石炭補給作業開始 午前


翌朝桟橋にて


朝早く村長のズンが不安な足取りで桟橋に来て見ると期待していなかったがほとんど昨日集まった若い衆が顔を出していてくれた。数はざっと200名はいるであろうか。

「おお、なんということじゃあ。みんなが来ておる。みんな、すまんなあ、ありがとう」

誰もいないと期待していなかったズンは涙目で全員の肩方をたたいて回った。

「なあに全員がおまえさんの泣き顔を見るのはいやだからな、仕方がねえよ」

タンが頭を掻きながら答えた。

「1週間だけだぜ!」

「親のようなあんたの頼みだ、仕方ねえ。」

「昔、読み書き教えてもらったお礼だ」

カーが胸を張った

「カー教えてはもらったが、今は全然おぼえてないだろうが!」

タイが応える

「ははは違いねえ!」

「みんな、ありがとう・・・おそらく今日の作業は重い荷物の運搬なので決して怪我だけはないようにしてくれ、それと作業が終わったら代表がワシの家に給金を取りに来てくれ。食事は朝と昼と帰る前に3度桟橋の横に見えるあの小屋で取れるようにしてあると聞いておる。」

「しかし1日1フランたあ安い賃金だなァ、まったく。今日の農作業をおしつけたかみさんに対して顔が立たないな。」

「今の漁なら1日10フランは稼げる時なんだが仕方がねえ。」

「フランスの連中ときたら、おれたちベトナム人の扱いなんざあ牛馬のようなものさ。」

わいわいと雑談を交わしている時に武装した手勢とともにカールマン大尉がやってきた。後ろには服装の異なる黒い軍服のロシア海軍の仕官を2名連れてきている。

「やあ、ズン村長とみなさん早朝からご苦労様です。もし集まっていなかったらと思って武装した部下を大勢連れてきましたがその必要はなかったようですね。ものわかりのいい人は歓迎です。今日の労働は向こうに見えるハロン湾から来た3隻の給炭船から石炭俵をロシアの戦艦に載せかえる仕事だ。なあにさして難しい仕事でではない、すぐに慣れる。労働時間は朝の8時から夕方4時までだから終わり次第飯を食べて家に帰ってもよろしい。」

「カールマン大尉殿、何度も言うようじゃが決して村民に無茶なことをやらさないでほしい。それだけはお願いじゃ」

「わかった、わかった。では村長、チームを編成する。石炭補給用の桟橋は2ヶ所あるので今から全員を2つの班に分かれさせろ。そしてそれぞれの責任者を決めるように。」

「わかった、ちょうどこの村には部落が北と南に2つあるのでな、北の部落の者はタンを班長として働くように。南の部落はカー、お前が班長をやるように。タンはともかくカーは少し心配じゃが、みんなそれぞれの班長の言うことをよく聞くようにな。」

「よし、聞いての通りだ。名前を呼ばれた2名、前に出ろ。」

カールマンの声に名前を呼ばれたタンとカーは前に出てきた。両者とも190センチの上背でプロレスラーのような体格をしている。後ろに並んでいる熊のようなロシア仕官と比べても遜色がない。

「しかしでかいな、お前たちは。よしまずはお前たちにロシア海軍の補給を担当するチャノフ大佐を紹介する。こちらがチャノフ大佐だ。」

「ああ、諸君私が担当のチャノフだ、艦隊の物資の調達を担当している。お前たち2人が石炭補給作業の責任者だな。毎日のノルマをこなすように1週間よろしく頼む。作業は重労働なので十分休養を取る為に2交代制とする。つまり今日の作業をする組をAチーム、明日の組をBチームとしAとBが1日交代で作業を行うようにする。」

「おれが北部落のタンだ。北の半島の先で網元をやっている。みんなは俺の指示に従う。」

「おれが南部落のカーだ、おれも南で漁師をやっている、腕相撲は誰にも負けたことがない。」


毛むくじゃらの背の高い大男のチャノフ大佐にそれぞれが自己紹介をした。

「よし自己紹介はわかった、さっそく今からAとBの2つのチームに分ける、今日仕事があるものは明日のBチームとする。おまえはたしかタンだったな、今日から第一桟橋の補給責任者を担当する。ロシア側はそちらにいるスワロフスキー大尉が担当だ。タン、班を編成しろ、そのうち半分は明日の担当だから帰していいぞ。」

「わかったよ。おーい!北の部落の者はおれの周りに集まれ!全員幼馴なじみばかりだから今更間違わねえよな!」

ぞろぞろと褐色の体格のいい者たちがタンの周りに集まってきた。

「この中で今日仕事があるやつは誰だ。」

「おう」と大勢の漁師たちが手を上げる。

「よし、1,2,3,4と、だいたい半数だな。おまえらはBチームだ。今言われたとおり今日は帰っていいぞ。その代わり明日同じ時間にかならず来るようにな。」

「タン兄い、本当に帰っていいのか?」

「おう、そのかわり明日頼んだぜ。」

「よし、第2班はカーとかいったな。お前は第二桟橋だ。こちらの担当はマカロフ大尉だ。タンと同じように編成しろ。」

「しかたねえなあ、よし、残ったものはおれんところの班だからな。心配すんなよ、おれが全部面倒見るからよ。今日仕事のやつは帰れ、そのかわり明日来るんだぞ。」

「わかった、カーしっかりやんなよ。」

「ああ、明日同じ時間にくるんだぞ」。

砂浜に集まった男たちの半分ほどが明日のBチームとなり帰った結果100名強ほどの男たちが残った。彼らはタンとカーが率いる2つの班に分かれてそれぞれ毛むくじゃらの熊のような体格のロシア仕官のあとに並んだ。

この様子を見てカールマンは満足げに

「よし全員それぞれの担当のロシア士官のあとに続いて決められた戦艦に乗り込むように。各自担当仕官の言うことをよく守るように、また意見があれば2人の責任者を通じて話すように。責任者は全員の監督をするように。ズン村長調達ご苦労、もう帰っていいぞ。」

「ああ、くれぐれも怪我のないようにみなを頼む。」

海岸を去っていくズンの姿が見えなくなった

「大尉殿、各艦への乗艦準備ができました。」

そのスワロフの部下の言葉に

「よし、今は7時半だな。それではまずはああそこの食堂で全員朝飯を食べるように。その30分後の8時から全員作業を開始する!かかれ!」

この命令で自分の仕事がすべて終わったとカールマンは思った。あとは自動的に1週間後にすべての補給が完了して艦隊がこの港を去るのを待つのみだなと安易に考えたのであった。

部下を引き連れて司令部に帰ろうとするカールマンに石炭補給状況を管理している帳面が目を上げてチャノフ大佐が声をかけた

「カールマン大尉ご苦労であった。また昨日の貴殿の部下によるもてなしも含めてロシア海軍に対する貴殿の努力に感謝をする。」

「チャノフ大佐、露仏同盟のよしみです、当然ですよ。」

「そうか、ありがとう。ところでちょっと聞くがこの村に大勢の部下が入るような酒場はあるかな?彼らもたまには狭い艦内を出て息抜きが必要だからな。」

「そうことですか、私も海軍ですから久しぶりに上陸したときの気持ちはよくわかります。それでしたらこの村のニャチャンに通じる街道沿いに『カニの手』という海産物を中心とした酒場があります。大人数が入りますし酒も豊富に揃っていますので是非お使いください。行くときは私の名前を出して『カールマンの紹介出来た』と言ってもらうと待遇がよくなりますよ。是非使ってやってください。」

カールマンはファットの小ずるい顔を思い出して躊躇なくチャノフ大佐に「カニの手」をすすめた。

「ありがとう大尉、それでは今晩からおおいに使わせてもらうとする。」

ここで当時の艦船への石炭の積載労働の過酷さについて説明しなければならない。

そもそもバルチック艦隊約40隻の3万キロの航海に必要な石炭の量は24万トンであった。これは平時航海の必要量でもし海上戦闘が始まればその消費量は跳ね上がることになる。

ここまでの行程でバルチック艦隊は述べてきたようにスペインのビゴー湾、アフリカのダカール港、マダガスカル島のノシベ港において数回石炭の補給をしてきた。いずれの場合も作業員は24時間休憩は無く、将兵の区別なく石炭の積みこみにあたり、作業中に熱射病で亡くなる士官も出たほどである。

実際の作業は石炭船の起重機が石炭を詰め込んだ俵をつりあげ、甲板に下ろす。下で待っている乗組員は競い合うようにそれを担いで艦内に運び込む。そのときには甲板上、艦内にも石炭の粉塵が舞い上がり、戸棚、食卓も黒光りした石炭粉に覆われる。当然防塵用として覆っている布を通過した微粉は呼吸器官を通じて体内に達するのでこれが原因で倒れる将兵も数多くいた。

昼間の作業はさらに過酷で、鉄で覆われた艦内の温度は40度を軽く通り越した中での重労働になる。水兵の多くはロシアの寒い農村出身で、気温40℃の艦内にマイナスの温度に慣れた北国育ちがいれば当然体調もおかしくなる。艦隊の乗組員7500名中1500名は熱中アレルギー症に悩まされていた。

補強作業の過酷さに加えて戦時中の石炭補給には厳しい国際法が存在していた。

当時の国際公法には「戦闘国は戦闘に参加しない中立国内の港湾においての石炭の補給作業を24時間以内に必ず終えなければならない」という厳しい制限があった。当然ロシアは戦闘国であるし、フランス領インドシナはこの法律上中立国にあたるのでこの国際法は遵守しなければならない。

本来なら国際法上24時間でこの労働は打ち切られるのであるがこれだけの数の艦隊ともなればすべての艦船に石炭を補給するのには最低1週間は優にかかる。

寒い国のロシア人と違って南国育ちで暑さには慣れているベトナム人といえどもこの作業は同じ過酷さを要求されるのである。

「これがロシアの戦艦か、なんてえでかさだ!おれの船の1000倍はあるな!」

「どうだ、ベトナム人恐れ入ったか!わがロシアが誇る世界最新の艦だ、名前をアリヨールという。さあ、お前たちの働き場所に着いた。50名全員この石炭庫に入るんだ。今から仕事内容の説明をするぞ。」

「何だよ全員がこんな暗い倉庫で働くのか。しかし背の高い倉庫だなあ、天井までゆうに10メートル以上はあるぜ。しかもがらんとして何もないではないか。」

「そうだ間もなく給炭船のクレーンが甲板まで石炭を運んでくる。それをお前たちが担いでここに運ぶんだ。運んだら俵から石炭を出してこの倉庫に撒くように。撒いた石炭をそこのシャベルを使ってできるだけ平らになるように均していけ。」

「要するに運ぶ係、俵を開封して撒く係、それを均す係の3種類に人数を振り分ければいいんだな?」

「そうだお前は物分りはいいようだな。」

タンの質問にスワロフスキーは答えた。

「褒められて悪い気はしねえな、ようしお前たち、ここからこっちの人数25名は上の甲板から炭の入った俵をここまで運んで来い。こっちの10名の人間は運んできた俵を開けて床にぶちまけろ。この列の15名の人間は俺と一緒にシャベルを持って均し作業だ。どうせやるんだ、漁の時と同じように元気よくやろうぜ!」

「おう!」

「結構結構、タンといったな、お前はほかのものに比べて頭がよさそうだな。手間が省けてやりやすいぜ。」

「そうかい、ありがとよ。」

「ドーン、ドーン」

その時クレーンの音がしたかと思うと甲板に石炭が投下された音が頭上に響いた。全員が何事かといっせいに頭上の天井を見つめる。

「ようし石炭が運びこまれたらしい。お前たち上に行って担いで来い。」

「よしわかった任せておけ。」

半数の25名の屈強な漁師たちが上の甲板に上がっていった。

「おい、このでかい倉庫は何トンの石炭が入るんだ?」

「1000トンだ、今日中に終わらせたい?」

「何?1000トン?100キロを25人が担いでもやっと2.5トンだぜ。それを400回か?無理だな。」

「そういうな、こちらも運搬用に水兵を100名用意している。もっとも水兵としてはあまりできがよくない連中だがな。」

「25と100で125名、一回の運搬で12.5トンか。それでも1000トンにするには80回か・・・・きついなこれは。」

数字が得意なタンは瞬時に計算した。

「えっほ、えっほ。」

間もなくかけ声がして100キロの石炭の入った俵を担いだ第一陣が帰ってきた。

「ようし、おまえたちはそこのナイフで俵の口を切って中身を出すんだ。おれたちはそれをシャベルで均していこう。みんな大切な体だ、怪我だけはするなよ!」

「おう!」

タンたちベトナム人は、ロシア人が最も嫌う灼熱の石炭庫に入れられて作業を命じられた。ロシアの水兵は同じ作業を気温の低い夜間にやるようにして酷暑の中の作業を避けたのである。

「よしどんどん持って来い!」

スワロフのいったとおり石炭を運ぶ人間の中に、ロシアの水兵も混じる様になってきた。いや数から言えばベトナム人のほうが明らかに少ない。

俵から石炭をばら撒いたとたんにもうもうと黒い粉塵があたりを暗くする。

タンたち倉庫組はスワロフに手渡されたタ手ぬぐいで口をふさいで石炭の均し作業を始めたが、息を吸うときに手ぬぐいの細かい目をかいくぐって石炭の粉塵が口の中に容赦なく入ってくる。

「しかし暑いなあ、こりゃ思ったより疲れる仕事だぜ。」

「本当だぜ、何が簡単な仕事だ!だんだん呼吸が苦しくなってきたぜ。」

弟分のタイが応える

8時から始めた仕事だが昼に近づくにつれて艦内の気温は上昇し密封された部屋はまるでサウナ風呂のような状況になっていった。いかに南国育ちのベトナム人といえどもその中での重労働は拷問にも等しかった。

「おう、スワロフさんよ!こりゃあきついわ!時間を決めて休憩を取らせてくれ。このままじゃあ水を飲まないと全員死んでしまう。」

タンが担当のスワロフスキー大尉に頼んだ。

「けっ見た目に比べて弱いやつらだ!まだ作業は始まったばかりだぞ!水は隅の樽に入れてある。作業の合間を縫って適時取るように、飲んだらすぐに作業を続けろ。勝手に休憩を取ることは許さん。」

「何だと、おれたちが死んで働く人間がいなくなったら困るのはあんたたちだろうが。」

「口答えをするな、口より先に手を動かせ!この3等人種どもが!」

「何を!」

「こら、石炭がまた降りてくるぞ、早く平たくならすんだ!何度言えばわかる!」

「ピシャリ」

スワロフの竹の鞭が倉庫の床をたたいた

12時になった。

「よーし、12時になった全員休憩だ。一旦艦の外に出て昼飯を食って来い!30分たったら戻ってまた作業を続けるんだ。」

スワロフの声に

「ふー、やっと休憩か。こんな仕事を4時間もよくやれたな。みんなお疲れ様だ。飯にしようぜ!」

タンは全員に声をかける

「おう、炭だらけで死にそうだぜまったく。」

「目が真っ黒で何も見えねえ。」

例外なく体中が真っ黒になったベトナム人たち50名はぞろぞろと戦艦を降りて食堂に向かって歩いた。

「ひえー!外の風がこんなに気持ちいいとは思わなかった。」

「見ろ、おれは体の筋肉が引きつっているぜ。」

「まったく暑くてやってられねえぜ、べっ!」

タイが砂浜に吐いた唾液は墨汁のように真っ黒だった。

食堂の横手には水が入ったおおきい樽と桶が置いてあり、そこで全員が顔から水をかぶって身についた粉塵を落とした。洗い場の排水溝はみるみるうちに真っ黒の水で一杯になっていった。

「ふー!生き返るぜ!」

「まったくだ!」

体を洗ってすっきりしたら食堂の椅子に座って大声で全員が叫んだ。

「さー、飯だ飯だ。飯持って来い!」

「早くしろよ!死ぬほど腹がへったぜ。」

しかし出てきた食事を見て

「何でえ、この飯は!重労働のあとだっていうのにたったこれだけかよ。」

ベトナム人たちが並んで待って出てきたのは魚の煮モノに野菜、それとご飯が一膳であった。

「おい、これじゃあ力が出ねえだろうが!」

「料理べたな母ちゃんの弁当のほうが何倍もましだ!」

不満の声をあげる中タンが言った

「まあ我慢しようぜ、どうせ午後もう一回同じ作業をやったら終わりだからな。」

「ああ、もう少しの辛抱で家に帰れるぜ。」


込み合う食堂に第二桟橋からカーが率いる50名がやってきた。

「おう、カー!お前たちも今終わったところか?まあ同じ作業だと思うがどうだった?」

「タンか、どうもこうもないぜ。お前たちも同じだと思うが戦艦スワロフとやらの倉庫での石炭運びだ、ありゃ地獄だな。2人が暑さで倒れたぜ。」

「なんだと、倒れた?大丈夫なのか?」

「ああ、今スワロフの医務室で寝てるがどうなるかわからねえ。なんか午後には知恵をはたらかさなけりゃあ全員死ぬことになるぜ。」

「よしみんな、提案なんだが。密閉された中での作業と重いものを運ぶ作業の2種類の作業がある、両方それぞれつらい作業だが環境を変えたほうがいいとおれは思う。午前と午後で持ち場を交代しよう。いいな午前25名の運び役はこれからは倉庫の中だ。おれを含めて倉庫の中で仕事をしたやつらは午後から運び役をやろう。」

「いい考えだタン、それでいこう。おれは重い荷物はもうこりごりだ、肩が痛くて堪んねえ。」

「俺もだ、暑い中で煤まみれで真っ黒になって仕事するより少しでも潮風が受けれる甲板に出てえ。」

「ようし決まりだ、作業は交替!いいかみんな、くれぐれも怪我だけはするなよ。」

「おう!」

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