第3話・ドーナツ 改稿

「お腹空いたからドーナツ食べたい」

 ホームルームが終わり、僕が帰ろうとすると隣の席で大橋さんがそう言った。

 独り言……かな?

 僕が鞄に必要な物を入れて立ち上がるとまた大橋さんがごにょごにょ言う。

「チョコがたっぷりかかったドーナツが食べたい。いっぱい食べたい」

 よく分からないけど多分大橋の机には穴が空いていて異世界へと繋がってるんだろう。

 うん。きっとそうだと僕は自分に言い聞かせて席を立つ。

 だけど前に進めなかった。

 大橋さんが僕のリュックをぎゅっと掴んでたからだ。

「ドーナツ!」

「あ。僕に言ってたの?」

「ドーナツ!」

 大橋さんはこくんと頷いた。

 もはやこういう鳴き声のモンスターみたいに見える。

 僕はポケットからこの前もらったクーポン券を取りだし、大橋さんに渡した。

「これ使うと二十円引きになるから。じゃあ、また明日」

「ちょっ!」

 結局そのあと引き止められ、僕は大橋さんと駅前のドーナツショップへ行くことになってしまった。

 しかもドーナツを奢らされた。

「わたしのパンツ見たんだからこれくらいはね」

「あんまり大声で言わないで欲しいんだけど……」

 それに見たっていうか、見せられたって感じだったし……。

 辟易とする僕もに気にせず、大橋さんは美味しそうにもぐもぐしてる。

 まあ、いいか。にしてもなんで僕に構ってくるんだろう?

「ねえねえ篠塚君♪」

 ほらきた。

「……なに?」

「ドーナツってなんで穴が空いてるの?」

「……え? な、なんで?」

「うん。ねえねえどうして?」

 言われて見ればなんでだろう? 

 僕はドーナツを見つめて考えた。だけどよく分からない。

 とりあえず検索してみようと思ってスマホを取り出すと、大橋さんに怒られた。

「わたしは篠塚君に聞いてるの!」

「そんなこと言われたって……」

 ああそうか。大橋さんは僕とお話がしたいんだ。

 そうじゃなかったら自分のスマホで検索してるはずだし。

 僕はドーナツを持ち上げてみた。

 穴の向こうに大橋さんの笑顔が見える。

「でもなんでだろ? あ。あれかな? コストを下げる為とか? 穴の分だけ生地が要らないから安くなるでしょ?」

「そ、そんな……。わたし達は知らず知らずの内に搾取されてたってこと……」

 冗談で言ったのに大橋さんはショックを受けていた。

 ガクガク震えながら定規を取りだして穴の直径を測る。

「こっちは1センチ……。こっちは1.5センチ……。あ! これなんて3センチもあるよ! 酷い! 酷すぎるよ! これじゃ全然紳士じゃないよ! ミスターじゃないよ!」

 ぷんぷん怒る大橋さんに周りの視線が集中する。

 目の前で揺れる大きな胸を見てると僕まで恥ずかしくなった。

「いや、多分だから。それともう少し落ち着いて……」

「なんだ多分かあ」

 大橋さんはホッとしてドーナツを頬ばった。

「でももしそれが本当なら、わたしみたいに年がら年中ドーナツを食べてる人としては見過ごせませんなぁ。だって穴が五つくらいあればドーナツ一つ分だよ? せめて五つ食べたらもう一つあげますキャンペーンをすべきじゃない?」

 大橋さんはぷくっと頬を膨らませた。

「いや、そんなに食べたら体に悪いし……。あ。もしかしたら健康を気遣って減らしてくれてるのかも!」

「そんな気遣いはいらないよー」

 あれ? 自分に都合の悪い仮説は否定しちゃうの?

 大橋さんはもぐもぐと食べている途中に目をぱっちり開けた。

「思いついた! こういうのはどう? あのね。ベルリンの壁ってあったでしょ? あれって実はドーナツでできてたの!」

 ……うん?

「でねでね。自由を求めて壁を見てた人がある日この向こうを見てみたいって思って壁を食べ始めたんだ。そして丸い穴を開けたの。で、その人の名前がドーナツさんだったから偉業を讃えるためにドーナツには穴ができましたとさ。めでたしめでたし」

 大橋さんはこれしかないとどや顔を決める。

 ……どこからツッコんだらいいんだろう?

「そ、そもそもなんでベルリンの壁を食べることができたの?」

「壁を造る職人の一人が後でこっそり食べる為にドーナツにしてたんじゃない?」

 じゃないってなに?

 こっちが聞いてるんだけど。

「とにかくドーナツさんが最初にベルリンの壁が食べられることを見つけたんだよ。で。ドーナツさんが壁を食べてるのを見て、誰かが『おい。あいつ壁食ってるぞ』って言い出して、周りの皆も『マジかよ。壁って食えるのかよ』ってなったの。それからみんなで壁を食べて自由が訪れたんだよ」

「よく周りの人は壁を食べてるドーナツさんを見てそれに続こうと思ったね」

「だってドイツ人だし。壁くらい食べるよ」

「その偏見はどこから来るの?」

「もー。そんなことはどうでもいいの」

 一番大事なところだと思うけどな……。

「とにかくドーナツさんの栄光にかんぱーい♪」

 大橋さんは僕が持っていたドーナツに自分のドーナツをこつんと当てて嬉しそうに食べた。

 僕は苦笑しながらもドーナツを見つめた。

 きっと大橋さんにとって話のネタにさえなればドーナツに穴が開いていることなんてどうでもいいんだろう。

 だとしてもドーナツの穴から歴史を改編してしまうんだからすごいと言えばすごい。

 何気なく食べている物でも、よく見る物でも、いつも使っている物でも、大橋にかかればなんでもお話になってしまうようだ。

 なんだか大変な女の子に捕まってしまったなと思う反面、この子が見ている世界を共有したいとも思う僕がいた。

 少なくとも大橋さんといれば退屈することはないようだ。

 大橋さんの出会いは僕という壁に穴が開いた瞬間だった。 

 

 追記。 ドーナツの穴は全体に火が通りやすくする為につくられたらしい。

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