018▽幕間~山間のダム(2)
月夜に、山間の貯水ダム脇の駐車場に、アイドルの歌声と音楽が、場違いなほど賑やかに響いていた。
黒いバンのバックドアが開けられ、一面に設置した巨大モニターが、鮮やかにライブ映像を再現する。
それを熱狂と共に、鑑賞していた男3人組。
そこに、灰色の制服を着た男が絡んできた。
「── ってか、何だコイツら。
こりゃ何やってる連中だ? 新手の祭りか?
このキモい踊りは、披露宴か学園祭の練習なのか?」
新手の男が、小馬鹿にするような、笑い混じりの声。
灰色の詰め襟のジャケットを着た、上背の男が歩み寄っていた。その肩章のついた制服は、ホテルマンのようにも思える。
しかし、接客業とは思えない程に、人相が悪く、態度もふてぶてしい。
そのけんか腰の言動は、せっかく収まった火種を再三煽りたてるような物だ。
ゆえに、やはり、この男が動いた。
「ご近所の方だろうか、夜分のお休み中に申し訳ない。
なるべく騒いでも問題ない、人気のないところを選んだつもりだったが、思いがけず迷惑になったようだ。
ここは俺の顔に免じて許してはもらえないだろうか」
年長者として、礼節と落ち着いた物腰で対応する、作業服の男・大森であったが、
「うおぉっ、汚ねえ!?
鼻水まみれの顔近づけんじゃねえっ」
あまりに、タイミングが悪かった。
さきほど全開になった涙腺と鼻水が、垂れ流しのそのままの状態だったのだ。
いやがる相手が、思わず繰り出したヤクザキックが腹にきまり、大森は見事に吹っ飛び、駐車場脇の植え込みに突っ込む羽目となる。
「うぉおおおっ」
と、いう叫び声と共に、勢いよく二転三転、茂みを抜け、腰の高さの柵を越えて、斜面を転がり落ちていく。
結果、ダムの湖面に、派手な水しぶきがあがった。
「大森さんっ」「先輩!」
いくら涙と鼻水まみれの顔が汚かったとしても、ダムに蹴り落とすのはあまりに無体な扱いだ。
「あっはっはっ
丁度良い、そのきたねえ顔を洗うついでに、汗くせえ身体を丸洗いしてこいよっ」
しかし、いきなり現れ無体をした灰色制服の男は、嘲るように高笑い。
先輩への突然の非道に、くすぶり続けた後輩二人の心火が、ついに爆発する。
── 『テメェ!!』
野生の眼光を放つ二つ影が、まさに獣のように駆け抜け出し、すれ違いざまに左右から一撃する。
あまりの速さに反応できなかったのか、灰色制服は無抵抗のまま崩れ落ち、脇腹と太ももから流血を滴らせる。
しかし、灰色制服の男は、ホテルマンとは真逆の獰猛な笑みを浮かべ、両手で流血をぬぐう。
脇腹も太ももも、刃物で切りつけたような、鋭利な傷口だった。
「へへっ
こいつら、獣くせえと思った、やっぱり獣人か」
ゆっくりと立ち上がる男の目に、赤い光が灯った。
「そういうテメエは、吸血鬼かよっ」
「不死身の化け物か……。
だったら、いくら切り刻んでも問題ないよなぁっ」
後輩二人組は、八重歯というには長すぎる牙をむき出しにして、怒りと闘争本能をたぎらせた。
先に動いたのは、長髪痩身の男・尾畑ケンスケ。
身体ごとぶつかる一撃で、ドンっ、と衝撃が灰色制服の男の身体を突き抜ける。
いや、実際に、背中から刃物ようなの鋭い切っ先が突き出ていた。
長い猛獣の爪が、腹部を貫通している。
闇夜に隠れた姿をよく見れば、長髪痩身の身体が変化し、獣毛に覆われた姿に転じていた。
「病院のベッドの上で後悔しやがれ、クソ野郎!」
犬科の獣の口がせせら笑い、流暢な日本語が流れ出る。
── しかし、
「知らないのか、吸血鬼にとって、心臓以外は急所じゃねえんだよ。
獣らしく、無知だな」
腹を貫かれた灰色制服男は、胸部を守っていた両手を下ろして、余裕の笑み。
「──ちぃぃっ!?」
犬人間と化した尾畑が爪を抜こうとすると、吸血鬼は左手でを掴んで逃がさず、同時に獣の首に黒い器具を押し当てる。
「── ぎゃんっ」
と、悲鳴と共に獣人が崩れ落ちる。
「はははっ! ギャンって鳴いたぞ!
こいつ確かニートって言ってたな。
負け犬野郎に相応しい声だ!」
灰色制服の吸血鬼は、犬面の
「テメエ、コラ、殺すぞ!」
小太りの男・柿原が、仲間達への非道に怒り、激情に突き動かされるように駆けだした。
徐々にその姿が歪み、4歩目で完全に人体構造を逸脱する。
細長のナイフを5本生やしたような右掌が、吸血鬼が黒い機器を持つ右手を強襲する。
「ちっ 犬野郎の仲間は、タヌキかよ」
吸血鬼は、傷を負った右手を押さえて、舌打ち。
そして、血しぶきと共に、電撃を瞬かせる黒い機器、スタンガンが弾き飛ばされ、ダムの湖面へと消えていく。
タヌキの獣人となった柿原は、敵の武器を奪った事で安心したのか、ひとまず倒れた仲間へと向かう。
吸血鬼は右手の傷を舐めると、忌々しげな舌打ちの上、凶相を浮かべて笑う。
「クソ獣人どもめ、吸血鬼に逆らったらどうなるか教えてやるよ!」
彼は、しゃがんで片膝をつくと、アスファルトに左手の平を当てて、念仏じみた陰鬱な調べを口にする。
── 左手に降る星の影
── 凝り固まりて闇と成り
── 夜を裂け
「──
灰色制服の吸血鬼が口にしたのは、
吸血鬼が用いる、闇の呪句だ。
怨唱の名のとおり、亡者が発する怨念の如き声を引き金に、灰色制服の左手の影が伸びて、ぐにゃりと蛇のようにしなる。
月明かりが作るわずかな影が、地面を這うように伸び進み、悶絶した仲間を引き起こす黒い獣人に忍び寄ると、瞬発的に鎌首を持ち上げた。
── ドス……っ、と音のない衝撃が、獣人の身体を揺らす。
「──……っ!?」
タヌキ獣人は、突如として胴体を斜めに貫かれ、身をこわばらせる。
凶器は、地面から生えた1.5メートルはあろうかという巨大な影の曲刃。
その影刃が幻のように消え去ると、タヌキ獣人は獣の口から血泡を吹きこぼしながら、悲鳴もなく倒れ込んだ。
「ははんっ、ざまーみろっ」
くつくつ、と嬉しそうに喉を鳴らす吸血鬼。
だが、勝ち誇るその顔に不意に影が差した。
「ん……?」
さらに、上から水滴が、一滴二滴と、滴り落ちる。
まるで涙のようなそれと共に、腹に響く声が降ってきた。
「── 俺は悲しい!
俺が弱かったせいで、後輩達を守ってやれなかった!」
「おい……っ
── おいおいおいっ
こいつはちょっと、反則だろ……っ」
吸血鬼は見上げて、思わず数歩後ずさる。
凶悪を誇った吸血鬼すら唖然とする程の巨影が佇み、見下ろしていた。
猿科の顔立ちに、漆黒の毛並み、野太い声に似合った、胸板と両腕。
水に濡れた全身の毛が、月明かりで艶やかに輝く。
『彼』が人間の頃に身につけていた作業服など、上下共に弾け飛び、パレオか何か巻いたのような有様だ。
前屈みで両腕を地面につけて1.5メートル。ゆっくりと立ち上がった姿は3メートル近い、巨大な獣人。
しかも、ただでさえ屈強なゴリラ系の獣人が、熊のような巨体なのだ。
「吸血鬼ぃ!
このやり場のない悲しみと怒りを、存分にぶつけてやろう!」
3メートルの巨体が、長く太い丸太のような腕を、天高く振りかぶる。見上げる立場からすれば、月に届きそうな錯覚すら覚える。
豪っ、と空気を唸らせる巨腕が振り下ろされる、ゴルフスイングのような横殴りの一撃。
「── ……がぁっ!」
敵の威容に圧倒されていた吸血鬼が、両腕でガードできたのは、幸運以外の何物でもないだろう。
岩でも粉砕しそうな一撃は、まるでトラックの衝突じみていて、大人の男を駐車場の端まで転がした。
獣人は、おうおうっ、と悲嘆の声を上げながらも、駐車場の端で悶絶する灰色制服に、ゆっくりと近づいていく。
吸血鬼は、迫る巨体に慌てて身を起こすが、酔っ払ったように足取りすら定まらず、ガードした両腕は力も入らない。
「くっそ、……痛え! 痛え!!
流石に、吸血鬼になってからも、こんなの喰らった事ねえっ
一発で両腕の骨がイカれやがった!」
「── なんて事だっ
後輩達の出血がひどい。
貴様は許しがたい。
だが、これ以上、構う暇もない。
覚悟しろ、吸血鬼っ!」
巨大な手で顔を覆い、嘆く仕草をする、ゴリラ系獣人。
彼は、悲しみの表情の中に、強い怒りを秘めた目を炎のように燃やし、両拳をつく前屈歩行でゆっくりと吸血鬼に迫る。
その迫力に、吸血鬼は空笑いのような、うつろな表情を浮かべ、左右に首を振る。
「くそっ
もう、ひとりでやるとか意地張ってる場合じゃねえな!
── じいさん、頼むぞ!」
灰色制服の男の声に応えたのは、穏やかな壮年の男声。
彼の後ろに、いつの間にか同じ制服を着た白髪の老紳士が現れていた。
「── はいよ、
場違いなほど柔和な表情をした彼が、パチンと指を弾くと、ザザっと、茂みや植え込みが揺れる。
さらに茂みから立ち上がり、姿を現したのは、銃器を構えた同じ制服の一団。
思わぬ集団の横槍に、ゴリラ系獣人は驚きの叫びと共に歩みを止める。
「── 軍隊!?
しかも灰色の制服!
お前達まさか、佐賀の国境部隊かっ!?」
「アイヤー、車が欲しかっただけなのに。
残念ネ、皆殺し、必要になったヨ」
ゴリラ系獣人の指摘に応えたのは、相変わらず温和な表情を崩さない、白髪の老紳士であった。
── 月下。
そこは、砕けた月が見下ろす、夜の世界。
表の世界に居場所のない、異能者と吸血鬼が潜む世界。
弱肉強食の世界とはいえど、すでに四半世紀が過ぎ、その中で頭角を現した強者達が、それぞれのルールを敷き、仮初めの秩序が築かれつつある。
そんな月下の流れに反し、いまだ秩序も法もなく、何度となく流血が繰り返される。
ここ九州は、まさに修羅の巷。
あるいは、現世の地獄だった。
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