第4話 私を知らない
*
人工灯が少なくなればなる程、黒の塗料が映えて、夜はより一層綺麗にみえると気付いたのは、どの夏休みだっただろうか。
私は、おぼろげな記憶しか持たない。年におよそ一日分。かすかに覚えている誕生日前後の記憶を手繰り、私は成り立っている。このような状況故に私が特別に覚えている事柄は、彼の強い衝動や欺瞞や興奮。さまざまな叫びや呻き、葛藤であった。
十一歳の誕生日を迎えたあの日、この綺麗な空に似合う静寂な夜に、彼は世界の端と出会った。その年の世界の端は、頬を流れる黒髪が艶々と美しく、いつも穏やかに話しかけてくれる保健室の先生であった。
穏やかなその人に好意を寄せていたけれど、先生が時折みせる凛とした横顔がなにより一番好きだった。身体中の鼓動が熱く熱く反応を返したのを覚えている。全身が燃えあがるように恥かしくてどうしてだろう後ろめたくもあって、それなのにこっそりと横顔を眺めるのをやめられなかった。そんな初恋だった。
初めての遭遇は、初恋の彼女と瓜二つであった。これらの濃密な記憶は、彼の中にも私の中にさえ、未だ極彩に刻まれている。
十一歳の誕生日に成八が起こしてしまった恋情との遭遇は、それでもこぼれるような優しい笑顔で手を振りあって終わりを告げた。忘れられるはずがない。
その時に感じたあたたかな気持ちを、たくさんの想いを、近頃の彼は取りこぼしてしまっている。黒々とした瞳は一切の感情を灯さず、臆面した私は飲み損なった息に喉奥を細く鳴らした。
なんとか場を繋げるべく、私は話題を変えることにした。
「大丈夫、だいじょうぶ。正確にはまだあと三時間あるでしょ」
いつの間にか、足は止まっていた。肌をなぞる風は慰めにもならない。
暑い。早くしないと溶けてしまう。
私は少しばかり呼吸を整えると、慎重に言葉をかけた。なにより正しく認識してほしかったのだ。
この誕生日恒例式には規則が存在している。私は全ての規則を把握しているわけではないが、経験上大まかな決まり事を理解していた。
決まり事。それは、成八の生まれた八月三十一日午前三時までに何らかの方法をもって異変を解決すること。
私は今回、解決されるべき世界の端として、成八の中からつま弾き出された。
悲しいと思った。私はとうとう成八にとっての異物になり下がったのか。しかし、わからないとも思う。
過ぎゆく季節の中で成長していくのが人間だ。ただ、成八が大人になるために切り離したどれが私なのか、皆目検討もつかない。だって本来なら私は、カタチを持たぬモノだから。
成八は私の存在を知らない。知るはずがない。
私は成八とともに世界の全てを見てきた。けれどそれは、私が一方的に成八を理解していただけで、成八と私に相互性はあり得ない。私の居場所は、成八に絶対に見つかることのない、成八の心の端っこだったから。
切り離された。
私とは誰なのか。
解決されるべき私を、彼は知らないでいる。
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