第107話 メキシコ・ファンド
これをお読みになっている方も少し考えてみて欲しい。
顧客から預かった1億円が全くゼロになって怒ってる人の家に行く途中の気持ちを想像してみて欲しい。
まさに「針の筵」である。
上村社長の家に着いた。
俺の中では上村社長の家は通称「猫屋敷」と呼んでいた。
なぜ猫屋敷と言うと社長は猫好きで軽く10匹以上の猫を飼ってるからである。
よくわからないが全部「ペルシャなんとか」という高級猫だそうだ。
応接間に通された。
明らかに怒っている上村社長が膝に猫を抱いて座っていた。
ソファーの周りも5-6匹の猫がうろうろしている。
上村社長
「全く、君は1億円の損失を一体どう考えてるんだ」
「私は〇〇証券を信じたんだぞ」
「自分の親がこういうことをされたらどう思う」
「本業で1億稼ぐにはどれぐらい苦労するか知ってるのか」
「たしか、君は『ペレのいるブラジルは大丈夫』とか言ってたな」
マシンガンのような猛抗議を受ける太田君。
「おっしゃる通りです」
「わかっています」
「申し訳ありません」
太田君は一方的に上村社長の恨みつらみを受けるのみである。
しかしこれは想定内。
※
「もうそろそろいいかな・・・」
太田くんは腕時計で30分ほど経ったことを確認してそう思った。
流石は入社3年目の太田君、顧客からの「罵倒慣れ」している。
「社長!その話はさておき、今日はそういうお話を聞きにきたんではありません」と高らかに宣言した。
「なんだと?今、ワシは怒っているんだぞ!」
「わかっています。ですから対策案をお持ちしました」
「何?対策案?」
「はい、その1億円を取り返しにいきましょう!」
「何?どういうことだ」
「今取り返しの銘柄で『メキシコファンド』というのがあります。これでぜひ取り返しにいきましょう」
「君はこの後に及んでまだ私にまだセールスをするのか!」
「社長らしくありませんよ、恨みつらみ言うのだったら女子供でもできます。ここは男らしく取り返しに行く英断をお願いします」
ここで皆さんは先ほど太田くんが支店を出るときに営業課長の「戦ってこい」と言った一言を覚えてるだろうか?
「戦ってこい」は「謝って顧客をなだめてこい」の意味ではない。
証券会社は決してそんな甘い会社ではない。
ズバリ「損失を出した顧客にノルマで困っている商品を売ってこい!」の指示である。
実は今、支店内では「メキシコファンド」というこれまたくだらないファンドの最後の詰めが行われている。
太田君の課ではあと5000万円を今日中に詰め込まなければならない悲惨な状況である。
※
「社長、メキシコファンド5000万行きましょう!」
「君なぁ、頭は大丈夫か。今の状況をわかっているのか?1億損した客に対してまだ5000万のもの売ろうとするのか?」
「社長、冷静に考えてください。普通、大きな損失を出したお客さんに変なもの持ってくるわけないじゃないですか?逆の立場になってみて物事を考えてください!」
心臓に毛が生えていなければ言えないトークだ。
「うーむ」
あまりの勢いに腕を組んでじっと考える上村社長。
猫を撫で出した。
もうひと押しだ。
「社長、『江戸の仇を長崎で討つ』という言葉があります。『ブラジルの仇をメキシコで』討ちましよう!」
「うーむ」
「うちの課長からも『お口直し銘柄』と言われております。ですからここはぜひ社長らしいご英断を!」
「なるほど、『お口直し銘柄』か・・・」
あと一息。
「はい、早い者勝ちです」
大嘘。
「そうか、わかった!もう一回信じてやろうか」
「英断ありがとうございます!さすがは社長です」
この瞬間、見事太田君は課の予算をクリアしたのである。
しかし1年後のメキシコファンドの結果は敢えてここでは語りたくない。
分かり易く言うと「悲惨」の二文字。
まだブラジルファンドの方が良かったくらい。
俺はどうも中南米とは相性が悪いらしいことがはっきりわかった。
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