第115話 証券マンのお遊び

「不正融資」や「偽造」など常軌を逸したドロドロした話が続いたのでお口直しにここらで我々証券マンの夜の遊び方について話したい。


まあ、これも常軌を逸してるのでおそらく現在の人たちには全く理解できない行動が多分にあるから注意して聞いて欲しい。


ご存知の通り、殿方の遊びの基本三原則は「飲む・打つ・買う」であるが「打つ」の異常さは別項目ですでに語ったので、残りの二つを順番に解説したい。



「飲む」


まず夜は顧客や同僚と食事の後には必ず飲みに行くのであるが基本的に飲みに行く場所には以下の3種類があった。


1 スナック

2 ラウンジ

3 クラブ


下に行くほど高級になるのであるがそれぞれの当時の金額は


スナックは5000から7000円

狭い店内に安いつくりのカウンター席とテーブル席が少しあり酒を飲みながらもっぱらカラオケを歌う。

カラオケも8トラックテープの古いやつで歌詞は印刷された紙をファイルに入れてそれを読みながら歌った。


店の姉ちゃんは期待薄。

ていうかそもそもスナックには若い子はいなくてカウンター越しには自分の母親くらいの年増のババアがよく座っていた。


ラウンジは8000から12,000円

カウンターとテーブル席があるがテーブル席には、時々隣にママや姉ちゃんが巡回して座るので意気投合すれば期待あり。


クラブは30,000円以上

赤絨毯でシャンデリアがある豪勢なつくりの店内はボックス席のみで隣には綺麗なドレスで着飾った露出度満点の姉ちゃんが常駐するから期待大。

しかも気に入った子がいれば別途「指名料」を払えばを指名して独占することが可能である。



大体自分たちが自前で遊びに行く場合はスナックやラウンジに行ってカラオケを歌ったり姉ちゃんと馬鹿話をしたりしたものである。


しかし顧客を連れて商談を絡める場合は1人30,000円以上のクラブを使って全て経費で落とした。


客と2人で入って60,000円支払ったとしても何千万以上の契約が取れればそんなものは安いものである。


むしろ「安いところを使うな」とさえ言われた。


このあたりの感覚は何度も述べたきた。


この時に使う高級クラブの相場はだいたい30,000円以上と決まっていたがここにキラ星のように「韓国クラブ」と言う新しいジャンルが日本に入ってきたのだ。


1988年にソウル・オリンピックが開催されて発展途上国であった韓国という国がやっと世界に認知されてきた時代である。


今でこそ台湾クラブ、フィリピンパブ、ロシアクラブなど日本の夜のネオン街は、インターナショナルになったが当時はまだまだ和風一色であった。


そういう意味では韓国クラブと言うのは日本初の「海外クラブ」の先駆けであったと言える。


1980年代後半の韓国クラブはいわゆる「日本攻撃」の第一陣だったのでそのサービスたるや至れりつくせりで非常に人気があった。


何より我々が「韓国クラブ」行く気になったのは初めてクラブ業界では30,000円を切って25,000円で登場したからである。


この差は気分的にインパクトがあった。


100円寿司に対抗した98円寿司の感覚である。


まぁ所詮経費で落ちるから代金などは、いくらでも関係ないのであるがやはり30,000円が25,000円になると言うのは相当インパクトがあったことは間違いない。


しかもご丁寧に本当は25000円なのに40000円の領収書を切ってくれたクラブもあった。


至れりつくせりだ。


おそらく全国の日本のクラブに通っていた連中はこの「韓国クラブ」と言う新しいジャンルに喜んで飛びついたのは言うまでもない。


しかも第一陣の韓国クラブの女の子たちは、気合いが入っていて非常に真面目で日本語や日本人のことをよく勉強しておりさらにサービスも一流であった。


ここで言うサービスとはあくまでも体を張ってのサービスのことである。


日本のクラブの女の子たちは「鼻が高く」陥落するまでに何ヶ月もかかってしかもコストをかけて口説き落とすのが通例であったが、この第一陣の韓国クラブの女の子たちは行ったその日でもうものにできたことが多かった。


理由は韓国にはもともと「キーセン」という文化がある。


これは韓国の伝統風俗で飲み食いと「体を張った」サービスが一体となった成人男性にとっては素晴らしい文化である。


このサービスの本場から来た韓国代表が「価格破壊」と「熱いサービス」を武器に夜の日本を襲ったわけである。


まさしく彼女たちの猛攻で日本中のクラブが「閑古鳥が鳴いた」時代である。


俺は関西しか知らないが関東の支店のやつらもそう言っていたから間違いない。


この攻撃に対抗して慌てて店の代金を30000円を切る日本クラブも現れたがもう遅い。



バブルの時の韓国クラブのお姉ちゃんたちはおそらく例外なく「入れ食い状態」で金持ちのパトロンを何人も作り、自国に帰ったら蔵を立てる人間もいたと聞く。


おそらくこの頃の金融マンのほとんどの家には「韓国語入門」や「初歩のハングル」などと言う本やカセットテープが本棚に並んでいたことはまず間違いない。


俺も車のカセットには「初歩からの韓国語会話」が常に入っていた。


現在のように韓国と日本が慰安婦問題等でこじれる前の話である。


ヨン様に群がった日本のおばさんたちの第一次韓流ブームの前に既に夜の世界ではいち早く韓国を評価していた時代があったのである。

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