§_b 幕間

017▽幕間~山間のダム(1)


 月明かりが照らす、夏の夜。

 『砕けた月』が、その残骸を流星の尾のように引き連れながら、山間から顔を出し、貯水ダムの湖面に映り込む。


 ダムの周回道路には、等間隔で外灯がともっており、県道に面した一角に広い駐車場があった。

 一番目立つ建物は、展望台を備えたレストランで、そばに公衆トイレや自動販売機がいくつも並び、観光客をもてなそうと待ちわびていたが、しかし、まるで人気はない。


 夜遅いせいか、シャッターの下りたレストランの入り口や、静寂の中ブーンと響く自動販売機の稼働音、さらには無駄に広いガランとした駐車場が、寂れた雰囲気を強めていた。


 そんな寂れた山間に、獣のうねるような排気音が鳴り響き、鋭い眼光のようなヘッドライトが近づいてきた。

 黒塗りの自動車が、爆音をまき散らせて、ダム展望台のだだ広い駐車場に入ってくる。

 駐車したのは緑茂る夏桜の、大木の陰になる位置だ。

 よくよく見れば、そこには他に2台、黒塗りの大型車と、青いスポーツカーが並んで止まっていた。

 入ってきたばかりの黒車が、ブルルンっと興奮した馬の吐息のような排気音を最後に、エンジンを止める。


 降車したのは、どこか怪しげな、黒ずくめの小太りの男。スーツや革靴どころか、中に着たワイシャツすら黒く、リーゼントの髪が整髪料でつや付いている。

 やましい事でもあるのか、キョロキョロしながら、近くに止まった青い車の方に近寄っていく。

 スポーツカーのウインドウを控えめにノックすると、ガラスがゆっくりと下がり、カーステレオの音と共に、タバコを持った男の手が出てくる。

 そこから響いてきたのは、からかい混じりの低い男の声。


「なんだなんだ、いつも遅刻してくるくせに。

 今日ばかりは、やたらと早いじゃないか」


 それに、少しむっとしながら、黒ずくめの小太りの男がたずねる。


「そんな事より、アレ。

 ちゃんと、持ってきてくれました?」


 答えの代わりに、パワーウインドウが作動しガラスが閉まる。

 青いスポーツカーのエンジンが止まり、低い声の主が車から出てくる。

 四角い顔立ちに濃いヒゲの男で、作業服をきた長身は肉体労働者らしいガッチリとしたものだ。


「焦るなよ。ちゃんと用意している。

 最近、人気が出たせいで売れ行きがいいからな、今回ばかりは手に入れるのが大変だったぞ。

 しかも、急に要るとか言い出しやがって」


 片手にぶら下げているのは、ファーストフード店の紙袋。それを目の高さに差し出し、ブラブラと揺らせて見せながら、もう片手で料金を請求する。

 小太りの男は、相変わらず落ち着きがない様子で、胸の内ポケットから細長の茶封筒を取り出し、渡した。


「まいどっ

 ……しかし、今回ばかりは流石に諦めると思ったんだけどな」


 作業服の男は、茶封筒の中をのぞき見て、さっと金額を確認すると、商品の入った紙袋を押しつけるように渡す。


「ちょっとしたバイトで、なんとか金が工面できたんですよ。

 臨時収入で、まとまった金が入って助かった。

 さすがにこれ以上、金抜いたらヤバイっす」


 小太りの男は、紙袋を大事そうに抱えると、袋の口を少し開けてみて、ふっと興奮気味の吐息を漏らす。


「なんだなんだ、まさかバレた訳じゃないだろ?

 だがまあ、用心に越したことはない。

 連中、こういう事には猟犬並に鼻がきくからな。感づかれたら、一環の終わりだぞ」


 高揚の最中に水をさされ、小太りの男は、不機嫌そうに口をとがらせる。


「冗談でもやめてほしいっす。うまくやってますよ。

 結構、気も使ってるっす」


 対して、作業服の男は、短くなったタバコを捨てて踏み消して、次の一本に火を付ける。


「そう言いながらも足を洗えないとは、因果なヤツめ」


「うまくやってる、って時こそ気をつけた方が良いゼ。

 好事魔多こうじまおおし、ってな」


 皮肉じみた声で格言を告げたのは、いつの間にか近寄ってきた三人目の男。

 こちらは、長髪と眼鏡が特徴の、ひょろりと細長い体格をラフな服装で包んでいる。


「ちっ、いちいち不吉な事いいやがって。

 今は仕事もプライベートも上手くいってるんだ。

 先輩の幸せを応援するのが、いい後輩ってもんだろ?」


「あんたごときに、先輩面されたくないな。

 一応仲間だから忠告してやってんだよ。

 あんた脇が甘いんだから、すぐに足下すくわれるゼ?」


 言葉と同時に、足が出た。

 長髪眼鏡の男のスニーカーが、小太りの男のくるぶしを軽く叩いた。

 足下に気をつけろという、ジェスチャーだったのだろう。


 しかし、小太りの男は、自分の黒いスラックス薄く汚れをつけられたのを見て、眉を寄せ、形相を歪ませた。


「── おい、テメぇっ」


「── ああんっ?

 誰がテメェだっ」


 一瞬で、空気が変わる。

 二人の間の温度が上昇し、乾いた空気に静電気が走り、火種と弾ける。


「── ストォォ~プっ!

 ストップだ!」


 作業服の男が、慌てて二人の間に体を割り込ませた。

 そして、双方の額を押さえるように、二人の頭に自分の手を乗せる。


「柿原、尾畑、いいな、どっちも手を出すな!

 俺の前で、つまらんケンカなんぞ許さん!

 ── 俺たちは友達だ。仲間であり、チームだ。

 同じものを愛し、情熱を共にする、同志だ。

 はい、復唱!」


 年長者の取りなしで、今まさに暴発寸前であった火薬が湿気て、火種はくすぶり、不燃焼の煙と消える。


──『俺たちは友達だ。仲間であり、チームだ。

── 同じものを愛し、情熱を共にする、同志だ』


 小太りと長髪眼鏡が、異口同音を渋々と、お経のように唱える。

 作業服の男は、それを満足そうに眺めた後、念を押すように口を開く。


「まったくお前達は……っ!

 顔をつきあわせればいつもこうだ。

 同じ事を何度も言わせるな、仲間内のケンカは禁止タブーだ。

 いいな?」


「はいはい……」

「わかってますよ……」


 痩身と小太りがほぼ同時に答えた。

 感情的になったばかりの後輩二人は、顔を合わせたくないとばかりに、背を向け合う。


「……全く、お前達は……

 仕方ない、こんな横破りをしたくはなかったんだがな。

 尾畑、こいつを頼む」


 男が、作業服の太ももの大型ポケットから、箱形の包みを取り出し、痩身の男に手渡す。


「いいんですか、こんなところで開封して?」


「……帰ってじっくり楽しもうかと思ったが。

 今がいい、やってくれ」


「……」


 作業服の男の指示に、長髪痩身の男が黙ってうなずき、黒い箱形車バンへ向かう。黒い車のエンジンを始動し、バックドアを上に押し上げると、何やら機材のスイッチをいじり始める。


「いきますよ、ミュージックスタート」


 痩身の男が、演奏ボタンを押すと共に爆音があふれ出す。


『── Choチョ~!!!

 ── テン!!!!

 ── ラァ~~~イブゥ!!!!!

 ~サクラサク夜の神宴かみうたげ~ 桜花絢爛おうかけんらんツアーFINAL in TOKYO DOME!!』


 黒い箱形車バンのバックドアの中には、貨物スペースの幅いっぱい、横幅約1.5メートルの特大モニターが金属バーで固定されている。

 そこに映し出されたのは、桜柄の晴れ着をモチーフとしたステージ衣装に身を包む、アイドルグループ。


 ライブ映像のタイトルロゴが消えると、そのまま演奏が始まる。

 作業服の男も、小太りの男も、長髪痩身の男も、三人とも画面に見入ったまま、リズムに合わせて小刻みに身体を動かしている。


 歌曲がサビに入ると、動きが顕著になる。


── 『ちょう! ちょう! Choちょー! Cho天使てょ~てんし!!』


 リズミカルに揺らめいていた男三人が、一斉にキレのある動きに変化する。

 右手、左手と胸の前に持ち上げ、両手でハートマークを作ると、さらに両拳を握りしめ、雄叫びと共に右拳を突き上げた!

 同時に、抑えきれない情熱が爆発する!


── 『うおおおおぉぉぉ!! Choちょお~! てんッ! Choちょお~! てんッ!』


 野太い男達の声が、夜の山間に響き渡る。


 奇行ではない。

 違法薬物の危険症状でもない。

 彼らの信仰を、女神アイドルに捧げているのである。


 彼らは、そう!

 同じアイドルグループを支持する『ファン』であり、

 買い支えるという決死のこころざしの下に集った『同志』であり、

 女神アイドルのためには艱難辛苦かんなんしんくもいとわない『信者』であった。


「新しいディスプレイだと、感動的なまでに鮮明だな。

 やっぱりBDブルーレイは8Kスーパーハイビジョン!」


「へー、このモニター新調したのか。

 尾畑、ちなみにサイズは?」


「65インチです。

 値段も、4Kとは比べ物になりません。

 ユキチーの麗しいお姿があざやかになるなら、金なんていくらでも出しますよ!」


「そんなにするのか……。

 相変わらず、うちのリビングのTVよりでけえな」


「ちっ、クソニートが!

 家の金使って、イキってんじゃねえよ」


「はぁっ、何言っちゃてるんですか柿原サンぅっ?

 ジジババが死んだら俺が相続するだけなんだから、先回りして使って何が悪いんですかねぇ?」


「自分で汗水垂らして働いた金で物を買う事に意味があるんだが、ねえ。

 まあ就職童貞で、おじいちゃんに甘やかされて育ったケンスケぼっちゃんには、わかんないかなぁ?」


「こっちは、財産管理っていう大事な仕事をしてるんですけどねぇ!

 マンションにしても土地の賃貸ちんたいにしても、黙ってて金が入ってくるほど、世の中甘くはないんでねぇ!

 ああ、先祖代々貧乏人の柿原サンには、金持ちの苦労ってわかんないデスねー?」


「なんだと、このガキ!

 ピーピー女みたいに泣かすぞコラ!」


「あん、誰が女みたいだコラ!?

 大体、あんた、年上ぶるくせにやる事なす事、全部半端なカス野郎じゃねえか。

 彼女と同棲しながらアイドルも追いかけるとか、意味わかんねえんだよ。

 男ってのは、惚れた女のために命張るもんだろうが!

 恋人か推しか、どっちかに絞れよ、ヤリチン野郎!」


 念のために説明すると、この場合の『推し』とは、いわゆる『推しメン』。

 アイドルグループの中で、自分が『いち推しするメンバー』の意である。


「テメェこそ、しに欲情するとかキモいんだよ!

 女神様アイドルをそういう汚れた目でみてんじゃねえよっ

 眼福っていう言葉のとおり、見ている事が幸せなんだろうが!

 俺はなぁ、そういうガチ恋とか推しアイドルと結婚したいとか、夢見がちな中学2年の女子みたいなヤツいっちゃん嫌いなんだよ!」


 ※注意:アイドルに対するファンの姿勢スタンスは諸説あり、これらはその一例です。

 他にも、娘を見守る父兄の気持ちとか、親戚のおじさんポジションとか、諸々あります。


「誰が女子だ!?

 頭かち割るぞ、この豚饅頭ぶたまん


「オカマ野郎め、泣かしちゃる」


 頭突きでもするかのように、にらみ合い、にじり合う、小太りの男と長髪痩身の男。

 怒りが高ぶれば、お互いに牙をむき、眼光に火が灯り、髪の毛すらざわめきだす。


 まさに一触即発のそこに、沈痛な悲鳴が飛び込んできた。


「── 俺は悲しい!」


 二人の衝突を寸前で止めたのは、野太い声。

 またも作業服の男だった。


「乾いた砂漠のような、潤いなきこの世の中っ

 やっとの思いでたどり着いた、オアシスにたまたま居合わせた、我々、哀れなケモノの子が3匹!」


 何やら劇的な身振り手振りで、高尚な事をのたまっているが、その絵面がひどい。


「── 例え、生まれ育ち、主義主張、あるいは種族が違えど、同じく灼熱の砂漠を渡りながら水場を求め、乾きを潤せるオアシスにたどり着いた我々は、同じ痛みをしる仲間といえよう!」


 作業服の厳つい顔立ちの、男気あふれる男の、その目と鼻から色々な汁が溢れかえっている。

 そのヒゲ面が人並み以上に毛深いため、色々な毛に男汁が絡まり滴って、もうそれは大変な事になっていた。


「── 俺たちは、ただただ、心の乾きを癒やしてくださる、アイドルという名の清泉の女神に感謝を祈ればいいだけなのにぃぃぃ!!」


 そんな絵面の強い顔面が、これまたすごい勢いで迫ってくれば、ちょっとやそっとのケンカなんて後回しになっても仕方ない。


「……うわぁあ、ちょっと休止タンマ

 大森さん、顔近づけるのカンベン! 鼻水つくってっ」


「今日は一段と、先輩の男泣きがすげえ……っ

 本気で汚え。

 いい大人がしていい顔じゃねえ」


 小太りの男も、痩身の男も、げんなり顔だ。


「ああ、どうして!

 お前達は、どうして!

 どうして、こうも無益に争うのか!?」


「い、いや、別に、無益な争いなんて、なあケンスケクン?」


「え、ええ、そうそう、俺ら仲いい先輩後輩ですよね、柿原サン?」


「お、おう?」


「あはははっ」


 一分前まで殺気をみなぎらせていた二人が、白々しいほどに笑顔で肩を組んだりしている。

 その必死の仲良しアピールが効いたのか、年長者・大森の激情も収まりつつあるようだ。


「あ、そうだ! 大森さん、そろそろ二番目のサビ来ますよ!」


「ほらほら、先輩! 『振りコピ』の準備しないとっ」


 ダメ押しに、二人で協力して話題をそらしたりもする。


── 『ちょう! ちょう! Choちょー! Cho天使てょ~てんし!!』

── 『いただきっ、とどろき、かがやきMAXっ!

 キラキラ全開ぃ、恋のCho天てょ~てん突破だああぁ!』


 男三人が一斉に、画面の中のアイドルグループと同じ振り付けを踊り始める。


 一番と同じく、胸の前でハートマークを作り、拳を振り上げる振り付けだ。

 その後、再度胸の前でハートマークを作ると、今度は前屈みとなり、その場足踏みのように足を上下しながら、腰を振る。

 この際にお尻でハート型を描くのが、二番のサビのポイントだ。


 フレーズの締めにハートマークを突き出しながらウインク。

 ── 無論、推しという神に信仰を捧げる所作なのだから、精一杯の笑顔である事は言うまでもない。


 これを、作業服の男・大森が、ヒゲ面に涙と鼻水まみれの笑顔で、流れるような熟練の手管で掛け声コールと共に行うのだから、もはや筆舌に尽くしがたい、すさまじい有様である。


 ── 多分、鬼でも逃げる。


「おうおう、丁度いいところで、丁度いい車持ってるじゃねえか。

 こいつは有り難い、いい拾い物だ」


 そんな宗教色イデオロギー特濃な魔空間に、第四の人物が割って入ってきた。

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