第20話 いつもドキドキ旗振り小僧



6月1日  午前11時


「おい太田、今いくらだしてる?」


「ああ大久保先輩、30万です。」


「そのうち旗なんぼ振ってるんや?」


「言わんといてくださいね、25です。」


「なんやほとんど旗やないか」


「先輩はどうですか?」


「似たようなもんやオレは100万振っとるからなあ、昼休みに大野社長のところ行ってなにがなんでも作ってこなあかん。」


「大変ですね、がんばってください」


営業マンの先輩後輩の心暖まる会話である。


ここでいう「旗」とは、無理やり申告させられたいわゆるウソの数字の事である。


太田君のように実数5万でも30万と言っている状態の事を差額の「25万の旗を振る」という。


この状態だけでも太田君の心境は「数字をどこで作ろうか」と悩んでるはずなのに、午後1時ともなればまたその上に旗を振らねばならないことになる。


その時の心境を分かりやすく説明すると、例えば結婚相手もまだいないのに、結婚式の日と式場を予約して親族一同に案内状を出してしまった場合を想定していただきたい。


ドンドン式の日が迫ってくるにつれて早く相手を探さなくてはと、やきもきし いる状態である。


式当日ともなれば、そのあたりの駅にでも行って見ず知らずの人に「とにかく理由は聞かずに私と結婚して下さい」と頼むしかない。


これが前出の2時50分の状態である。


それが毎日エンエンと続くのであるから証券マンの精神は並大抵ではない。


株式の手数料と同様に投資信託の募集もまた営業マンたちは「旗」をふる。


全くできてなくても「1000万です」とか言わないと帰してくれないものだから、ほとんどが「旗」の集合体の数字となる。


営業課長も自分も営業マン時代の経験からほぼ「旗」とわかっていながらもそのウソ数字の申告を支店長に出すのである。


支店長も自分の営業課長時代の経験から、その数字をウソとわかってても本店に出す。


この虚偽の数字のつじつまあわせのために全員が無理してでも奔走するのである。


ちなみに振った「旗」がうまらない場合(先程の例で言えば結婚式が始まっても相手がいない場合)には「旗をおろす」といっていわゆる「降伏宣言」を出すのである。


これをやるともう支店内では人間として取り扱ってくれないものだから皆これを避けようとして必死にならざるをえない。


「旗をおろす」のは男として「公衆の前で局部をさらすようなもの」だと、筆者もよく先輩連中から言われたものである。

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