第10話・ドッペルゲンガー

 放課後。

 もうすぐテストなので僕は図書室で勉強していた。

 うちの学校には立派な自習室があるので図書室で勉強してる人は皆無だ。

 すると図書室のドアが静かに開けられる音がした。

 だけど僕は顔を上げない。

 誰が来たか足音で分かったからだ。

 この軽くて楽しげな足音を奏でられるのは僕の知る限り一人しかいない。

 その足音の持ち主は前の席に静かに座った。

「あ。篠塚君勉強してるの? えらいえらい♪」

 僕はなぜか大橋さんに頭を撫でられた。

 こう見えて大橋さんは勉強ができる。

 どうやら巨乳は頭が悪いっていう通説は嘘らしい。

「なんの教科やってるの?」

「数学。昔から苦手なんだよね」

「あー。篠塚君って文系顔だもんねー」

 初めて言われたな。

 大橋さんは自分を指差すようにほっぺたをぷにっとする。

「わたしも文系顔なんだよ♪」

「…………それってどんな基準なの?」

「勘です」

「勘ですか……」

 なら仕方がない。

 聞くだけ野暮だ。

「わたしも勉強しよー」

 大橋さんも鞄を広げ、教科書とノートを取りだした。

 細い指で細いシャープペンをくるりと回す。

 どうでもいいけど女子って細いペンが好きな気がする。

「まだ中間だからいいけど、期末になると教科が多くて大変だよねー」

「うん。僕はもう捨てちゃう教科とかあるよ。単位取れればいいかって」

「だめだよ。学生の仕事は勉強なんだから。ちゃんと勉強してください」

「……はい。すいません……」

 なにも言い返せなかった……。

 まさか大橋さんからこんな正論が飛び出すとは……。

 しばらく僕らは真面目に勉強をしていた。

 ちらりと前を向くと、大橋さんの大きな胸が机に乗っている。

 谷間の辺りで下着がちらちらと見えて集中力が続かない。

 そんな僕が苦手の数学に苦戦していると、大橋さんがどこか自慢げな顔をしてくる。

「分からないことがあったら教えてあげよっか?」

「……いや。いいよ。大橋さんの邪魔しちゃ悪いし」

 あと色々と無邪気に馬鹿にされそうだ。

 なんでこんなことも分からないのー、とか。

 大橋さんはつまらなそうにペンで鼻の頭を掻いた。

「ふ~ん。そっか……」

 かと思えばなにか思いついたと顔を明るくする。

 これはまず間違いなくお話だな。

「ねえねえ篠塚君♪」

 やっぱりきた。

「なに?」

「わたしこの前ドッペルゲンガーの映画見たって言ったでしょ?」

「あー。言ってたねー。それが?」

「だからね。こういう時わたしが二人いたら便利だと思わない?」

「二人?」

「そう。一人目のわたしが普通に勉強して、もう一人のわたしが篠塚君に教えてあげるの。どう?」

「どうって言われても……」

 僕は二人に増えた大橋さんを想像した。

 ことあるごとに右から左からあの『ねえねえ篠塚君♪』が聞こえてくる。

『ねえねえ篠塚君♪』

『今わたしが篠塚君とお話しようとしてたのにー』

『わたしだって篠塚君とお話したいよー』

『しかたないなー。じゃあ二人で一緒にお話するからちゃんと聞いてね?』

『それしかないね』

 ……地獄だ。

 聞き漏らしたらすぐに拗ねそうだし。

「その場合は僕も二人必要かな……」

「あ。それもお得でいいね♪」

 僕が増えるとお得なのかな?

 でも一人が数学やってもう一人が英語やるとかなら便利かも。

 時間の短縮になるし。

「たしかにいいかも」

「でしょでしょ? じゃあやってみようよ」

「……やってみる?」

「そう。今からわたしが二人分話すから、篠塚君も二人分答えてね」

 めちゃくちゃ難しそうだ……。

「篠塚君はどの問題が分からないの?」

「え? えっと、これとかかな」

 僕は問題集の練習問題を指差した。

「篠塚君は次の土曜日暇?」

「え? テスト終わったら暇だけど」

「この問題はね。複合問題なの」

「あ。そうなんだ」

「だったら映画見にいかない? 見たいのがあるんだけど」

「映画? それってどんな映画なの?」

「まず教科書のここを見て」

「ここ?」

「恋愛映画だよ」

「恋愛?」

「そう。この例題解ければ分かるから」

「あ。そうなんだ」

「で、行けるの?」

「どこに?」

「二次関数はね――」

「ちょ、ちょっと待って!」

 僕はたまらずストップをかけた。

 頭がこんがらがってパンクしそうだ。

「む、無理だよ。これ聞く方が不利すぎない?」

「もー。そんなことでどうするの? わたしが二人になったらこれが同時進行だよ?」

 やっぱり地獄だ。

 僕は机に突っ伏した。

 頭が疲れてこれまでやった勉強内容が煙となってしゅわしゅわ出ていく。

「やっぱり無理だよ。僕には荷が重すぎる」

 大橋さん一人でも持て余してるのに……。

「大橋さんは一人で十分だよ。それにドッペルゲンガーって出会うと死ぬって言うし」

「どっちが?」

 大橋さんは首を傾げる。

「え? オリジナルじゃない?」

「どっちも同じ記憶を持ってたらどっちがオリジナルなの?」

「そ、それは……」

「そもそも出会うと死ぬならどうしてそんな話が広がったの? 死んじゃったんでしょ? 殺した方が言いふらしたりしたの?」

「え? いや……」

「ねえねえなんでなんで?」

 大橋さんは腕を伸ばして僕の肩をゆすった。

 目の前では二つの大きな胸がぶるんぶるんと揺れている。

 先程から頭を使いっぱなしの僕はもう限界だった。

 思考しようとしても脳が燃料切れで動いてくれない。

 それでも唯一思ったことがある。

 大橋さんが一人でよかった……。


 追記 ドッペルゲンガーには諸説あり、幽体離脱や精神的に弱った時に見る幻覚だという説もあるらしい。

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