お姉ちゃんの匂い
赤木入伽
お姉ちゃんの匂い
マットレスが剥き出しのベッドと、一本のペンすらない学習机だけが残っていた。
「この部屋、広かったんだね」
「物がなくなると広く見えるよね。でも千秋ちゃんの家と同じ六畳だよ」
めぐ姉は笑ってみせたけど、私は笑えなかった。
めぐ姉が好きだったアイドルのポスターの日焼け跡だけ残る壁紙、タンスがずっと居座った四角い床のへこみ、ずっと昔に私がつけた窓ガラスの傷跡――それらを見ると虚しくなった。
「本当に、引っ越しちゃうんだね」
「うん」
めぐ姉は、私の家のお隣のお姉さんだ。
昔からよく遊び、気心の知れた仲になった、つまりは幼馴染。
そして、二年前に私が告白した相手でもあった。
だけどめぐ姉は告白を断り、就職のために今日この家を出ていく。
今、私がここにいるのは、そのお見送りとお別れの挨拶、そしてあるお願いのためだった。
「寂しい?」
「そりゃあ、ね」
めぐ姉の問いに、私は曖昧に答える。
寂しいのは真実だ。
だから私は言う。
「ねえ、めぐ姉。最後にお願い一ついい?」
「最後って――。べつに、お盆とお正月は帰ってくるわよ」
めぐ姉は笑ったが、また私は笑わなかった。
「抱きしめても、いい?」
「……」
めぐ姉も、ゆっくりと笑みを消した。
ただ、私がここにいるのは、このお願いを聞いてもらうためでもあった。
「抱きしめるだけ」
「……」
たぶん、めぐ姉も二年前のことを思い出しているだろう。
そして今、私を受け入れることで私の気持ちがまた再燃するかもと、懸念しているのかもしれない。
ただ、優しいめぐ姉は自ら私に近寄った。
「いいよ」
それはいつもの優しいめぐ姉の言葉だけど、少し声が小さかった。
私はめぐ姉の肩に顔を埋め、両手をめぐ姉の背中へ回した。
めぐ姉も、私を抱いてくれる。
めぐ姉は柔らかく、温かく、いい匂いがした。
……けど、この匂いは……
私はその匂いに気づいて、すぐにめぐ姉と距離を取ってしまった。
「もう……いいの?」
めぐ姉が聞くが、私はそれに頷きもせず、じっと立ち尽くしてしまった。
そんな私を見かねたのか、めぐ姉はもう一度私を抱きしめてくれた。
しかし、またあの匂いがして――、
私は逃げ出した。
後ろからめぐ姉の「待って」という声がしたけど、私は逃げた。
ただ、このまま家には帰りたくなかったので、近くの公園へ走っていった。
だって家に帰ったら、またあの匂いがする。
シャンプーと香水の混じった匂い――
お姉ちゃんの匂い――
めぐ姉ではなく、私のお姉ちゃんの匂い――
めぐ姉が、今日から一緒に暮らしだす私のお姉ちゃんと同じ匂い。
お姉ちゃんの匂い 赤木入伽 @akagi-iruka
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