第21話 愛弟子 麻倉

1992年 富士はある昆虫の外殻に含まれている「キチン質」と言う物質が地球の重力に対して反対方向に影響を及ぼすことに気がついた。


当時そのことに気がついていたのはロシアのグレコ教授だけであった。


彼はシベリアに生息する「シベリア・アオ・タマムシ」と言う甲虫の外殻が地球の引力に逆らって反重力の効果を生むことをすでに発見していた。


富士は早速このグレコ教授と会って「キチン質」を使って反重力装置を開発することに意気投合したのである。


この時にモスクワ連れて行ったのが愛弟子の麻倉という男であった。


彼は1980年に東京大学の物理学科を主席で卒業して富士の研究に従事して助手としては最高の理解者であった。


愛弟子の朝倉とグレコ教授との2年間にわたる共同開発で玉虫の外殻に含まれる「キチン質」による反重力装置はほぼ完成に近づいていた。


50センチ四方の板に玉虫の羽を敷き詰めたものの上にバイクのハンドルのようなものをつけた乗り物が完成した。


実際にこれに乗りハンドルのスロットルを開けると装置は5メートルほどゆっくりと浮上したのである。


装置の原理は極めて簡単である。


蛇腹のような折りたたみできる厚手の紙に玉虫の羽を敷き詰める。


この紙が全開の時は1番反重力効果が高い時である。

そして蛇腹を徐々に閉じていくと羽同士が向かい合う型になりパワーが相殺しあって反重力の力が軽減されるのである。


スロットルの調整によってこの蛇腹の開閉が調節できるようにしただけである。


富士と麻倉は何度もプロトタイプに対して安全対策とさらなる試行を繰り返してめでたく第一号機が完成した。


この完成により富士は思った

「この蛇腹を飛行機の下部につけることによってこれからは航空機の墜落の心配をすることは無い。また重量物の運搬時にこの装置を下につけることによって作業員の負荷が軽減されさらに安全が確保される」

あくまでも富士はこの発明を人類の安全のために使おうと心に決めていた。


しかし日本に戻って物理学会でこの反重力装置を発表すると荒唐無稽なこの装置と子供のような幼稚な原理に対してあからさまな誹謗中傷と敵意のある反対論文が提出されたのである。


「富士教授。あなたほどの人がこんな馬鹿げた発明を発表するなんて、命取りになりますよ」


「ばかばかしい!たかが虫の羽にそんな効果があるはずがない」


「人騒がせもいい加減にしてもらいたいもんだ。こちらはそんなくだらない論文に時間を割く暇はないんだ」


このようにそれまでの富士がさまざまに貢献してきた物理学会の面々が一斉に彼に対してそっぽ向いたのであった。


心ない週刊誌・新聞に至っては富士のこの発明に対して「気違い博士の荒唐無稽な発明」、「はなはだしい売名行為」などと真剣にその装置の論議がなされないままに富士は学会から事実上追放された形となってしまった。


愛弟子の麻倉は尊敬する恩師がこのようなひどい仕打ちを受ける様子をまざまざと横で見ていたのである。


「先生、彼らへの復讐は私にやらしてください」

と常々彼は言っていた。


「いや、復讐などと馬鹿なことを考えるな。いつか分かってくれる日が来る。ガリレオが最後に言った『それでも地球は回る』と言う気持ちが俺にはよくわかる」

富士は麻倉を諫めた。


しかし彼は反重力装置の効能について別の目的を思いついたのであろう。


なんと、あろうことに麻倉は1枚の辞表とともに物理学会を離脱して宗教法人を設立したのである。


その宗教法人の名は「インコ原理教」という。



麻倉はその教祖となって自らが「反重力装置」を使用して空中浮遊ができるということを喧伝して日本中の多くの知識人たちの頂点に立った。


この空中浮遊の原理はいたって簡単で、麻倉が座っているカーペットの下に玉虫の羽を敷き詰めただけである。

この簡単な浮遊装置によって教祖としてのカリスマ性を最大限に膨らませた結果短期間で多数の信者が彼のもとに集まった。


最盛期には信者数が全国で200,000人にも集まることになった。


その信者の全てが有名大学を出た知識人・エリートたちであった。


ある日、麻倉から富士の事務所にファックスが入った。


「先生もう我慢ができません。無知無能な日本国民に鉄槌を加えます」

ファックスにはその一言のみ書いてあった。


そして麻倉は現日本政府を転覆するために教団の信者に命令して東京と大阪の地下鉄に劇薬であるサリンを撒き散らして一般市民1600人を殺害してしまったのである。


日本中はこの2箇所で起こった同時テロに対してパニック状態に陥った。


「麻倉・・・何と言う馬鹿なことをしでかしたんだ。俺の適切な指導がなかったが為に尊い1600名の命がなくなってしまった」


指導者の責任を痛切に感じた富士はその日のうちに家族や友人達の縁を切って大阪の西成に身を転じていた。


その主犯となった教祖の麻倉は未だに海外に逃亡して行方知れずである。



「ミスター富士、難しい顔をして一体どうしました?」

傍らのアルファが尋ねた。


「あ、ああ・・・ちょっと昔のいやな話を思い出していた」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る