第51話 対強盗用避難訓練

5月10日 夕方4時


世の中には「銀行強盗」という言葉はあるが「証券強盗」という言葉はない。実際に遭遇したら迷惑ではあるが「証券強盗」という言葉がないことに少し銀行に嫉妬したものである。


実際には証券会社の支店内には銀行に負けないだけの現金や有価証券があったにもかかわらずやはり強盗にとっても証券会社は銀行よりも「敷居が高い」のかなと真剣に思った。


しかし「万が一」に備えて毎年1回は対強盗用避難訓練という傑作な茶番劇をやる習慣があった。


覆面をした強盗役の若手社員藤原君がおもちゃのナイフを持って登場するところで茶番はスタートする。


「やい!金を出せ!」

迫力のない藤原君


「おーい、藤原。もっと凄め!大きい声で!」


「やい!金を出せ!」

もう一回やり直す


「は、はい!」

と笑いながら金を用意する女子社員


ここで当時は機密であったこのあとのシナリオを暴露する。


1 強盗が現れて応対している女子社員に気づいた周りの人間が立ち上がって(そもそもまず立ち上がれるのか?)「支店長!ロンドン支店の橘さんからお電話です」と大声で叫ぶ。


2 それを聞いた営業課長がすぐに机の下の警察に直結してる緊急ボタンを押す。(課長がいなかったらどうすんだ?)


3 男性若手社員はさりげなく店頭の客を出口に誘導する。

(さりげなくできるか?そんなこと)


4 あとは警察が来るまで暴れずに対応する。(向こうが暴れたらどうすんだよ?)


5 もし強盗が逃走したらカラーボール(色が衣服に付着する薬剤が入ったボール)を投げつける。



さてこのような実現不可能なルールの元に非難訓練が続く。


「さあ、支店長こちらからお逃げください。どうぞどうぞ」

通称腰巾着と呼ばれる阿部部長が支店長を裏口の出口に誘導する。


こいつの魂胆は支店長に恩を売りつつ自分は危険区域外に疎開させるつもりだ。そういえば支店長席とこいつの席は裏口近くに配置されていた。 


「少しお待ちください」

と藤原を笑いながら対応する女子社員。


「支店長!ロンドン支店の橘さんからお電話です」と隣の席の社員が大声を出す。(支店長はとっくに非難済み)


営業課長は自分の机の下にある警察に直結しているスイッチを押すふりをする。


カラーボールを持って用意する社員。


「さあ若手社員配置について!」

って配置につけるか?


「OK、OKこんなもんで大丈夫だろ。訓練終了!会議室に集合」

阿部部長の合図で全員が会議室に移動する。


「何か今の訓練で質問、意見のある人は?」


「あの、そもそも若手社員は配置につけますか?」


「そ、そこは臨機応変にな。格闘技系のクラブ出身者も何人かいるだろう?」

まったく無責任な話である。


そういえば我々若手の机は女子の座るカウンターのすぐ後ろであった。あれは今考えるにていのいい防波堤だったのか。


「あの・・・人間は常識外の現実が起こった場合反応ができないと言います」

太田君が手を上げた。


「そうだな、それで?」

阿部部長


「これは向こうも同じだと思います。強盗が来たらその前に別のカウンターででさきほどのように藤原に『強盗のまね』をさせましょう」


「ん?」


「先客がいること知った強盗は咄嗟に反応ができないと思いますが」


「あ、そこで『順番待ちの整理券をお取りください』って犯人に言えばいい!困るぞきっと」


会議室は大笑いになった


「そんなばかなことできるわけないだろ」


「しかし先ほどのさりげなく顧客を誘導しろ!よりも現実的では・・・」


当然のことながら太田君の意見は採用されることはなかった。





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