第25話・プロフェッショナル
放課後。
僕が図書室で本の整理をしていると、なにやら声が聞こえてきた。
『篠塚は、毎日欠かさず本を整理する』
やけに神妙だけど大橋さんの声だ。
でも姿は見えない。
きっと本棚の影に隠れてるんだろう。
僕が気にせず返ってきた本を元の位置に戻していると、また声が聞こえてくる。
『もはや篠塚にとって本の整理はライクワーフなのだ』
べつにそんなことはない。
各クラスから選ばれるはずの図書委員だけど、僕以外が図書室に来ることなんて滅多になかった。
なので結果的に僕が色々な雑務を一手に担っているだけだ。
『この図書室の中にある本で篠塚の知らない本は、ない』
いっぱいあるよ。
奥の本棚に眠ってる本なんて知らないのばかりだ。
『ひとりぼっちのライブラリアン――業界の人間は篠塚をこう評価する』
バカにされてる気しかしない……。
そもそも業界ってなんなの?
『そんな篠塚に、前例のない仕事が舞い込んできた』
そうなの?
『図書室の奥にある図書管理室。そこに眠る大量の本を一冊ずつ名簿と照らし合わせていく』
前例がないって、前任がサボってきただけじゃん……。
ていうか聞いてないんだけど。
『我々は今回、そんな気の遠くなりそうな作業に未着した』
そこでようやく大橋さんが現われた。
スマホを横にして僕に向けている。
どうやら動画でも撮ってるらしい。
「……なにを撮ってるの?」
「お気になさらず。プロフェッショナルです」
プロフェッショナルって、あのプロフェッショナル?
僕の疑問を打ち消すように大橋さんは歌い出した。
『ぼくらはーいちについてー♪』
あのプロフェッショナルだ――
「ということで今回は司書の先生から仕事を仰せつかってきたよ」
大橋さんは録画を止めて、別の動画を再生させた。
そこには二十代半ばのメガネをかけた女性が映っている。
眠そうな目におでこが見える髪型をしたこの女性は司書の戸田先生だ。
『あんたら毎日毎日いちゃついて。ここは本を読む場所だっつーの。そんなに暇なら管理室の整理でもしといてよ。はい。これ鍵とリストね。やらないとあたしが怒られるからよろしく頼むね。じゃあちょっと煙草吸ってくるから』
「とのことです」
「ですか……」
相変わらず戸田先生はテキトーだ。
「でね? せっかくお仕事するならムードが出た方がいいでしょ?」
「ああ。だからプロフェッショナルなんだ」
「そう。あのナレーションさえ付けば誰でも一流になれちゃうんだよ!」
「一流だからあのナレーションが付くんじゃない?」
「どっちみち一緒だよ。だから篠塚君のやる気を喚起するためにこうやって動画を撮ってナレーションを入れてあげてるの」
どっちかと言うと一緒に手伝ってほしいんだけど……。
「ね。だから褒めて」
大橋さんは小首を傾げる。
「……すごいね」
その発想が。
「でしょー♪ はい。じゃあお仕事頑張って♪」
大橋さんはそう言って僕に鍵とリストを渡した。
管理室のドアは随分古く、開けるのでさえ大変だった。
『篠塚の細い腕は本を整理するのに特化しすぎて、ドアを開けるのさえ困難だ』
へんな進化させないでくれるかな……。
普通に重いんだけど。
なんとか引っ張って開けると、薄暗くて埃臭い小さな部屋が現われる。
『顔を背けたくなる光景。これもまた図書委員にとっては当り前の日常である』
「この部屋入るの初めてだよ……」
僕らはカーテンを開き、窓を開け、外の空気を入れた。
『篠塚は自然との対話を重視する。本は紙でできているからだ。篠塚は自然への感謝を忘れない』
なにをするにも大袈裟だな……。
僕は本が入っている大量の段ボールと対峙する。
中身はどれも古かった。
「ああー……。虫に食われるのもあるなー……」
僕は穴が開いた本を取り出し、廃棄の箱に入れていく。
『篠塚はまず、読める本と読めない本を区別しだした。本は読むための物だ。読めない本は本ではない。これが篠塚の持論だった』
読めても読めなくても本は本だよ。
幸い虫食いの本は数冊だけだった。
もったいないけどこれはあとで廃棄しよう。
『篠塚は本を愛している。読めなくなった本も自宅に持って帰り、食料にするのだ』
「しないよ!」
僕が抗議すると大橋さんが口を尖らす。
「もー。一々反応しないでよー。篠塚君はナレーションにつっこむドキュメンタリーを見たことあるの?」
「いやだって、そもそもナレーションは後に入れるものだし……」
「そんなのはどうだっていいの。いい? ドキュメンタリーを取られる時はね。カメラに目線を合わさずに自信満々な顔でぼそぼそ喋るの。そしたらなにげない一言でもそれっぽく聞こえるでしょ? ほらやってみて!」
「やってみてって……」
「真剣な目で本を開いて名言ぽいことを言うんだよ」
どうやら撮れ高が低いらしく、大橋さんは難しい注文を押しつける。
僕は渋々と段ボールから本を取り出し、開いて中身を見た。
本は古い料理本だ。
「……この本にもきっと歴史があるんですよ。昔の人がこれを借りて、誰かに美味しい料理を作ってあげようって考えたと思うんです。だから本に籠もったそんな気持ちを大事にしたいですね」
『篠塚は訳の分からない妄想に耽り、本のページをめくった。だが、一番最後の図書カードを見て愕然とした。誰一人としてその本を借りた者はいなかったのだ』
――誰も借りてませんね。
大橋さんからカンペが出てくる。
「……ま、まあそういう時もあるのが図書委員です。大体の仕事は地味ですから」
――この仕事のやりがいはなんですか?
「やりがいですか……」
『篠塚は言葉に詰まった。なぜなら篠塚はただ本が好きそうな顔をしてるからという理由で図書委員を押しつけられただけだからだ』
「……えっと、やっぱり本を整理したり掃除したりすると気持ちが良いんですよ」
――誰も借りないのに?
「ま、まあたまには借りてくれます。大体の本は眠ったままですけど……」
なんだか悲しくなってきた。
僕は毎日毎日誰も借りない本の整理をひたすらやってるんじゃないのか?
こんなこといくらやってもしかたがないんじゃないのか?
そんな寂しい疑問が浮んでくる。
『篠塚は自問自答を繰り返した。だが答えが出ることは、ない』
大橋さんは僕の心を読み切っているようだ。
『だが、悩んでいる暇はない。刻一刻と時間は過ぎていく。この空前絶後の大仕事をやり遂げる為には、行動あるのみだ』
僕はナレーションに催促され、渋々本の整理に取りかかった。
段ボールを開き、リストと照らし合わせてちゃんとあるか確認していく。
その間中、大橋さんは勝手にミニコーナーを作っていた。
『今ではすっかり本が大好きな篠塚だが、実は昔、あまり本が好きではなかった』
どうやら過去編が始まったらしい。
僕は黙々と作業に徹した。
『篠塚が最初に読んだ本はライトノベルと言われるキャラクター小説だ。それまでマンガばかり読んでいた篠塚はその内容に衝撃を受けた』
なんか嫌な予感が……。
『そこには美少女達のあられもない挿絵が添えられていたのだ』
的中してしまった……。
『元々女子のパンツには目がない篠塚はラノベに夢中になった。学校の帰りに本屋へ寄り、表紙を確認する。そしてカラーの絵と中の挿絵を吟味する。パンツが描かれてないラノベにはびた一文出さない徹底ぶりだった』
そんなことはないよ。
多分。
『そんな歪んだ性癖を持つ篠塚も遂には高校生になった。だが、その頃には各レーベルから次々と発売されるラノベにお小遣いがついていかなくなっていた。篠塚は考えた。一体どうすれば全てのパンツ挿絵が入ったラノベを手に入れることができるのか?』
「あの、僕の人生の大半がパンツのイラストに捧げられてるみたいな言い方はやめてくれない?」
『そして、運命が動き出す』
聞いてくれないし。
大橋さんは色んな角度から僕を撮りながらナレーションを入れていく。
『当時の担任が委員決めの時、篠塚を見てこう言ったのだ。
「お前、なんか本好きそうな顔してるな」
その一言がきっかけで、篠塚は図書委員になった』
「なんかすごい昔のこと言ってるみたいだけど、二ヶ月前のことだからね?」
『図書室に配置された篠塚は思った。ここでなら権限を使い、自分の好きなパンツラノベを購入することができるのではないか? それも図書室の予算を使って』
パンツラノベってなに?
『だが、篠塚に大きな壁が立ちはだかる。図書室が毎月購入する本は司書の先生が決めることになっていたのだ。篠塚は考えた』
つっこむだけ無駄な気がして、僕は作業を続けた。
『そして本の整理をしている時思いついた。真面目に仕事をしているのは自分だけだ。ならこのまま頑張っていれば先生も月に何冊かは買う本を選ばせてくれるのではないか? どうせ大半は誰にも読まれない本だ。なら確実に自分が読むパンツラノベを購入した方が予算を有意義に使えるはずだ』
どう考えても悪人の考え方だよ。
『篠塚はさっそく行動に移した。誰もやらない作業を率先して行い、先生に気に入られるよう努力した。そして、好機がやってきた。管理室での本のチェックだ』
過去編なのに今に至っちゃった。
『これをやり遂げればきっと先生はパンツラノベを買ってくれるはずだ。篠塚はそう思い、必死に努力した。腕が折れようが、足が折れようが本の整理を続けた』
なにがあったの?
というか起こるの?
もはや不吉な予言だよ。
『そしてようやくやり遂げた時、篠塚は思った。パンツラノベって、なんだ?』
ずっと思ってたよ。
『篠塚はハッとした。今までも自分はパンツのことだけを思い、周りの人達を蔑ろにしてきたのではないのか? だから友達ができないのではないのか? そう思うと居ても立ってもいられなくなった』
どんどん僕の未来が築かれていく……。
『周りの人の手助けがあってこそ、自分はパンツに集中できる。それに気付いた篠塚はすぐにある女の子を探した。彼女、大橋いのりはとっても可愛い十六歳だ』
それ自分で言っちゃうの?
『篠塚は言った。
「僕、今までパンツに夢中で本当に必要なことを忘れたよ。僕に必要なのは他でもない。大橋さんとのお話だ」
それを聞いた大橋いおりは言った。
「そんなことよりドーナツ食べたい」と』
めっちゃテキトーにあしらわれてる――
『互いの気持ちを知った二人は夜の町へと繰り出した。まだ見ぬ、究極のドーナツを見つけるために』
ドーナツの話になっちゃたね。
それでも大橋さんのお話を聞きながら作業する術を身に付けていた僕は整理を終わらせていた。
先輩の頑張りだろうか、リストと本はきっちりと同じ順番で並べられていたから楽だった。
「終わった?」
大橋さんはお話したくてうずうずしている。
「うん。終わったよ」
「じゃあ最後に聞くね」
大橋さんはまたスマホを構えた。
『プロフェッショナルとは?』
そもそも僕はなんのプロフェッショナルでもないんだけどなぁ。
あえて言うなら、大橋さんのかな?
でも大橋さんのプロフェッショナルってなんだろう?
僕は少し考えてから答えた。
「お話を聞いてあげること、かな」
「おー。プロフェッショナルっぽい!」
どうやら大橋さんのお眼鏡にかかったらしい。
僕を見てると自分もやりたくなったらしく、大橋さんは僕にスマホを渡して「わたしもやるから撮ってて」と言った。
仕方なく僕がスマホを受け取ると、大橋さんは夕暮れで赤く染まった空をバックに黄昏れた。
綺麗だけど、なんかずるい気がする。
「ほら。早く聞いて」
「あ。うん。えっと、大橋さんにとってのプロフェッショナルとは?」
大橋さんは決め顔を作って答えた。
「どんな時でもお話をすることです」
どや顔をする大橋さんだけど、僕は苦笑いを浮かべるだけだ。
それでも満足したらしく、大橋さんは楽しそうに笑った。
「じゃあ今からお話する為にドーナツ食べに行こ」
「今から? 最近結構財布がピンチなんだけど」
「大丈夫。二人で貯めてたポイントが貯まったから一個無料なの。だから半分出してあげる♪」
「まあそれならいっか」
「うんうん♪ それにこれはお仕事なんだから断れないんだよ」
なんでも仕事なら仕方ない気がするのは僕が日本人だからだろうか?
そうやってお話しながら僕らは資料室を後にした。
結構疲れたけど僕の仕事は大橋さんのお話を聞くまでは終わらないのである。
追記 その後、僕のドキュメンタリーはYUNTUBEで公開され、ちょっとした話題になってしまった。
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