石炭補給作業3日目



「ベトナム人ども今日も揃ってるな!昨日の成果は昼間のベトナム人2チームで1800トンの補給が出来た。夜間は我々ロシア人たちでお前たちの穴を埋めて2200トン、ノルマは達成している。いいか戦艦の補給は昨日までで出終わりだ、今日はあの巡洋艦群に石炭を積み込め!巡洋艦の石炭庫は戦艦の半分で1隻500トンだ、今日中に4隻を終了させたい。いいな!」

ノートをめくりながらチャノフ大佐が叫んだ。


「今日の補給は戦艦じゃあねえ、巡洋艦だ。サイズと排水量は小さいから石炭庫もその分小さい。昨日よりはやりやすくなるはずだ。全員飯は食ったな!早く仕事にかかれ!」

スワロフスキー大佐が命令した。


その言葉を聞き終えても100名の男たちは動かなかった。

「何をしている早く持ち場に着け!」


マカロフの言葉にも誰も腕を組んだまま微動だにしない

「お前たち、また殴られたいのか!」


「おれたちゃやらねえぜ!」

ゆっくりタンが答えた。


「何だともう一回行ってみろ!」


「おう、何度でも言ってやるぜ。こんな奴隷のような仕事はおれたちは一切しねえ!」

カーが大きく言い放った。


「なんだと、お前たちにはロシア海軍は一人1日20フランの金を前払いで支払っているんだ。給与分だけは働いてもらうぜ」

マカロフが竹を持って現れた。


「なんだと20フラン?どうも計算があわねえな、おれたちゃあ1日たった1フランしか受け取っていねえぜ!」

タンが答える。


「それはフランス海軍に言うんだな、とにかくロシア海軍はお前たちの労働代金を前払いで支払っているのだ!」


「とにかくやらねえと決めたものは決めたんだ、待遇が変わらないなら全員この砂浜から梃子でも動かねえぜ。なあみんな!」

カーの問いかけに

「おう!」

と100名の力強い返事が帰ってきた。


「貴様ら・・・」

スワロフスキーがその大きな声に気圧された。


「チャノフさんよぅ、もし俺たちを動かしたかったら矢でも鉄砲でも持ってきな!」

タンが落ち着いた声で言った。


「いいのかタン?今の言葉後悔するぞ!」


「かまわん!好きにしろ!おう、みんなこの砂浜で座り込みだ、こっちに集まって固まるんだ!」


「おう!」

威勢のいい男たちが返事をしてタンの周りに集まってきた。


「タン、今矢でも鉄砲でもと言ったな、よしマカロフ、ベトナム人は銃がお好きだそうだ、水兵に銃を持たせてここに来るように指示しろ」


「了解しました。おう、銃を持った1個小隊を呼んで来い。おい、カー命乞いするなら今のうちだぜ」

マカロフは部下に小隊を呼びに行かせた。


「け、てめえなんかに誰が命乞いするかよ!」


「あれを見てもそんな強がりが言えるか?」

マカロフはロシア軍艦から銃を持って降りてくる16人の小隊を指差した。


「ザッザッザッ」

砂浜を駆ける音が近づいてきた。


「ようし小隊長、このくそベトナム人を包囲しろ! 」


「了解しました、全員囲んで銃を構えろ! 」


「は!」


車座に座り込んだベトナム人たちを銃を構えたロシア兵が囲んだ。


「タン、やっぱり死ぬのか?俺たちぁ」

カーが心細くタンにささやいた。


「馬鹿野郎、フランス軍に無断でそんなに簡単に俺たちを殺すかよ、ただの脅しだ。でんと構えておけ」

目をつぶって腕を組んだままタンは答えた。


「わかった!タン兄貴を信じるぜ!」

カーも真似をして目を閉じた。


「ようしもう一度言うベトナム人、立て!そして労働を始めるんだ!おとなしくいう事を聞けば命は保障してやる」

チャノフの声が海岸に響いた。


誰も微動だにしない。


「最初は威嚇射撃だ、いいな」

スワロフはからわらの小隊長に小声で告げる。


「了解です。」

まだ誰も動かない。

カーに至ってはタンの言葉に安心したのか居眠りをはじめた。


「今から3つ数える、それで動かなければ引き金をひく。ひとーつ、ふたーつ、みっつ。」

誰も動く気配すらない。


「よし撃て!」


「小隊、射撃用意、撃て!」

小隊長の命令のあと


「パン、パン、パン、パン」

と音がしてタンやカーの周りに砂煙が舞った。


その瞬間ベトナム人全員が縮こまったが誰も弾に当たっていない。


「見ろ、やっぱり威嚇だけだったろ?おいカーおまえ寝てるのか?」


「撃ち方やめ!どうだ、こちらは本気だぞ。おまえらこれでも動かないのか?」


「おい、ロシアのおっさんたちよぇ、フランスの領土の人間にこんなことしていいのか?俺たちを殺したら飼い主のフランス軍が黙ってないぜ!ここはおまえたちの領土ではないんだぞ」

タンは諭すようにチャノフに言った。


「何を!・・・」

正論に対してチャノフは言葉を失った。


それを見たスワロフスキーは

「まったく頭にくる野郎だぜ、フランス領であろうがなかろうが東洋人なんてどこも同じだ。ここで何かあってもフランス軍も大目にみてくれるだろうぜ。大佐、こんなやつの言うことに構う事はねえ、見せしめに一人血祭りに上げようぜ。こいつらの生殺与奪権はおれたちにあることを知らせてやる」

と叫んだ。


「その一人はおれにしろ。仲間は関係ねえし俺は責任者だ」

タンが砂を払いながら立ち上がった。


「タンおまえじゃあ、いけないんだ。お前は自分の痛みには耐えれるやつだが自分以外の人間の苦しみには耐えれないはずだからな。この中で一番頭の悪いやつは誰だ?」

スワロフスキーの言葉に全員が一斉にカーのほうを向いた。


「お、おい、おれかよ!」


動揺するカーにマカロフが笑いながら言った

「カーよ、2日間の作業で俺もお前はそうとう頭が悪いと思ってはいたがどうやら間違っていなかったようだな、お仲間全員のお墨付きをもらったぜ」


「おまえ、カーというのか、立ってあの椰子の木の下に行くんだ。」

チャノフが命令する。


「わかったよ、どうせまた撃たないんだろう? 」


何も深く考えずに椰子の木に向かって歩こうとするカーに向かって

「カー、よせ、行くな。流れをよく読め、今度は本気で撃ってくるぞ」

とタンが制した。


「いや、タンよぉ、ここは誰かが行かなきゃならねえ場面だ。おれは独り身だからもしも死んでも気にするやつもいねえ。タンよぉ、もしなんかあったら後は頼むぜ!」


「馬鹿、そのなんかがあるんだよ!」


「かまわねえ、ロシアの腑抜け野郎に本当のベトナム魂を見せてやる調度いい機会だ、好きにさせてくれ。こらくそロシア野郎よく聞きやがれ、暴力だけでこの世の中誰でもいう事を聞くと思ったら大間違いだ」

大きな声で喧伝したあと。巨体のカーが動き椰子の木の下に立った。


全員が息を凝らして見守る


「よーし小隊前へ出ろ。目標は大きいから外す心配はない、簡単な仕事だ」


「ザッザッザッ」


椰子の下で腕を組んでふんぞり返っているカーの前にずらりと16人の小隊は並んだ。


「もういいやめろ、スワロフ止めてくれ!」

タンの要求に

「タン、もう遅い!小隊撃ち方用意!構え!」

と答えるスワロフ。


カーのいる方向に飛び出そうとするタンをスワロフとマカロフが腕力で抑えこんだ。


緊張が走った。


しかし小隊は誰も構えようとしない

「どうしたお前たち、早く構えろ!」

チャノフの声が飛ぶ。


「早く構えろこの役立たずのくそポーランド人たちめ!」

その言葉にも誰も反応しない。


マカロフの鉄拳が一番近くにいた小隊長の顔面を殴った。

血が砂浜に飛び散る。


「ミハイル、貴様、それでも名誉あるわがロシア軍の小隊長か!おい、お前たちこいつらから銃を取り上げろ! 」


マカロフに命令された部下たちは16名を押さえつけて彼らの銃をすべて取り上げた。


「お言葉ですがマカロフ大尉、われわれの小隊は所属はロシア軍ですがその心はロシア人ではありません!軍隊といえども横暴な命令には従わない権利があります」

殴られた口元を押さえながらミハイル小隊長は言った。


「貴様、劣等国ポーランド出身の2等国民のくせにわれわれに逆らうのか!」

「私の母国のポーランドは決して大尉のいうような劣等国ではありません」


「馬鹿かお前は、ではなぜわがロシアに簡単に負けたのだ? 」


「それはわが祖国は暴力を是としない国家だからです」


この予期しないやりとりで突然蚊帳の外となったカーはそっとタンの隣に座った。


「タン、なんだか一難去ったようだが一体何が起こっているんだ? 」


「どうせお前にゃ話してもわかるまい。あとでゆっくり説明する。今はその一難とやらがやつらポーランド人のほうに行ってしまった、いいから黙ってみてろ」


マカロフとのやりとりを見かねたチャノフ大佐がミハエルに叫んだ

「よーしお前たちはロシア軍に対する反逆罪だ!全員の武装を解除して捕縛しろ!」


その声にロシア水兵たちは抵抗するポーランド人16名を縛った。


「ミハイル、反逆罪の首謀者は死刑だということは知っているな? 」


「ああ、知っている」


「知っていてなんで上官の命令に背いた? 」


「ベトナム人のやつらの言葉を聞いたからだ! 」


「こんな3等国の人間の言葉がどうだというのだ? 」


「さっき叫んだベトナム人は祖国に誇りを持っている、ただそれだけだ。さあ殺せ、おれは軍に入ったときから死ぬ覚悟は出来ている。そのかわり部下は殺すな」


「わかったいい覚悟だ、ミハエル。ロシア軍紀を維持するためにお前には死んでもらう。しかし部下は首謀者ではないから見逃そう、そのかわり明日からはこいつらベトナム人と一緒の重労働だ。最期に言い残すことはないか?」


「ああ最期に言っておく、おまえらは絶対日本に負けるぜ」


「バーン! 」


一瞬の出来事だった。

マカロフの抜いた拳銃の音がして砂浜にミハエルの脳漿が飛び散った。


「隊長! 」

「ミハエル隊長! 」

ロシア兵に縛られて動けないミハエルの部下たちが全員叫んだ。


「なんてぇ野郎だ、本当に撃ち殺しやがった」

タンが唸った。


「ちくしょう、おれの身代わりになったようなものだ・・・ 」

カーが唸ったあと横たわるミハエルを抱きかかえた。


「ようし首謀者は始末した。おい、この反乱分子16名をすぐに艦内に連行して営倉にぶち込んでおけ。明日からは死刑囚と同じ扱いで石炭補給の労働させるんだ。さあさっさと歩け! 」


ロシア水兵に引きづられた16名は隊長のミハエルの遺体を砂浜に残して艦内に連行されていった。


「さあ、待たせたなベトナム人たち。今度はおまえらの番だが・・・ 」


「お前たちは人間ではない! 」

タンが食いついた。


「そうだ人間の命を虫のように扱いやがって! 」

ミハエルの亡骸を抱えたカーが吼える。


「虫が何を言っている」

人を一人殺したばかりとは思えない平然とした口調でマカロフが答えた。


「おれたちは命を大切にする国、ベトナムの人間だ。こいつの弔いをするから邪魔をするな。さあみんな丘の上の墓地に行こう。おれの身代わりになって死んだミハエルとやらを弔う。邪魔立てすると真剣に暴れるぜ! 」

真剣に怒ったカーの剣幕にさすがのロシア人たちもたじろいだ。


「作業はどうする? 」

マカロフが聞いた。

 

「午後からやるよ、心配すんな」



現在でもそうであるが、自国の文化や習慣を汚されたり面前で愛国心を馬鹿にされたベトナム人はさっきまでの笑顔はなんだったのかと思うほど別人のように豹変して手がつけられないときがある。


これはベトナム戦争でアメリカ軍を追い出した歴史や第一次中越戦争で中国の正規軍を農民たちだけで撃退した事例を見ても明らかである。

このときのカーがまさにそうであった。



ミハエルを抱えたカーを先頭に100人の男たちはカムラン湾が一望できる村の共同墓地に着いた。


「おう、シン!シャベルを貸せ!ミハエルとかいったな、こいつの墓穴を振る。ところでポーランドてえのはどっちの方角だ? 」

ミハエルを静かに横たえてシンからシャベルを受け取ったカーが掘り始めた。


「カー兄ぃ、日が沈むほうが西ですからこっちです」


「そうか!」

カーの肩が動くにつれ土が飛ぶ。


30分ほどでポーランドの方角を向いた墓穴が掘れた。


頭を母国のほうに向けてカーはミハエルの亡骸を静かに横たえた。

「すまねえ、おまえさんも今朝起きたときにはまさか今日死ぬとは思ってなかっただろうに・・・おれたちがロシアの野郎に逆らったばっかりに・・・ 」

100名の男たちがめいめい頭をたれてやってきて手を合わせた。


カーは亡骸の上から土をかぶせた。

「ようしみんな、こいつの分まで生きようぜ!」


「そうだな、彼にも故郷に家族や恋人がいたはずだ、こんな遠い異国で一人で眠るとは不憫でしかたないな」

タンも手を合わせた。



「こらぁマカロフ!約束どおり帰ってきたぜ!」

マカロフの眼前に50名を連れたカーが立ちはだかった。


さきほどの16名のポーランド人水兵が俵を運んでいるのが見える。


「おまえたちの勝手な行動のおかげでノルマが達成できない早くしろ!」

竹の鞭を振り上げた


「今日はおれたちのために死んだポーランド人の弔いだ。そんな鞭は必要ねえ、言われなくてもきちんと仕事するぜ。おれたちぁ動物じゃねえ。」

カーはシャベルをとって黙々と仕事を始めた。


「ザッザッ」


もくもくと働くカーに

「珍しいな、今日はまじめじゃあないか。それでいいんだよ」

とマカロフはからかう。


「おう、マカロフ!今日はおれに話しかけるな。虫の居所が悪いんだ」

その迫力にマカロフは返答すら出来なかった。


「ザーッ」


シャベルを動かすカーの前に新たな石炭が撒かれた。


さきほどカーたちを撃とうとしたポーランド水兵のひとりだった。


「おまえさんは、たしかさっきの・・・」


「ああ、ミハエル小隊のパブロフという、さっきは命拾いしたな」


「ああ、パブロフさっきは助かった。ありがとうな。すまねえな命まで助けてもらった上に重労働までさせられちまって・・・」


「いやおれを含む全員がおまえの言葉に感動した。おれたちが忘れかけていた気持ちをお前が言ってくれたおかげで目が覚めた」


「おれが、なんか言ったか? 」


「ああたしかおまえは殺される覚悟で『暴力だけでこの世の中誰でもいう事を聞くと思ったら大間違いだ。』と言ったな」


「言ったかなぁ? そんなこと・・・」


「おい、覚えてないのか?ここは大事なところだろ?とにかくお前のその言葉で16人全員がロシアの命令に従えなかった」


「そうか、いずれにしてもお前たちの親分にはすめねえことをした、さっき仲間たち全員で丘の上に埋葬してきた。だから安心しな」


「ミハエルは本当にいい隊長だった。ありがとうよ、カー」


「おい!そこ!なにを無駄口をたたいている!さっさと働け! 」

マカロフの叱責が飛ぶ。


「じゃあ、あとでな! 」


「おう」


パブロフは籠を背負って甲板に向かって上がっていった。


「ザッザッ」


石炭庫の中にはカーと手下のシャベルの音だけが響いた。


しばらくすると将校の服を着たロシア人が2名ノートを持って降りてきてしきりに石炭を指差しながら会話をはじめた。


「おい、マカロフあいつらは何て言ってるんだ? 」

石炭貯蔵庫に降りてきた機関科の将校の言葉にカーはそばにいたマカロフ大尉に尋ねた。。


「おまえには関係ない。仕事だけしていろ」


「そういうな、教えろ!」


「ちっ機関専門の将校がベトナムの石炭は燃焼効率がよく煙の出ないいい石炭だと褒めているんだ。そう言ってもらえるだけありがたいと思え」


「こんな真っ黒いベトナムの石炭のどこがいいんだ?」


「世界最高峰のイギリスの無煙炭に匹敵するくらいカロリーが高く煙も出ないそうだ。今まで使っていたドイツ産の泥の混じったような石炭とは大違いだと機関課のやつらは大いに褒めている」


「そんな高品質の石炭をおれの母国のベトナムは産出していたんだ」


「ホンゲイ炭というそうだな、きさまら3等国にもたまにはいいものがあるってことさな。まあありがたく思えや」


毎日ロシア戦艦の石炭貯蔵庫で無心に石炭の補給をやっていたカーにある考えがひらめいた。


「おい、いい石炭を供給するとどうなるんだ?何がいいんだ?」


「お前は馬鹿か?まずは燃焼効率がいいので同じ量の石炭でも遠くまで船が走ることが出来るだろうが。次に無煙炭なのでいくら焚いても煙が出ない」


「煙が出ないのがなぜいいんだ? 」


「ちっとは考えても見ろ、おまえ頭使った事はあるのか?今から俺たちは日本海軍と最後の戦いに行くんだぞ。煙が遠くから見えたら敵に自分たちの接近を知らせるようなものだろうが! 」


「今まで使っていたドイツから買った石炭はまるで泥のようだといったな?」


「ああ、そうだ燃焼効率は悪いは、煙はもうもうと出るはで最悪だった。おまけにやつらはクズのような石炭に高い値段までふっかけてきやがった」


「そうかい、いい情報ありがとよ」


カーはこの時作戦を考えた。

しかし実行は一人では出来ないので今夜タンと相談することに決めた。

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