衝突 1
6日目の朝
この朝チャノフ大佐がいつものように海岸に来てみると、ベトナム人労働者の姿は見えなかった。
昨日までははベトナム人で一杯になる砂浜はがらんとして打ち寄せる波の音だけが聞こえている。
「おいスワロフスキー、マカロフ、なんだこの光景は?あの連中は今日はどうした?なぜ時間が来ても集まってこないのだ?まさかおまえたち勝手にやつらに休養を言い渡したのか?」
「いや、やつらに休養を与えるなんてめっそうもないです。昨日は素直に言う事を聞いて責任者も今日も時間通りに必ず来ると言ってましたが・・・」
スワロフスキーが応える。
「ではなぜ誰もいないのだ?これでは今日の石炭補給はできないではないか?ノルマはどうするのだ?」
何度もノートを叩きながら言うチャノフに。
「大佐、これは私の勘ですがやつら何か企んでますぜ。おとといから急に作業態度が豹変したから変だとは思っていた」
「どういうことだ?マカロフ?」
「いや、いままで鞭で叩きながらの作業だったのがおとといの朝からやつらから進んで作業をするように協力的になった。おう、スワロフスキーそっちはどうだった?」
「そうだな、言われてみればおかしいな点がいくつかある。まず全員が休まず自発的に石炭を運ぶようになってきた。それとベトナム人と死刑囚の会話が増えてきたし、あの暑い環境でも作業中に笑っているやつさえいたな」
スワロフスキーの言葉にチャノフ大佐はしばし考えたあと。
「いずれにしてもベトナム人め、ここまで明らかなサボタージュをするとは完全にロシア海軍をなめているな。よし、俺は今からフランス海軍のところに行って抗議してくる。お前たちはベトナム人をすぐに拘束する捜索隊を編成しろ」
「大佐、了解しました。今回の捜索隊には外人部隊はこの際使いません、何せやつらは信用できねえ」
「そうだな、最近は上陸して帰ってきた酔っ払った仕官を鬼のような形相で見ているからな。司令官に言って信頼できる親衛隊の使用許可をもらおう」
マカロフが応える
「よし、いずれにしても早くベトナム人を探し出せ。おれはフランス海軍司令部のカールマン大尉のところに行って来る」
※
チャノフ大佐がフランス軍カムラン司令部に行ったのはそのあと8時過ぎであった。ちょうどジョンキエルツがロジェストウエンスキーに湾から出るようにと最後通告した直後であった。
ロジェストウエンスキーから指示を受けたイワノフが司令部の部屋を退室したと同時に桟橋からチャノフ大佐が走って来た。司令部の入り口で2人は出会った。
「おおチャノフ大佐あわててどうした、石炭の補給はうまくいっているのか?」
「イワノフ艦長、その石炭補給のベトナム人たちが今朝は一人も集まっていないのです」
「なんだと、今朝わが艦隊に深夜0時までに湾外に立ち退くようにフランス海軍と日本政府から抗議が来た、ベトナム人が集まっていないのはそのためか?いずれにせよとにかく急いで調べるんだ」
「わかっています、そのためにここに来ました。で、カールマン大尉は今どこに?」
「上の部屋にいるから至急会いに行け!」
「わかりました」
チャノフは2階に続く階段を駆け上がった。
「カールマン大尉、問題が起こった」
「これはチャノフ大佐おはようございます、私の集めたベトナム人たちはちゃんと働いていますか?」
「昨日まではな、しかし今日は誰も集まっていない。これはどういうことだ?何か大尉から指示を出したのか?」
「誰も集まっていない?それは腑に落ちませんな。ベトナム人は扱いにくい連中ですが一旦納得させたら従順に従う連中ですが」
「カールマン大尉、ノルマが急迫している。さっき下でイワノフ艦長から聞いたが今夜0時までにわれわれは湾外に出なければいけないそうだな。そうなると今日の残りの時間が重要だ。われわれが独自で捜索隊を編成してベトナム人を探すことに同意して欲しい。それとやつらベトナム人を束ねているのは誰か?」
「チャノフ大佐、今夜0時までに湾外に退去することは是非守っていただきたい。そしてあななたたちによるベトナム人労働者の捜索は許可します、こちらの兵は出せない状況ですからご自由にしてください。それから彼らを束ねているのは前回砂浜で紹介したズンというこの村の村長です」
「それではすぐに彼を拘束して欲しい」
「ズン村長をですか?彼はいたって温厚な人間です、今はおそらく家にいますよ、この近くですから今から行かれたらいかがです?」
「われわれロシア人はここではよそ者だ、ベトナム人、しかも行政の長を拘束すれば内政干渉になるのでこれだけはフランスの方でお願いしたい」
「わかりました、それではズン村長は拘束してそちらに渡します」
「ありがたい、礼を言う。それとわれわれが湾外に退去しても引き続きベトナム人を洋上補給作業に使わせて欲しい。金は先に払っているからな」
「わかっています」
※
一方ロシア艦隊内部では裏切りや謀反を考慮して出自のよい身元のしっかりしたロシア出身者のみで作られた精鋭部隊が集められた。
この部隊はロジェストウエンスキー司令長官の身辺を警護するいわば親衛隊である。
また航海中の艦内の謀反や反乱に備えて組織された部隊でもある。
「おい今から親衛隊は舐めたまねをしたベトナム人の捜索隊として組織する。全員銃を持って海岸に集まれ!」
マカロフ大尉が叫ぶ。
「中隊120名集まりました!」
親衛隊長のロマノフ指揮官の声に
「ようし、ロマノフ少尉今からこの中隊にベトナム人捜索の任務を与える、まず北地区のタンの家に行け!次にいなければ南地区のカーの家に行くんだ。どうせどちらかの家にいるに決まっている。いいか抵抗してもくれぐれもやつらを殺すな、大切な労働力だ。生きたままここに引っ張ってこい!」
「わかりました!お任せくださいマカロフ大尉」
「うむ、頼んだぞ。それと貴部隊との連絡用に一人伝令をここに残しておくように」
その指示のあと中隊は北地区のタンの家の方角に向かった。
タンの家の前にはベトナム人全員の船が泊めてあり部屋の中では徹夜の泥詰め作業を終えたベトナム人たちがロマノフの到着を待っていた。
ロマノフ隊長がタンの家の中に向かって大声で叫ぶ。
「ベトナム人労働者代表のタンさんはいますか、死刑囚プリボイから作戦は聞いていると思いますが私が反乱軍の隊長のロマノフ少尉です。今すぐに話がしたいので出てきてください」
「あんたかい、血筋のいいロシア軍の隊長っていうのは」
部下120名の前で姿勢を正すロマノフ少尉の前にタンとカーが出てきた。
「そうです、今回の作戦では大変世話になります」
「まあ気にするな。おれたちゃお前さんの同僚のプリボイとミハエルってえ奴に2度も命を救われたからな。借りは必ず返すのがおれたちのベトナム流儀だ」
「ご好意をありがたく思います。早速ですが今から我々120名はここから引き返して上級将校たちが飲んだくれている『カニの手』を襲います」
「ああ、将校の人質を取るそうだな、まあこれだけの人数がいれば軽い仕事だな。とにかくがんばれよ、成功を祈るぜ」
「ご理解ありがとうございます。貴殿たちはズン村長救出のために戦艦スワロフに精鋭部隊を率いて乗り込んでもらえますか。多分チャノフ大佐の部屋に監禁されています」
「ああ、だいたいのメドはついている。安心しな」
「あと10隻ほどのベトナム漁船でわれわれの補給船の周りを囲んでくれればよりロジェストウエンスキー司令長官と交渉がしやすくなって助かりますがいかがでしょうか」
「その話もすべてプリボイから聞いてるよ、タイミングのいいところで現れるように言ってあるから任せておけって!」
「すいません、貴殿たちの好意と神に感謝いたします」
ロマノフ少尉は胸の前で十字を切った。
「ところでプリボイはどこにいる?」
「彼ら死刑囚は簡単には外には出れません。補給作業のあとは戦艦スワロフの中でいつも軟禁状態にあります」
「そうか、それは気の毒だ。それでは今回の作戦では会えねえな」
「はい、彼らはそもそも異国人だからわれわれロシア人から信頼されていません。しかしこの部隊から狼煙が上がれば這ってでも艦内から出てくると思います」
「そうかい、やつもなんとか救ってやりたいと思ったが」
「ありがとうございます、その気持ちはいただいておきます。それではまた今夜湾内でお会いいたしましょう」
「ああ、また湾内で会おうぜ」
「それではここで失礼します、総員回れ右!前へ進め!」
「ザッザッザッ」
ロマノフの指示のあと120名の足音は「カニの手」に向かっていった。
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