第3話 シャラシャラと

 八月、迎えた夏休み最終日。

 コンビニからどよんと這い出た成八を呼び止め、私は小さな声で祝辞を述べた。──誕生日、ご愁傷様。言い慣れたはずの祝福は、何故だかぎこちない響きをともなった。

 誕生日には不相応な祝辞を受けた彼の瞳は、やはり黒々しい。羽化を待つサナギのようにじとっと固まったまま、こちらを見据えている。彼は殊更にゆっくりと口を開いた。


「うん。ありがとう」

 

 成八の返事は、やはりどこかよそよそしい。こんなか細いご愁傷様ではきっと、彼に与えられた安堵感は無いに等しいのだろう。

 いたく臆病者の成八は、おおよそ誕生日とは似ても似つかない言葉を吐かれるほうが、ひどく深く、気が楽になる。

 いっそ誕生日のあれこれを無視してやったほうが良いのではと、頭をひねり心を鬼にして行動に移した前科もあるのだが、それはそれで彼はとっても落ち込んでしまったので、罪業の祝福だけは欠かさず口にすると決めていた。


 三十一日が訪れたばかりの今現在、天気は晴れだ。空に無数の星が瞬いている。見上げた先、浮かぶ月は細い。市街の中心部から少し外れた住宅地で、この時間帯にふらついている人間は余程の理由を持っていると思われるだろう。

 コンビニのガラスに映る姿はひとつだけ。一人の少年の後ろ姿が小さく揺れた。


「このやりとりも八回目だ」

「そうだね」

 

 彼がきつく握りしめた手のひらの意味を、私は知らない。柔らかさの残る手のひらの皮を、食い破らんと爪先が強く丸め込まれる様子に、私は顔をしかめた。痛い。なのに、私には止められない。ただ同じく痛いだけ。どうやったって勝ち目のない暴威に晒されている。

 なんだか急速に涙腺が緩みだした。こんな分かたれた身体では、彼を理解できない。けれど、確信を持って理解した問題があった。ここに存在してしまった私の意義。その理由は、きっと彼を悩ませることとなる。

 しかし一方で、成八の誕生日は私にとって大切な日だ。私が最初にやることを私は間違えない。


「誕生日だ」

 

 独善的な感傷は止めようと、私は大きく手を振った。成八もぼんやりと手をあげてくれている。ギリギリとした痛みは少しだけ遠くなった。

 ちょっとでも気分が晴れればと選んだ誕生日プレゼント。もとい、コンビニ袋を見とがめた成八は慎重に唇を動かした。


「今年こそケーキが食べたい」

 

 その要求は彼の切実な気持ちから生じたのではと、憶測にふける。重苦しい雰囲気を変えようとする気遣いとも受け取れた。

 しかし、成八の切望に無言で否を体現してみせれば、彼はこれみよがしに落胆を全身で表した。


「ケーキ……」

 

 意外なあどけなさを残す少年は、わざとらしい落胆から一転、くるり身を翻した勢いのまま足早に歩き出した。


 私と彼の初めてのお喋りは呆気なかった。まさかの異常事態に、驚愕と恐れを混ぜた滅多にみせない表情をするだろうと予想していた私は、大いに面食らった気分になった。

 彼は、踵を返すというはっきりとした態度をとってはくれたものの、胸裏の秤は平静の域を超えなかったのだろうか。彼の暴威の渦中で、今や私は無力であった。彼をわかりたいのに、どうしてもわからない。

 叶うなら、ただもっと話がしたい。彼と私はようやく対面したのだ。

 私が苦渋している間にも、彼は見えざらなる何かに追われる者のごとく、急ぎ足にコンビニから遠ざかっていく。

 彼のその後を追って、シャラシャラとコンビニ袋がわなないていた。

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