作業改善要求



「ズン村長!いるかー、俺だぁカー様だぁ今労働から帰ってきたぞ。」

「じいさん、はいるぜ。タンだ。」

早朝から夜までの厳しい石炭補給作業を終えた後、石炭のすすで真っ黒になった男たち2名がズン村長の家にやってきた。2つの班の班長のタンとカーである。2人とも例外なく疲労困憊した顔で、カーは明らかに竹で叩かれたような傷を背中に負っていた。その日の労働がいかに過酷なものかを物語っていた。

「ああ、2人とも、よく働いてくれた、遅かったから心配していたんじゃあ。4時に終わる約束ではなかったのか?まあまずは座ってくれ、お疲れ様じゃ。おいヒューよ班長たちに水と給金を配ってやってくれ。」

「はい、お父さん。タンさんカーさんお疲れ様でした。」

ヒューは水の入った2つのコップと給金の入った茶色い封筒を目の前に置いた

「お疲れ様じゃあないぜ、ヒュー。おまえ、この仕事がどれだけひどい仕事かわかっているのか?」

「タンさん、お2人の今の格好をみれば大変だったことはわかりますけど、どんな仕事だったの?」

「ヒュー、お前一回やってみろ!しかもあいつら昼飯のあとの昼寝も許してくれねえんだぜ!言う事を聞かないと鞭が飛んでくるし、ありゃ確実に死ぬぜ。」

背中の傷を指差しながらカーが訴えた。

「あー、ひどい仕事だ。おれは体力のあるほうだが、この仕事だけは2度とはしたくねえな。しかも何が3度の飯だ、豚に食わすような飯をだしやがって!」

すすで真っ黒になった顔から目だけが光っているタンが答えた。

「とにかくひどい環境だった・・・しかも時間が来ても帰らしてくれねえ。」

咳き込みながらカーが呟いた。

「ひどい仕事だと言うことはよくわかった。まさかけが人は出なかったじゃろうな。それだけが心配じゃ。」

ズンの言葉にタンが答える

「けが人と病人は両方の班で相当出た。おれの1班はけが人2名、カーの2班は熱中症の病人が5名だ。全員今はロシアの船で治療を受けている。」

「ほんとうか!けがは大きいのか?」

「おれの1班の2名はおれの目の前で合計500キロほどの石炭俵の下敷きになったんだ。ロシアの奴らは荷物の下に人間がいるのを確認せずに平気でクレーンを下ろしやがるんだ。1人グエンは骨折をしたはずだ。畜生俺たちを何だとおもってやがるんだ!」

タンは言い終わるとドンと机をこぶしで叩いた。

「けが人だけじゃあねえ、おれの2班でも5名が熱中症でぶっ倒れた。今でも意識が無い状態だ。鉄の部屋の中で温度が40度以上ある中、すすで真っ黒になって運ばれる石炭を平らにならす仕事をやってた連中だ。」

「カーそれは本当か!なんとむごい・・・」

「ズンじいさん、むごいのはここからだぜ。倒れて意識のなくなった仲間にマカロフから仕事をしろと竹の鞭が飛んでくるんだぜ。もちろん気絶してるから痛さはわからないがなあ。」

「人間のすることではないな・・・」

「ああ、ありゃあ人間のすることではない。ろくに休憩も与えないでこき使いやがって、くそロシアの白熊どもめ!」

タンは擦り傷のある手を見つめながら怒りを放った。

「もっとあるぜ、ロシアの野郎は作業に死刑囚を使っているんだぞ。」

「なんと死刑囚をか?」

「ああ、しかも何も罪もないフィンランド人だ。ロシアってぇのは占領した国民を簡単に死刑囚にする国だ。」

「ああ、おれんとこにも死刑囚がごろごろいたな。たしかポーなんとか人とかいったな。話してみたがそんない悪くないやつらだ。」

「ポーランド人じゃねえのか。しっかりしろよ。」

「なんと死刑囚と同じ仕事とはなあ・・・・明日の朝わしがカールマン大尉にまず午後の昼寝を認めるように、それと仕事の時間短縮と内容をゆるくするように掛け合ってくる。このままじゃあ毎日けが人が出ることになるからなあ。みんなすまんが明日の仕事があるからわしを信じて今日は帰ってくれ。」

「わかったよ、じいさん。カールマンとの交渉のほうよろしく頼むぜ。おれたちはけが人の家族のところに報告に行かなければならないんでな。」

タンとカーは痛そうに背中をさすりながら給金の入った封筒を手に席を立った。

「みんな、すまん・・・」

翌日早朝、ズンは海岸通にあるカムラン司令部に向かった。ズンの家から司令部までは歩いても4、5分のところにある。

衛兵に起こされたカールマンは葉巻を吸いながら言った。

「おはようズン村長、こんなに朝早く一体どうしたんだ?」

「カールマン大尉、約束が違うではないか。」

「約束?約束した給金はきちんと払っているではないか。」

「金の話ではない、仕事内容だ。昨日現場の責任者がワシの家に来て作業の環境と扱いのひどさを訴えてきた。ひどい環境の中で昨日だけで2名のけが人と5名の病人が出ておる。ワシはけが人だけは出さないでくれと約束したはずじゃ。彼らはみんな各家庭の大事な大黒柱なんじゃ。それと昼食後はベトナム人は必ず昼寝をするのじゃ。これはベトナムの古くからの習慣じゃから必ず守って欲しい。また労働時間も8時から4時と聞いていたが全員が解放されて帰れたのは6時だったそうだ。」

「それは来るところを間違えましたね村長。フランス海軍は昨日ロシア仕官を紹介した段階で何の関係も無い話だ。その話なら労働を指揮しているロシア海軍と話をしてほしいものだ。」

昨日の命令が最期で肩の荷が下りたと思っていたカールマンは面倒くさく言った

「ワシが約束したのはロシア海軍ではないカールマン大尉あなたじゃ。あなたがロシア海軍に掛け合ってほしい。村民はワシを信用してワシはあなたを信用してこの話を受けたんじゃ。」

「これは面倒なことになりましたね。私はフランスの軍人でロシアの軍人に指図できる立場にいないのでね。」

「そんなことはワシらには関係ない。作業内容と時間の改善を断固要求する。これは村長であるワシの義務じゃ。わしは村長である以上村民に対しては責任がある。」

「わかりましたズン村長、そんなに怖い顔をしないでください。それでは今から電話でロシアのチャノフ輜重担当将校に連絡して今あなたの言った改善要求を頼んでみます。」

「うむ、わかっていただけるとありがたい、よろしく頼みましたぞ。それではワシは今から村民たちに改善を要求してきたので昨日と同じように働いてくれと伝えてくる。」

司令部から出て行くズン村長を見送るカールマン大尉に当直の衛兵が聞いた。

「大尉、村長はすごい剣幕でしたがどうするおつもりですか?」

「なあにロシア側には連絡はしないさ。どうせやつらベトナム人は使い捨ての駒のようなものだからな。」

カールマンは吸い終わった葉巻を地面にたたきつけた。


カムラン司令部をあとにしたズンはその足でタンの家まで来ていた。

「ああ、ミンか、今からカニ取りに出かけるのか?いつもうちのヒューと仲良くしてくれてありがとうな。ところでお父さんのタンはいるかな。」

ズン村長は今まさに日課のカニを取りに行こうとするミンと入り口で出会ったのである。

「はい、ズン先生、おはようございます。父さんは中で寝ています。なんだか昨日の仕事で体中がひどく痛いとか。」

「そうか、すまんが起こしてくれんか?」

ミンは尊敬するズンにいすを勧めた

「はい、ここに座って待っててください。」

奥の暗がりから赤銅色の大男が出てきた。

「やあ、タンおはよう。体の調子はどうだ?」

「ズンさんよ、まだあちこちが悲鳴を上げてらあ。昨日の話はカールマンとやらに通してくれたんだろうな?」

「ああ、つい今しがた司令部に行ってきて頼んだところじゃ。ロシア海軍のチャノフ大佐とかいう担当者に話をしてくれるそうじゃ。みんなに今日は安心して仕事をしてくれと伝えてはくれんか。」

「そうかい、それじゃあ昨日よりはましな作業になるんだな。今日から始まるBチームはラッキーってことだ。ところで作業時間の話はどうだい。」

「おう、そうじゃそれも必ず4時には帰してくれるように頼んでおいたので安心するがよい。」

「そうかい、それじゃあカーのところへ入って来る。今日は楽な作業になるから安心して作業に来ていいと伝えるぜ。」

「すまんな、なにぶんよろしく頼む。」

服を着替えて南地区のカーの家へ向かうタンの後姿にズンは手を合わせた。タンの家からカーの家は陸路で行くと大回りになるが自分の船で行けば目の前である。

船に乗りこむタンはズンに聞いた。

「じいさん久しぶりにおれの船に乗っていくかい?カーを乗せたあとはそのまま桟橋まで送るぜ。」

「おう、久しぶりに船に乗るのもいいことじゃな。それじゃあ頼むとするかな。」

タンの弟分のタイが操作する船の右手に真っ黒い山のような戦艦群が目の前に迫ってくる。

「しかし近くで見れば見るほど大きい船じゃなあ。」

「そうだろう、じいさん。あのあたりにある石炭庫でおれたちゃあ死ぬような作業をやってんだぜ!」

タンの船は軽快に走り抜け、対岸の岬にあるカーの家に到着した。

「おう、カー起きてるか?」

「おう、その声はタンか!起きるも何も背中が痛くて昨日から寝る事ができねえ!」

「ああ、おれも同じだ。ズンじいさんも来てるぜ。朝からカールマンのところに言って談判してきてくれたんだ。」

上着をはおりながら家を出てきたカーはズンを認めた

「ちっズンじいさんか。おはようじいさん。」

「ああ、おはようカー、具合はどうだ?」

「見ての通りだ、腫れがひかねえ!」

蚯蚓腫れの背中を見せてカーは言った

カーは先生のころからズンが苦手だった。15歳のときにカーはニャチャンの北にあるビンディン省から漁師をやっていた従兄弟のフンを頼ってカムランにやってきた。ビンディン省は今でもベトナムの中でも一番武道が有名な省で男女を問わず住民は全員素手で戦うボーベット(武越 空手のような武術)をたしなむ。何でも古くは諸葛孔明の軍がこの地域まで南下した際に中国の正規軍を素人の住民全員で素手で破り追い返したという逸話があるくらいだ。

カーはそのビンディン省の武芸大会で1位をとったことがある、190センチの巨体から繰り出される彼の拳や蹴りはほかの選手を寄せ付けもしなかった。しかし最強のカーにも弱点はあった、そうあまり頭のほうがよくないのである。その証拠に彼の額には無数の傷あとがあった。

今でもそうであるがベトナムのすべての家は低く作られており玄関に彼は自分の身長を考えずに何度も額をぶつけた痕跡がそうである。南の地区では漁師仲間はそんなカーの事を親しみを込めて「今張飛」と呼んでいた。

そんなカーが15歳のときにカムランに来て初めてズンに勉学を教わった。2桁の引き算で「カーそういう場合はとなりから1を借りてくるんだ。」と教えたら「ズン先生、おりゃあ貸し借りはきらいだ。引き算は1桁だけ出来れば十分だ。」といって教室を出て行ったことがズンには昨日の事のように思い出される。

「カー、今日は待遇がよくなるようわしが頼んできたから安心しろ。」

船の中で隣に座ったカーにズンは申し訳なく言った

「ああ、わかったよ。おりゃあ勉強してる時はあんたがいやだったが今は信用している。」

「すまんなぁ、2人とも。」

タイの操縦する船は艦隊の間をすり抜けてまもなく桟橋の近くの砂浜に近づいてきた。

「カーよ、先ほどから気になっているんじゃが、その腕の刺青は何じゃ?漢字が一文字書いてあるようじゃが・・・」

「ああ、わかるか?俺が自分で彫ったんだ!どうだ!」

誇らしく右手の二の腕をズンに見せるカー

そこには「第」という一文字が彫ってあった。

「じいさん、去年大好きだった俺の弟が海で亡くなったのは知っているよな。いつも「弟 おとうと」がおれの腕にいるようにと願いを込めて彫ったんだよ。」

「そうか、おまえが最も不得意だった漢字をなあ・・・本当に自分で彫ったようじゃな、間違いない・・・・」

ズンはカーの腕にある「第 だい」という一文字を哀れみを込めてじっと見つめていた

目の前の砂浜は水が入った樽と食料が山のように積まれている。おそらくハノイのポール・ポール・ボーボー総督が調達したのであろう物資が所狭しと並んでいた。

「見ろよ、昨日俺たちが荷揚げした魚もあそこに積まれてるぜ。」

タイが指をさす

「ああ、ロシアのやつらのおかげで最近は魚の相場も上がってきておれたちも少しは潤っている。まあ唯一やつらがおれたちに貢献していることだな。」

タンが朝日がまぶしいのであろう、手をかざして魚が積まれているほうを見て言った

「今日は石炭補給のほかにも水と物資の荷揚げをやるようだ、しかしとんでもない量だな。あのクレーンでこちらの船に乗せるんだな。できれば石炭よりもこっちの作業のほうが楽そうでいいぜ。よし、タイこのへんでよかろう、降ろしてくれ。」

3人を降ろしたあとタイの操縦する船は漁のために沖のほうに去っていった。

桟橋の周りには昨日返したBチームの100人ほどがすでに集まってタンたちが船から下りて来るのを待っていた。

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