010▽ムーンストライク



 月が砕けて、すで四半しはん世紀が過ぎた。


 ── 『月』とは本来、するもの。

 はるか昔から、延々と繰り返されてきた自然現象。

 生と死、破壊と再生 ── そして、永遠と不滅の象徴だった『月』。


 それが、壊れた。

 ある日、突如として、破壊されていた。

 気がついた時には、既に欠落していた。

 上弦側の3割ほどが割れ崩れ、無数の破片が砕け散っていた。


 ── 月の崩壊。

 誰もが不滅と信じてきた存在が、何の前触れなく破損してしまった。

 その空前絶後くうぜんぜつごは、人々を打ちのめし、社会を混迷させた。


 夜空を仰ぎ、呆然と立ち尽くす者。

 涙ながらに神仏にすがる者。

 我先にと、避難を開始する者。

 政府や研究者の責任を追求し、また無能とののしる者。

 オカルトめいた学説や、神仏の教えを説いて回る者。

 予言や神話を根拠に、世界の終わりや人類の滅亡を主張する者。

 流言や社会不安から、自暴自棄を起こす者。


 まさに、世紀末の有様だ。


 新聞やニュース番組では、『月』の文字が席巻。

 社会不安、経済の低迷、失業、倒産、流通の停滞。

 食料や衣料品の不足、買い占め、略奪、暴動。

 非常事態宣言、軍隊の出動、戒厳令、抑圧への不満。

 ── 社会不安が、混迷にさらなる拍車をかける。


 天変地異。

 人心騒乱。


 四半しはん世紀前 ── 今から25年以上前の世界は、まさにそんな狂乱の渦中だった。


 日本も、アメリカも、ロシアも、アジアも、中東も、オセアニアも、アフリカも、ヨーロッパも。

 また、南極で最新機器を用いる観測隊も、太古と同じ生活を続ける先住民も。

 あるいは、民主主義も、社会主義も、先進国も、発展途上国も。


 すべからく、同様に。

 空を見上げられる全ての人々が、恐れ戦き、震え上がった。

 誰も彼もが、地球の最後だ、人類滅亡だ、と不安にあおられ浮き足だっていた。





 ▲ ▽ ▲ ▽



 だが、そんな状況は長続きしなかった。


 なぜなら、いつまで経っても世界の終末がからだ。

 『もうすぐ、もうすぐ』とお経のように繰り返された『地球最後の日』 『人類滅亡の瞬間』 『世界の終わり』 は、結局のところ来なかった。


 1週間が過ぎ、2週、3週と経っても。

 いつまで待っても、やってこない。


 1ヶ月、2ヶ月、半年、1年、と年月が経っても。

 その気配すらみえない。


 徐々に徐々に、人々は熱狂から冷めていった。

 確かに、月の崩壊は、有史以来の大異変だった。

 しかし、空も、海も、大地も、火山も、いままでと同じ様子で変わりがない。


 大量の隕石が落ちてくる事も。

 大津波が世界を洗い流す事も。

 大地が裂け大陸が大変動する事も。

 大噴火のマグマで焼き尽くされる事も。


 何一つとして、起こらない。

 いつになっても、予兆すら見えない。


 ── そもそも、地球に最も近い星である、月の影響は非常に大きい。


 その最たる自然現象は、海のしおの満ち引きだ。

 干潮かんちょう満潮まんちょうは月の引力により引き起こされ、また母なる海で起こる大規模な水位の変化は、生命にさらなる多様性をもたらした。

 月の引力は、動植物の生活リズムや、産卵や出産などのタイミングにさえ影響を与えていう説もある。


 だからこそ誰もが、月の崩壊が、地球に破滅的な影響をもたらすと信じて疑わなかった。


 ── しかし現実として、月が砕け半ばほど欠けた所で、地球上に大きな変化は無かったのだ。


 大異変から数年間、学者や研究者達が必死の調査に明け暮れた結果によれば(そもそも発表された時点で、年月が過ぎすぎていて、大半の人間は聞き流すだけで大きな話題にもならなかったが)潮の流れ、海の満ち引き、大規模な大河で起こる逆流現象、それらに伴い行われてきた動植物の習性や行動 、それらは今までとは少しずつ変わっていき、やがて今と全く違う物へと変化してしまうと言われている。


 おそらく 『千数百年ほど先』 には。


 『百年以内』、遅くとも 『数百年以内』 と言われる地球温暖化の海面上昇よりも、ずっと悠長ゆうちょうな話であった。


 結局の所、月が砕けたところで、日々の生活にまるで影響がない。

 そういう『現実』が徐々に明らかになると、誰も彼もが 『月』 から興味を失っていた。

 人々は、天変地異という『非日常』から、つまらなくも平穏でありふれた『日常』へと戻っていた。


 こうして、世界中が月から関心を失った。

 そして、その無残な姿に慣れていった。

 誰もが、砕けた月と、まき散らされた破片の群れを、見慣れていった。

 夜空に輝く歪な形の月が、当然の物として馴染なじんでいった。


 10年20年と時が流れるにつれ、 『もともと月は丸かった』 などという年寄りの昔話に、半信半疑の顔をする世代も出始めた。


 それはつまり、月本来の姿を忘れ始めたという事なのかもしれない。


 ── だから、だろうか。

 こんなうわさ話が、まことしやかにささやかれるようになったのは。


 ── 『満月』 に祈れば、願いがかなう、と。




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