第19話・神

 放課後。

 図書室に入ると大橋さんが十字架を持って待ち構えていた。

「篠塚君は神を信じますか?」

「…………へ?」

 神妙な面持ちの大橋さんはどこか神々しい。

 それにしてもいきなりどんな質問をぶっこんでくるんだ。

「ちなみにわたしは信じてません」

「あ。そっちが先に言っちゃうんだ……」

「だって神様がいたら篠塚君に友達がいるはずだもん」

 僕の友人関係で神の存在証明がされてる……。

 でもたしかにそうかも。

 べつに神様がいてもいなくてもいいけど、なんだか信じる気が失せてしまった。

「まあ、僕もかな……。でも日本人ってそんな人ばっかりじゃない?」

 席に着くと大橋さんは十字架から包装をといてぱくっと食べた。

「買ってみたけどまあまあだね。クロスチョコ」

 チョコなんだ。

 あんまり図書室で飲食はよくないんだけど……。

 まあ誰もいないし本も汚してないならいっか。

 大橋さんはもぐもぐと十字架を平らげた。

「でもね。篠塚君」

「うん。あ。口の横についてるよ」

 大橋さんは指でチョコを拭いた。

「取れた?」

「うん。で、なに?」

「だからね。世界には神様を信じてる人の方が多いんだよ」

「あー。そうかもね。宗教っていっぱいあるし」

 そのせいで色々とトラブルも起きてるみたいだけど。

「でも篠塚君は神様を信じてないんでしょ?」

 半分大橋さんのせいだけどね。

「うん」

「じゃあどうしたら信じられる?」

「え? どうって……どうだろ?」

「例えばこれは?」

 大橋さんは予め用意していたらしいよくわかるキリスト教という本を取り出した。

 どうやら僕を待っている間に読んで影響されたらしい。

「イエスキリストは色々と奇跡が起こせたんだって。だから周りの人も『あれ? この人もしかしたら神なんじゃない?』ってなったんだよ!」

 そんな軽いノリだったのかな?

「ふ~ん。奇跡ってどんな?」

「水をワインに変えたり」

「へえ」

「湖の上を歩いたり」

「歩いちゃうかー」

「いちじくの木を枯らしちゃったり」

「枯らしちゃったか……」

「そんな感じの奇跡を起こしたの」

「へえ」

 なんか最後だけあんまり奇跡っぽくないけど……。

 すると大橋さんは胸元に手を当てた。

「ねえねえ篠塚君♪」

「なに?」

「わたしが水をワインに変えたら神として崇めてくれる?」

 すごい質問だな……。

「ワインか……」

「サイダーとかでもいいけど」

「できるの?」

「多分。多少頑張ればできそう。ジャジャーンって感じで」

「それだと手品みたいじゃない?」

「でも相手に分からなければ奇跡と同じでしょ?」

 まあ、たしかに。

「だけどそれで『わー神様だー』とは思わないなー」

「じゃあ湖の上を歩いたらどう?」

 僕は湖の上を歩く大橋さんを想像した。

 白いワンピースを着て微笑んでいる。

「まあ、大橋さんなら驚かないかな」

「ええー。なにそれー」

「いやなんかやっちゃいそうだし。実は足下に透明な板があって、『びっくりしたでしょ?』とか言いそう」

 図星だったそうで大橋さんは目を逸らした。

 どうやら今日の大橋さんは僕に神だと崇めてほしいらしい。

「じゃあいちじくの木を枯らしたら?」

「う~ん。僕がびっくりしても大橋さんが悲しみそう」

「うん……。悲しい……。だっていちじくの木は悪くないもん……」

 しくしくと泣く大橋さんの背中を僕はよしよしとさすってあげた。

 まったく忙しい子だ。

 大橋さんはすぐに泣き止んで顔をあげた。

「もういいや。神になんてならなくても」

 なる気だったのか……。

「じゃあさ。篠塚君が神になるにはどんなことしたらいいのかな?」

「え? 僕が?」

「うん。十字架に張り付けてそこから復活してみる? そしたら友達だってできるかもね」

「多分復活するより友達作る方が楽だよ。そもそも神になりたいわけじゃないし」

「そっかー」

 大橋さんは頬杖をついてなにかを考えていた。

 そして思い詰めたようにぼそりと言った。

「……だけどさ。イエスさんが復活した時、みんなどう思ったのかな?」

「どうって奇跡が起きてすごいって感じじゃない?」

「そうかなー? もし篠塚君が張り付けにされて生き返ったら、わたしは心配するけど」

「心配?」

「だって痛かったんでしょ? 寂しかっただろうし。復活してもそれは変わらないわけじゃない?」

「まあ、そうかも……」

「けどみんなは奇跡だって讃えて、イエスさんは神様になって。そしたら多分、もう誰にも心配してもらえないんだよ。友達同士の楽しいお話だってできない。それってなんだか寂しくないかな?」

 大橋さんはまた悲しそうな顔をする。

 大橋さんは基本的に優しい。

 神様の心配をしちゃうくらいだ。

 僕には厳しいことも言うけど、もしかしたら心配されてるからかもしれない。

 大橋さんは不安そうに僕を見つめた。

「篠塚君は神様にならないでね?」

 そもそもなれないよ。

 だけどもしなれるのなら少しはなりたいかもしれない。

 全知全能でなんでもできるなんて憧れる。

 でもそれで大橋さんが悲しむならやっぱり寂しい。

 僕は大橋さんを安心させるために頷いた。

「うん。なれてもならないよ」

 そう言うと大橋さんは安心していた。

「よかったー。わたし篠塚君をどう崇めたらいいか分からないもん」

 そんな心配してたのか……。

 確かに大橋さんが僕を崇めてる姿は想像できない。

 大橋さんはほっとするとマンガコーナーで色々と物色し始めた。

 そしてハッとして『ブラックジャック』と『鉄腕アトム』を掲げる。

「これもある意味聖書なのかな?」

「……たしかにそうかも」

 日本人はこっちの方を信奉してる人が多そうだ。

 マンガを読んでる時の大橋さんは女神のように穏やかで大人しかった。


 追記 聖書の中のイエスはやたらと魚を釣らせたり、食べさせたり、魚の口の中から銀貨を出したりするくらい魚好きだったりする。あと嵐を止められる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る