バルチック艦隊 退去


「しかし凄い数だな。ピエール艦長」


各ロシア艦艇から飛び込んで補給船に泳いでくる水兵の数を見ながらジョンキエルツは漏らした。


補給船のまわりはみるみるうちに波間に浮かぶ水兵の姿でいっぱいになった。


その数は500を下らないであろう。まだ甲板上では躊躇している水兵たちがいたが

急いで駆けつけた上官に制されたようで人の流れは止まった。


「ロジェストウエンスキー閣下、見ましたか。これが世界最強といわれたこの艦隊の乗組員の総意です。われわれはこのままインドシナに残り亡命します。要求の1番目『ロシア艦隊はこのまま本国に帰ること』はもう結構です。このあとは残ったメンバーで好きに日本海軍とやりあってください。健闘を祈ります」


勝ち誇ったようなロマノフの声に

「なんと、謀反を考えていた水兵がこれだけ艦内にいたとは」


かたわらの副長にロジェストウエンスキーはこぼした。


「ロジェストウエンスキー閣下、聞いての通りだ。ロマノフ少尉以下の亡命者はわがフランス政府が預かるので手出しはしないように願いたい。彼らには補給船3隻を与えてサイゴンまで行ってもらう。おっと調度0時になった、貴艦隊の退出時間になりましたので早急に湾外に出てもらいたい」


このジョンキエルツの声に

「わかった、ジョンキエルツ君、不本意ではあるが今から全艦カムラン湾を退出する。その前に大切な人質を帰していただこうか」


「ロマノフ少尉、人質を返せと言って来ているがどうするのだ?」


「わかりました要求は通りましたのでもう人質は必要ありません。しかし我々の身柄の安全を担保するためにサイゴンまでついてきていただきます。サイゴン上陸が無事果たせたら全員を開放します」


「わかった、ではサイゴンまで補給船3隻の護衛にフランス海軍の駆逐艦を1隻つけよう。よもやロシアの艦が襲ってくることはあるまいが念のためだ。サイゴンでロマノフ少尉たちの上陸を見届けたあと人質は駆逐艦に乗り移ってもらいカムラン湾外まで送り届けるようにするがどうかな?」


「それで結構です。なにからなにまでご配慮ありがとうございます、ジョンキエルツ閣下」


「聞いての通りだ、ロジェストウエンスキー閣下、明朝人質と補給船3隻はわが駆逐艦とともにサイゴンに向かう。貴艦隊が湾外に退出したのとロマノフ少尉たちがサイゴン上陸を果たしたのを見届けてからわがフランス海軍は人質を返す。もう0時10分になりましたがこれでいかがでしょうか?」


「よしわかった、全く不本意ではあるがすべてを呑もう。副長急ぎ艦隊に命令、『バルチック艦隊は急ぎカムラン湾外に退去する』以上だ」


「は、了解しました」


その声のあと40隻の艦隊はゆっくりと移動して2つの半島の門をくぐっていった。


「閣下、やつらやっと出て行きましたね。閣下がダラットのゴルフ場で『お荷物』とおっしゃった意味が今ようやくわかりました」


ジョンキエルツの傍らに立つ侍従武官のオットー少尉が退去する艦隊を見ながらつぶやいた。

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