第14話 転覆「仕切り丸」

4月15日  

午後9時


「川崎代理、支店長がよんでるぞ!」


「おーいもう客が寝てしまう時間だぞ、まだ伝票出ないか?」


「みんながんばってるんですですが、まだ変わってません」


「どうするんだ!おい!大森課長、おまえんとこが数字さえきっちりあげていればこんな事はせずにみんな早く帰れたんだ!仕切らすような営業ならさっさとやめてしまえ、どいつもこいつも無駄飯食いばっかりだ!営業課長も代理も全員クビだ!」



普通のサラリーマンが家に帰って一杯やろうとしている時間の話である。


8話の項で出てきたいわゆる「仕切り玉」のクライマックスシーンである。


主役は支店長、脇役は営業課長、エキストラは営業マンたちである。


女優である証券レデイはとっくに帰ってから幕開けである。


なぜ営業マンがエキストラなのかは、彼らはすでにセリフがなくうつむくだけで顧客ファイルを単調に繰るだけの作業であるからである。


つまりだれが座っていてもできる役である。


シンと静まりかえった支店のなかでペラペラと意味もなく顧客ファイルをめくる音だけがしている。


時折営業課長が「どうだ、少しはつまったか?」と判でおしたような質問をするだけ。


7時くらいまでは、無駄とわかっていても客に電話するものもいたがさすがに、9時ともなるとファイテイングポーズすらとれない状態である。


そしてこのころになると、全員が同じ事を考えだす。


「早くゴングに救われたい」と。


ゴングというのは、株式の注文伝票の本社への最終提出時間のことで、「ラインが切れる」という表現を使う。


現在はどうか知らないが当時はその日の株の注文の受け付け(客の割り振り)時間が無理を言えば9時ごろまで待ってくれていた。(待たなくてもいいのに.....)


つまり午後3時までの立合時間内に買った株の、客の特定化をするのに9時まで猶予があったわけである。


だいたいこの時間までかかる株とはたとえば大引けが500円の三菱重工を520円で数十万株仕切っているような場合で、客が「ハイ買います」と言ったとたんに何十万円損をする性質のコワイしろものである。


ともあれこの結末はだいたい支店長のもっているA客で、はめてしまって終わる事になる。


もっともこの会話がでるころには支店長室でもうすでに客に連絡をとって処理が終わっている場合が多い。


支店長も最終セーフティネットを持って、敢えて我々営業マンにやらそうとしているのだ。


買い手のつかないままの株の注文を本社に出すと支店の名誉ひいては支店長の名誉が傷つくからである。


営業マンの方も、「だいたい処理がおわっているな」という事は上司の顔色で判断している。


それを百も承知でうなだれ続けるのだからかなりの忍耐力と演技力が要求される。


これが大人の仕事か?まったく・・・

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