第22話・将棋
帰り道。
もうすっかり大橋さんと帰るの定番化してしまっていた。
べつにいやな訳じゃないんだけど、最近周りの視線が痛かったりする。
僕が大橋さんを洗脳しているとか、弱みを握って強引に誘っているとか。
そんな噂もちらほら流れているらしい。
たしかにパンツは見ちゃったから弱みを握ってると言えばそうだけど、どっちかと言えばそれを利用してえっちだのヘンタイだのと言われているのは僕の方だ。
そんな噂もどこ吹く風で、今日も今日とて大橋さんはお話が大好きである。
「すごいよねー。わたし達と同い年なのに将棋のプロなんだよ」
テレビかネットのニュースで見たらしく、大橋さんは将棋に興味がおありなようだ。
「うん。最近多いよね。学生なのにプロとか世界チャンピオンとか」
「ねー。わたしもお話の世界大会があれば優勝しちゃうのに♪」
なぜだか対戦相手が尽くリタイアする映像が浮ぶ……。
「でね?」
「うん」
「わたしも将棋しようと思うの」
「へえ。いいんじゃない」
「でもちょっと見ただけじゃ全然分からなかったよ。篠塚君は将棋って知ってる?」
「まあ、ルールくらいなら。でも戦法とか定石とか色々あるから大変だよ?」
「大丈夫。全部大橋マジックでなんとかするから」
なんとかできちゃいそうだから困る。
「お話してる間に駒の位置を変えたりするの」
外道過ぎるよ。
「でもそれはルール違反だよ」
「そうなの? だったらルール教えて」
「ルール?」
「そう。簡単にでいいから」
「う~ん……簡単にかー……」
僕は将棋のルールを思い出してみた。
中学の頃にちょっとかじった程度だから大して詳しいわけでもない。
まあ駒の動きくらいでいっか。
「えっとね。将棋には色々な駒があるんだ」
「うん。あれでしょ? 『歩』とか『王』とか『白』とかでしょ?」
「『白』は違うやつかな。でもまあそう。で。それぞれ行けるところが違うんだ」
「なんで?」
「なんで? え? えっと、まああれだよ。個性だよ」
「あー。ゆとり教育の成果が出てきたんだねー」
時代的にそれはちょっと違うかな。
「例えば『歩』だと一歩ずつ、それも前にしか進めないんだ」
それを聞いて大橋さんは立ち止まり、一歩前に歩いた。
「こんな感じ?」
「そう」
「でもなんで前だけなの? 後退のネジを外してるの?」
「え? た、多分一番下っ端だから下がるなって命令されてるんじゃない?」
「なるほど。『王』って悪い人なんだね。その『王』はどう動くの?」
「『王』は上下左右、斜め。とにかくどこにでも一歩進める」
「家来には前にしか行くなって言っておいて自分はどこにでも行っちゃうの? そんな自分勝手な人にみんなついていくのかなー? せっかく個性豊かなのに締め付けちゃったらクーデターとか起こらない? 駒がいきなり反転するとか」
「怖いよ。でも駒を取られたら味方が敵になるからあながち間違いでもないかな……」
「でしょ? やっぱりみんな『王』のことが嫌いなんだよ。絶対陰口とか言ってると思う。『あのパンツ好きのヘンタイ野郎が』とかって」
王って僕なの?
「いや。でも『王』から解放されても『玉』の部下になるだけだし……」
「それって転職しても給料変わらないみたいで可哀想だよ。もっと良い待遇の職場はないの? チェスとかは?」
「チェスは失職したら永遠に無職だよ」
「やっぱりヨーロッパって厳しいんだねー」
なぜか将棋の話が日本と欧州の雇用の違いみたいになってる。
大橋さんは悔しそうにした。
「ねえ。なんとか給料が上がる方法ってないの?」
「その給料ってのがよく分からないけど、役職的に上がる方法はあるよ」
「それってどうするの?」
希望が見えてきたのか大橋さんの顔が明るくなる。
「敵の陣地に入っちゃえばいいんだ。そしたら裏返って『歩』は『と』になれる。まあ『金』だね」
「あ。それ知ってる。ポンってやつでしょ?」
「うん。違うね。成るってやつだよ。パワーアップするの。大橋さんが見たのって本当に将棋なの?」
「うん。ちゃんと四人でやってたよ」
完全に麻雀だよそれ。
大橋さんはホッとしていた。
「でもよかったー。頑張れば報われるようにできてるんだね。世の中捨てたもんじゃないよ。他にはどんな駒があるの?」
「『金』『銀』『桂馬』『香車』『飛車』『角』かな。それとさっき言った『歩』と『王』の八種類」
「へー。結構少ないんだね。どんなことする人達なの?」
人達?
将棋の駒って人なのかな?
「えっと、例えば会社で言うと『王』が社長で『金』が副社長かな。『銀』が取締役で『飛車』と『角』が実働部隊のトップだから部長。『桂馬』と『香車』は課長くらい? 『歩』は平社員」
「じゃあ将棋を指す人は株の過半数を握った投資ファンドのCEOだね」
なんか生々しい例えだな……。
「まあ、そうかな」
「課長ってなにしてるの?」
「えっと『桂馬』と『香車』? 『桂馬』は駒を飛び越えて動けて、『香車』はまっすぐにならどこまでいけるよ」
「なんかどっちも癖があって人付き合いが下手そうだね。だから課長止まりなんだ」
そんな理由なのかな?
「でも敵陣まで行くと『金』になれるよ」
「おー。大出世だ」
「でしょ?」
「まあ従業員二十人しかいない会社の副社長だけど」
身も蓋もないな。
「部長は?」
「『飛車』は縦横ならどこでも行ける。『角』は斜めならどこへでも行ける。この二つはとにかくたくさん動けるんだ」
「おおー。足で稼ぐタイプだね。この人達が出世したらどうなるの?」
「『竜王』と『竜馬』になっていけなかったとこにも一歩ずつ行けるようになる」
「それって最強じゃない?」
「うん。だから将棋はこの二つの駒をどう動かすかなんだ」
「成長して経験を積んだら独立して大成功! って感じだねー」
独立しちゃったら戦ってくれるのかな?
「じゃあ取締役は?」
「『銀』は左右と後ろには行けないけど前と斜めならどこでも一歩行ける」
「社内の様子は見ないけど上司と取引先の顔色は窺う。まさしく取締役だね!」
そう言われたらそうかも……。
「きっと不祥事が起きたらこの人が矢面に立って謝罪会見とかするんだよ。『本日はうちの香車が突っ走ってしまって申し訳ありません』とかって」
「社長じゃなくって?」
「それは粉飾決算とかやっちゃった時。取締役が敵陣まで行ったらどうなるの?」
「『金』になるよ。副社長」
「そしたら平社員も課長も取締役も敵のとこまで行ったら副社長になるの? そしたら最後の方は副社長ばっかりになっちゃうじゃん」
「なっちゃうね」
「副社長ってあんまり必要ないのかな? じゃあ副社長が敵陣まで行ったらどうなるの? 社長になるの?」
「ううん。『金』と『王』は成れないんだ。ずっとそのまま」
それを聞いて大橋さんは眉をしかめた。
「えー。そんなのダメだよ!」
「ええー……。ダメって言われても……」
「だって社員は頑張ってるのに上の人が成長する気がないなんてそんなのダメ! 社長も頑張ってやり手社長にならないと! どこでも制限なく行けるくらいに! 副社長も社長の後継者になるつもりでやってもらわないと」
「でもそしたら強すぎるよ。誰も『王』を取れなくなっちゃう」
「いいの。会社のトップにはそれくらいのリーダーシップが必要なんだよ。株主総会でも全会一致で『王』が『超王』になることを認めます」
そんなサイヤ人じゃないんだから……。
「『王』の後任は『金』とします。それでは次に『竜王』と『竜馬』に対する敵対買収を話し合いたいと思います」
敵になってるし。
まあ将棋ならあるあるだけど。
「ちなみに株主優待は鰻重です。お昼休みに食べてください」
あれって株主優待だったんだ……。
なんか色々間違ってるけど、とにかく大橋さんは将棋のルールを覚えたようだ。
「まあそんな感じで最後に相手の『王』に近寄ったら王手。相手が逃げられなかったら勝ちなんだ」
大橋さんはまた嬉しそうにした。
「あ! それも知ってる! ロン!」
「どうやら次は麻雀のルールを教えないとダメみたいだね……」
僕は呆れながら大橋さんに『まった』をした。
追記 将棋で『まった』をすると反則負けになる。実際、加藤一二三九段が『まった』をして協会から処分を受けている。
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