第6話 生物の授業
生物の先生は、1年3組の担任の「空手家」大野先生である。
「起立、礼、着席!」
朝のホームルームで、すでに挨拶済みであるがもう一度改めて挨拶をする、
「えー、卯原。さきほど地学の中村先生から授業妨害との苦情があったけど何かあったのか?」
「あ、はい。少し修正を加えました」
「そうでーす。卯原は悪くないデーす」
「ムシがディベートに負けただけです」
クラスメートの声援が起こる。
「そうか、中村先生は大学を出たばっかりなんだから、あんまりいじめないようにな」
「はーい、了解しました!」
「お前は本当に明るいやつだな。返事だけでなく頼むよ」
大野とメグのやりとりをひやひやして聞いていた生徒たちは何も起こらなかったことに安堵したようで教科書を開く。
「よし気持ちを切り替えて授業に入る。えー、今日は生物および人間の進化について話す。みんなも知っている有名なチャールズ・ダーウインの進化論の話だ」
大野は背を向けて、黒板に木の枝を書き始めた。
「1809年にイギリスで生まれたダーウインは子供のときから昆虫や生物に興味を持ち、ケンブリッジ大学へ進学したんだ。そのころのイギリスの宗教は?はい茶畑!」
1年3組で唯一、茶色に髪を染めている女生徒の茶畑に質問が飛ぶ。
机の上で手鏡を見ながら毛づくろいをしていた茶畑は急に指名されてあせる。
「え、えーと」
「キ・リ・ス・ト・教」
メグが後ろからそっと教える。
「はい、えっとキリスト教です」
「そうだ、当時のイギリスはキリスト教、しかも古い考え方を伝承するカトリック系が支配していた。彼らの論理では『人間は神が創ったもの』であるという考え方が普通に浸透していたころの話だ」
「メグ、サンキュ」
茶畑が振り返りメグに礼を言う。
親指を立てるメグ。
「当時世界の最高峰といわれていたケンブリッジ大学でも、人類の起源に関してはタブー視されていて本質の論議がなされなかった。のちにダーウインは言った『大学では何も学ぶことができなかった』と。その後、彼はイギリスの軍艦ビーグル号に乗りある島の調査に赴いた。その調査に行った島の名前は?ほい広川!」
クラスの一番後ろの席で携帯をいじっていた広川の手に大野の投げたチョークが当たった。
大野は空手だけでなく飛び道具も使えることがこの瞬間判明した。
「痛てっ、何すんだよー」
オールバックの広川は携帯を落としてチョークが直撃した右手をさすった。
「授業中は携帯は使用禁止だといったはずだ。それより質問に答えろ!」
「質問?えーと」
「ガ・ラ・パ・ゴ・ス諸島なんだナ」
隣の席の星が助け舟を出す。
「あ、はい!ガラパゴス諸島です!」
「そうだ、そのガラパゴス諸島で亀の生態を観察したダーウインが種の起源は神が創造したのではなくて、環境に応じて進化していったといういわゆる『進化論』を唱えるようになった」
「保倉、ありがとな」
広川が星に礼を言う。
「礼にはおよばないんだナ」
「この理論をもとにして今から人間の進化を書いていく」
大野はチョークを持って、黒板の木の枝の図の一番下に『哺乳類』と書いた。そして大きく4本の枝の先に牛、馬、犬、猿と区別して書いていく。
「問題はこの猿以降の歴史だ」
右端の枝に書いた「猿」の文字を指差す。
「猿から枝分かれした人類の祖先は400万年前にアフリカで誕生したといわれている。そのころのアフリカは今のような砂漠地帯ではなく緑が広がっていた肥沃な大地であった。それが現代のように砂漠化が進んで、人類はアフリカから出て肥沃な土地を探して旅に出ることになった。このころの人類の名前をなんと言う?おい、足立?」
二本目のチョークが教科書を立てて隠しながら、バイク雑誌に集中していた足立の手に当たった。
着弾の正確さから大野の飛び道具術は完璧であることが誰の目からもわかった。
「痛てっ、何だよー」
「質問だ、足立!」
「質問?んー」
「アウストラロピテクスや」
和泉が小声で助ける。
「あ、ああアウストラロピテクス!」
「サンキュウな、秀!」
「かめへん、かめへん」
「そうだ。このアウストラロピテクスがさらに進化してクロマニヨン人、ネアンデルタール人になり最後はホモ・サピエンスと呼ばれる我々人類に発展していくんだ」
大野は猿から伸びた枝の先を書いていく。
「ちょっと修正いいですか?」
「何だ質問か?卯原?」
先ほど中村先生から苦情を聞いたばかりの大野は少し構えて卯原のほうを見た。
「概ねあっています。しかしあなたたちの祖先は実はネアンデルタールの延長上ではないんです」
「それはお前の意見だろ。教科書にはそうなっていないぞ」
「はい教科書がそう言うのならそれで構いません、試験も先生の言ったとおりに答えますから安心して少し聞いてください」
「なんだ、面白いことをいうなあ卯原。じゃあ言ってみろ」
「脱アフリカを果たした原人たちはシナイ半島から2つのコースに分かれました。ひとつはヨーロッパに行った人種で、これをネアンデルタール人と呼びます。屈強な体を持ったネアンデルタール人は肥沃な土地ヨーロッパで興隆を迎えますが、寒さにより絶滅するのです。一方アジアに向かった人種は厳しい土壌で生き抜くために自然に適応できる体質を何万年もかけて作ったのです。これがあななたたちの祖先のホモ・サピエンスなの」
「『あなたたちの祖先』って卯原お前も入っているのじゃあないのか?」
「さー、また始まりよったで」
「見ものなんだナ」
他の生徒も、さきほどの中村対決を見た後だけに今回の「修正」も興味しんしんで固唾を呑んで見守った。
「そうかお前の理論も一理あるな。先生も実は自分で調べていて、あまりにもネアンデルタール人の人骨の出土が少ないから別のジャンルか?とは思ったことがあるんだ」
「でしょう、私たちが選ぶのは『環境に適応する種』なの。あなたがたの祖先よりネアンデルタール人は屈強であったが故にマンモスとも対峙できるパワーが逆に仇となったのよ」
「そうか、食物であるマンモスや大型生物が寒さで絶滅したからな。後を追ったというわけか」
「そうなの、そういう『脳筋』の種族はわたしたちは興味がなかったのよ。あなたたちは弱くてラッキーね」
「弱者はその弱さを補うために進化をしなければならないか。いや恐れ入ったなそのとおりだと先生は思う」
「安心して。ねえみんな、これが真実なのだけど例によって覚えるのは教科書のとおりよ。いい?」
「ういーっす」
「ほーい」
「ラジャ」
思いがけなく大野が自説を曲げて、あまつさえメグの意見に同調したために喧々諤々のバトルは起こらなかった。
しかしメグの発言のおかげで生徒たちは、授業そのものよりも「学説」と「事実」の違いを認識することによって、今あるものや常識に対して「疑う心」を徐々に芽生えさせていったのである。
キーンコーンカンコン♬
終鈴がなった。
「えー卯原、先生は自分の理論と卯原理論が一致したから賛同したが、他の先生にはもうちょっとお手柔らかに頼むな。担任としてお願いする。以上」
大野が退室する。
「いやー大野のチョーク投げ凄くない?」
「忍者かあいつは?」
「生物より飛び道具の投げ方教えて欲しいな」
「風車の弥七か!」
「お、弥七、いいね。大野のあだ名は『弥七』に決定―」
桐山の判定が出たようである。
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