バルチック艦隊 出港
ここでバルチック艦隊の編成を述べる。
最新鋭戦艦スワロフを含む戦艦6隻、巡洋艦7、軽巡洋艦5、水雷艇9、病院船1隻で構成され、これに多数の運送船、工作船などが付随した合計39隻、乗組員総数7500名の大所帯である。乗組員の数もさることながら質のほうも劣悪で艦隊戦はおろかおよそ艦隊勤務の経験の無いはるかシベリアの受刑者や炭鉱労働者までがまさに数あわせで乗り組みを命じられていたのである。
ロジェストウエンスキーが彼の妻に宛てた手紙の中で再三「同じ命令を5回言わなければ理解しない部下たち、さらに出来たかどうかの確認を5回やらなければならない部下たち」と表現したようにおよそ海軍の常識から外れた者たちも同道していたのであろう。
いずれにしても1904年10月に彼の率いるバルチック艦隊は重く霧が立ち込めたリバウ港を華やかな軍楽隊の演奏も見送りも無くひっそりと出港する。
バルト海を南下するとすぐにイギリス本土の東側に浅瀬が広がり格好の漁場となっているドッガーバンクにさしかかった。かねてからこのあたりまで日本艦隊の駆逐艦がきているというデマが流れていたために深夜、霧の中から艦隊の前に現れた漁船団を探照灯の明かりの中に見た途端に日本艦隊と見誤ったのである。そしてあろうことかそのうちの大型漁船1隻に向けて集中的に艦砲射撃がなされたために他の艦も追随して発砲しだした。パニックに陥った艦隊は恐ろしいもので誤認した非戦闘艦に対して誰も指揮をしなくても射手たちがめいめいに砲弾を打ち続けたのである。
およそ古今東西の戦争で運・不運というのはつきものであるがこのバルチック艦隊ほど出港から日本海海戦終了に至るまで不運に見舞われ続けた艦隊もめずらしい。
濃霧のドッガーバンクで起こった漁船誤射事件で、翌朝艦隊が去った漁場では太陽の下で殺戮の限りが尽くされ破壊された漁船の群れが漂流していた。もちろんロシア側の生存者の救命活動も無く艦隊ははるかかなたに去ってしまっている。
この事件でイギリス政府は断固とした抗議表明をロシア政府におこない、対処の仕方によっては戦争も辞さない態度を取ったのである。事実その後名門イギリス艦隊がバルチック艦隊を追尾してあるときには包囲し、あるときには抜き去った後反航したりのいやがらせ行為を続けて素人集団である艦隊の見張り員の神経をすり減らしたのである。
さらにその後寄港したスペインのビゴー湾では、イギリスはスペイン政府に対して「非協力な態度を求める」と抗議をした結果、湾内での補給は許可されることはなく波に漂ういながらの給炭作業となりその作業は困難を極めた。
またアフリカのダカール湾でも同様にイギリスはこの艦隊に対して決して心穏やかに休息と補給ができないように圧力をかけている。単なる日英同盟のよしみというくびきを超えて彼らがロシアに取った目に見えないいやがらせの数々はまさに前述のドッカーバンク内で起こった罪の無いイギリス漁船団に対しての殺戮に対する報復であったのだろう。そういう意味ではバルチック艦隊は最初からツキに見放されていたとも言える。
およそ海軍の常識で戦艦など多数の艦艇を引き連れて3万キロを走破すると言うこと自体が戦闘をする以前に常識はずれであった。しかし彼らはその常識を覆して困難を跳ね除けてついにアフリカ最南端喜望峰を通過することができた。
喜望峰を回った艦隊の次の寄港地はフランス領マダガスカル島のディエゴスワレス軍港であった。ここは現在でも使用されている大きな軍港であったので艦の補修や船底の牡蠣がらの除去などの作業も可能であるし、乗組員にとっても上陸ができるので快適な補給と休息を取ることは容易であった。今までの寄港地で苦渋を飲まされ続けてきた将兵にとって希望の安息地を約束していたにもかかわらずここでもまたもやイギリスが動き出したのだ。
寄港地を管理するフランス政府に対してイギリスはバルチック艦隊のディエゴスワレス軍港の使用禁止を要請してきたのである。
フランスはこれに屈した。しかし露仏同盟の関係もあるのでひっそりとノシベという田舎町にある小さな港をこの艦隊に用意した。ここは暑さのひどい場所で日中の甲板の温度は焼けた鉄板のようになり、当然その鉄板に囲まれた各部屋の温度はまるでサウナ風呂に入っているかのようであった。
十分な休息ができると思って期待していた将兵からは不満の声が連日上がり、ついには発狂して自殺するものもあらわれた。
バルティック艦隊の大遠征は現代のモーターレースに例えるなら3万キロ離れたレース会場まで自力でレーシングカーを運転して行き、そのまま会場に着くなり休憩無しでフルスペックで耐久レースを戦うようなものである。遠距離移動のための相当な疲労によって本番レースで本来の実力が出ないことは自明の理である。
このように地球儀の上を半周「鼻つまみ者」扱いで航行してきたこの艦隊がマダガスカル島を後にして今日到着したのががベトナム、カムラン湾であったのだ。いかに乗組員の全員がこの地に対して安息の日を期待していたかが理解されると思う。
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