池に突然石が投げ込まれれば、大きな波紋を立てるように。しん、と静かな日常に大きな異変が音を立ててやって来たのは、今この回想に思いを馳せる私がそれを受け入れ迎える頃より二日前。

 お昼間。自室で裁縫に明け暮れている時に、シスターの足音と共にその巨大な概念は既に迫っていたのでしょう。


「ゾーイ。少し大丈夫かしら?」


 扉を叩いて少し開ける音。気配を自室に移してきたシスターククロが、そう私の背中に投げかけてくる。彼女が私の部屋を訪ねて来る時は、往々にして私のような細腕でも手伝いが欲しい場合だ。猫の手も借りたいとは良く言ったものだが、私のようなものでも力を借りたい場合は、多くは子供の見守りが必要な時が大半。残念ながら力仕事では一切役に立たないのです。

 大丈夫ですよ、と。針と布地から手を離して、くるりと椅子の向きを反対にして彼女を見れば。いつもの頼み事をする際の困った表情では無くて。何だか、とても嬉しい感情を出したいのに必死で我慢しているような顔をしていた。


「ふふ、ゾーイ。やはり、神は貴女の働きを見て下さっていたのです。とてもおめでたい知らせが貴女に届きましたよ」


 ーー貴女を、養子として迎え入れたい希望がお一人、


 シスターから出た言葉を聞いていた観客は、私一人。他にあるものと言えば、作り続けて幾つも壁にかけられた手製の服達。初めは聞いた言葉の意味すら理解が遅くて。じわじわと脳に浸透したその話に、素で「ええ?」と出てしまった。

 人って、本当の驚きを感じると一言も口から出なくなるのだなあと、私より先に喜んでいるシスターを見て。どちらに良い知らせが届いたのかわからなくなった。



 併設された教会、礼拝の時などに使われる会衆席を通り。この場所唯一の懺悔室へ足を運ぶ。

 孤児院では子供が多すぎるとのことで、会話の邪魔にならないようにシスターが気を利かせて下さったらしい。こちらよ、と案内してくれた彼女の後ろをふらふらとついていく。地に足が付かずまるで浮いているような歩き方をしてしまうのは、私の癖だ。私は、足音にすら重量が届かないようだから。

 誰かと間違えられていませんか?と三度くらいシスターに聞いてしまったけれど。シスターの話を聞けば聞くほど、わざわざこんな私にそんな良い話が突然来るとは思わなくて。


「お待たせ致しました。ゾーイを連れて参りましたわ」


 普段は、シスターが座るであろうこの場所。小窓に付いたカーテンも、話し合いの為なのか今だけは取り外されていて。その向こうに見える人物には、やはり全く心当たりが無い。

 立ち上がり、こちらに向かって深々とお辞儀をする人物は歳の具合は三十代程だろうか。波打っている髪型だ。顎下に少し生やされている髭は、それを除けば若く見える。その手に外套を持ち、垂れた目で私を視界に入れていた。


「さあ、ゾーイ。詳しいことはこちらのお方に」

 

 促されて、私と来たらさしたる高揚感も無く。驚愕に心臓がうるさくなる様子も無い。ただただ、何故?という疑問だけで頭が満たされてしまったからなのでしょうか。

 孤児院に、養子受け入れをしたい人間などの来訪者がある時は決まって私は誤解を招かないように部屋に閉じこもって針を持つ。私のような見目の人間を見れば、あらぬ憶測ばかりを産むことが火を見るよりは明らかだから。だから、そう言った申し出が私の元に来ることなんて人生で、この時に至るまで一度も無かったと言うのに。なので、首を傾げる。滅多に外にも出ない私を何故選んだのか。

 私と会ったことがあるのかもしれない、と言う線は今はっきりと消えていく。いや、私も見覚え無い人が前にいる以上、余計に何故と言う気持ちばかりが積もっていって。


「それでは、少しの間、彼女と二人で話をさせて頂いても?」

「ええ、ええ!勿論ですよ!何かお手伝いすることがあれば、こちらの鈴を鳴らして頂ければ!」

「ご親切にどうもありがとうございます。……それじゃ、色々と彼女からも聞きたいことありますでしょうし。よろしくお願いしますよ、お嬢さん」


 ようやく口を開いたと思えば、彼は妙に気軽な態度で。きちりとした燕尾服を着ていると言うのにどこか軽薄な雰囲気を醸し出すその男性は、ちぐはぐした印象だけを私に与えて、この部屋でうさんくさい笑みを浮かべていた。

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顔が良すぎる第一王子様、不美人枯れ木女の私をお選びです マキナ @ozozrrr

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