第9話・質問
うちの学校の図書室はいつもがらんとしている。
昼休みも放課後も生徒が来ることは滅多にない。
昨今若者の本離れが叫ばれているけど、まだまだその状況は続きそうだ。
なんて達観していると入り口の引き戸がガラガラと開けられて、ハートの髪留めがちらりと見えた。
大橋さんは本を整理していた僕を見つけると顔を明るくし、小走りで近づいてくる。
かと思えばここが図書館だと思い出したのか、司書の先生をちらりと見てからゆっくり歩いてきた。
ただこっちに来るだけでも騒がしい子だ。
「ねえねえ篠塚君♪」
「なに?」
僕は哲学の本に積もった埃をはたいた。
デカルトなんてこの学校の高校生が読む日は来るんだろうか?
「篠塚君は本当に篠塚君なの?」
「…………はい?」
ついに僕は存在さえ否定されてしまうのだろうか?
パンツが好きと言ってしまっただけでこんなことに……。
「……本当にってどういうこと?」
「だーかーらー。篠塚君はしっかりまるまる篠塚君なのって聞いてるの。寝て起きたら別の篠塚君になってたりしない?」
「多分しないと思うけど…………」
ただ断言できないところがこの質問の恐ろしいところだ。
今日の僕は昨日の僕と同じ僕なのだろうか……。
考えると寒気がした。
「な、なんでそんなこと聞くの?」
「昨日ね、テレビでやってた映画を見てたの。そしたらドッペルゲンガーって人が出てきて、同じ顔で同じ声だったんだ。それ見てわたし篠塚君が篠塚君なのか心配になっちゃって今に至ります」
「至っちゃいますか」
そこでなんで僕が出てくるんだろう?
「ねえ、篠塚君」
「……なんですか?」
僕らは向かい合って机についた。
「今から篠塚君が篠塚君かを確かめるクイズをします。答えられたら篠塚君は篠塚君です。いいですね?」
「……答えられなかったら?」
「その時は、その時です」
神妙な面持ちの大橋さんに僕はごくりと唾を飲んだ。
答えられなかったら一体どうなるんだろう?
「では質問です。篠塚君は女の子のパンツが好きですね?」
「ええ!?」
いきなりすごく答えづらい質問が飛んできた。
しかも半ば決めつけてるし。
これいいえって答えたら僕は僕でなくなって、はいって答えたら僕は大切なものを失うんじゃないの?
僕が恥ずかしがりながら考えていると、大橋さんは壁にかけられた時計を見上げた。
「残り五秒です。答えられなかったら篠塚君は篠塚君じゃないので罰を受けちゃいます。4、3、2、1……」
「……好き……です」
僕は半ば自棄になって答えた。
すると大橋さんはジトリと僕を見つめる。
「正解……」
正解なんだ……。
「というか僕が僕なのか確かめる質問がそれなの?」
「質問への質問は受け付けてません」
そんな横暴な。
「第二問。篠塚君はわたしがドーナツを食べたいって言ったら一緒に行ってくれますね?」
「……これ、いいえって答えたらどうなるの?」
「怒ります」
「……じゃあ、はい」
「正解です」
誘導尋問だ。
それになんかおかしな方向にずれてるような……。
それから僕はいくつか質問を受けた。
「好きな本は?」
「好きなドラマは?」
「今なんのアプリをやってる?」
「朝ご飯なに食べた?」
その他諸々に僕は答えた。
「では最後の質問です」
「はい……」
ようやく解放される。
なんかただ個人情報を抜かれながら色々命令されただけな気がする。
「篠塚君はどんな女の子が好きですか?」
「え? 好き?」
「そう。どんな子が好きなの?」
なんだかこの質問だけ大橋さんから感じる圧力が違う。
大橋さんは顔を近づけ、僕の瞳を覗き込んだ。
「……や、優しい子かな……」
僕が漠然とした答えを告げると、大橋さんはむっとした。
「もっと詳しく言ってよー」
「ええ? ……う~ん」
僕は考え込んだ。
よくよく思い返すと僕はこんな女の子が好きっていうのをあまり意識したことがない。
そうだ。
今まで好きになった女の子を思い浮かべたら……。
そう言えば中学の時に好きだった小宮さんは別の学校に行っちゃたんだよなぁ。
じゃなくて!
えっと小宮さんは――
「じゃあ細かく質問していくから答えてね?」
痺れを切らした大橋さんが不機嫌そうに僕を見つめる。
「ええ……」
「髪の長い子は好き?」
えっと、小宮さんは長かったかな……。
「はい……」
「胸は大きい方が良い?」
たしか小宮さんはスタイルがよかったはずだ……。
「はい……」
僕が小宮さんを思い浮かべて答えると、大橋さんはなぜかご機嫌になっていく。
「明るい子が好き? それとも大人しい子?」
「えっと、明るい子かな……」
「背は高い方がいい?」
「いや、そうでもなかったけど……」
「料理は上手い方がいい?」
家庭科の時、小宮さんの班だけプロみたいな盛りつけだった気がする。
食べてないけど。
「多分、うん……」
大橋さんはどんどん笑顔になっていく。
どうやら正解を言えてるらしい。
「じゃあこれで最後ね。篠塚君はお話が好きな女の子は好きですか?」
えっと、小宮さんは明るいけど相手に合わせるタイプだったんだよなー。
どっちかと言えば聞き上手なタイプだ。
聞いてもらったことないけど。
「いや、あんまり」
僕がそう答えると、大橋さんはあんぐりと口を開け、悲しそうな顔になった。
かと思うと怒り出し、頬をふくらませる。
「不正解! 不正解だよ篠塚君! こんな篠塚君は篠塚君じゃない! リコールに出さなきゃだよ!」
「ええっ!?」
大橋さんは涙目になって立ち上がると、ぴゅーっと走って図書室から出て行ってしまった。
「なんだったんだ……」
僕はよく分からず呆けていた。
結局僕は僕じゃないらしい。
まあ、僕が僕だと証明するのは難しいんだけど……。
それからまた立ち上がり、僕は本の整理を続けた。
するとさっきの本が目についた。
デカルトの方法序説だ。
そこにはこう書いてある。
『我思う、故に我在り』
僕は僕を僕だと思ってる、でも大橋さんは僕を僕だとは認めてくれない。
デカルトの言葉を額面通り受け止めると、僕は僕なんだろうけど、それだけじゃやっぱり寂しかった。
「……難しいなあ」
大橋さんはどうしたら僕を僕だと認めてくれるのだろうか?
とりあえず、ご機嫌を取るためにもしばらくお話にはきちんと付き合わないといけないらしい。
追記 デカルトの有名な言葉の意味は存在を疑った上で疑えないものは存在することを指しているらしい。つまり、自分の存在を疑っている自分はその問いを生み出しているのだから確実に存在するということらしい。
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