素人が触って逆に悪化したりしない?」

「そりゃ、あとで行くけど、その前に色々話したりするんだよ。思い出とか、子供の頃も同じことがあったねとか」

「でももし折れてたら大変だよ?」

「え? いや、そんな重症にはならないと思うけど……」

「なんで分かるの?」

「だって、アニメだし……」

「そっかー」

 大橋さんはやっぱりどうでもいいって感じで涼み続けている。

 いい加減腕が限界だ。

「えっと、大橋さん。もう十分涼んだでしょ? 今度は――」

「やっぱり篠塚君的には幼馴染みが好きなの?」

「え?」

「だってアニメとかでは幼馴染みが定番なんじゃない?」

「まあ、そうだけど」

「他には?」

「転校生とか?」

「それだけ?」

「あとはまあ、お姉ちゃんとか妹とかかな?」

「え?」

「え?」

「姉妹ってこと?」

「うん」

「血の繋がった?」

「それはまあ、色々あるよ。繋がってない場合もあるし、繋がってる場合もある」

「でも姉妹でしょ?」

「うん」

「そんなのダメじゃない?」

「まあダメだけど、だからこそ良いんだよ。禁断の愛的な感じで」

「でも定番なんでしょ?」

「うん」

「じゃあ全然禁断じゃないじゃん」

「そう言われても……」

「それじゃあ常習だよ」

「常習ってのはちょっと違うかな?」

「篠塚君も姉妹と結ばれたいの?」

「いや。そもそも僕は一人っ子だし。これはアニメとかゲームの世界だから許されるっていうか」

「だよねー。普通は同じクラスの女の子とかだよねー」

「まあ、そうかな」

 僕が同意すると大橋さんは嬉しそうにうんうん頷いた。

 そして大きな欠伸をする。

「ふわー……。なんだかお話してたら眠くなっちゃった……」

「え?」

「今日はプールもあったし、なんだか涼しいし……」

「なんだかってそれは僕が扇いでるからで……」

 僕がそう言うと大橋さんはそのままころっと寝てしまった。

 大きな胸を枕代わりにして無防備にすーすーと寝息を立てている。

 そこで僕はようやくうちわから解放された。

 まあ、こんなことだろうとは思ってたけど……。

 がっくりと肩を落とす僕だけど大橋さんの可愛い寝顔を見てるとまあいっかと思えてしまった。

 僕は疲れた腕で自分を扇ぎながら窓の外を見つめた。

 セミが必死に鳴き、青葉は繁り、空の青はやけに濃く、雲の白が映えている。

 運動部は汗を流しながら声を出し、吹奏楽部の一年は少しずつだけど上手くなっていた。

 皆がせわしく動き回る中、僕らはいつも通りお話していた。

 人には人の夏がある。

 僕らの夏はきっとこんな風にゆっくりと過ぎていくんだろう。


 追記 最近大橋さんがアニメにも興味を持ちだして色々質問してくる。

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