009▽顔合わせ後



 新しい役所の上役と顔合わせが済むと、アヤトはすぐさまフードを脱いだ。

 流石にこの季節にロングコートみたいな物を着込んでいると暑いらしく、前を開いてバサバサと自分であおぎ風を送る。


 そして、先ほどからの疑問を口にした。


 「お役所って、こんな時期に配置換えするんだなぁ。

 前の課長さん、どこ行ったんだ?」


 神経質な上司が消えてから、彼の隣に立つ美人公務員は答えた。


 「長崎の佐世保らしいわよ。 しかも、他の省庁へ出向だって。

 官僚候補キャリアは大変よね?」


 半ば人の不幸を楽しむような口ぶり。

 一般職員ノンキャリアで良かったと言わんばかりのセイラに、アヤトは首を傾げる。


 「大変って言っても、お役所同士なんだろ。

 どこ行っても、そんなにやる事は別に変わらないんじゃないの?」


 「あのね、縦割り行政って知ってる?

 省庁どころか部署が違えば、もはや別の会社みたいな物よ。

 そうね ── 例えるなら、30代半ばで畑違いの会社に転職したようなものかしら……?

 あるいは、経理から営業に配置換えとか、そういうイメージかしら」


 「はあ……」


 セイラはセイラで、分かりやすい説明をしようと心がけているのだろう。

 だが生憎、アヤトのようなバイトの経験もない就労猶予期間モラトリアムを満喫中の大学生には、その分かりやすい例えでさえも分からない。


 その様子を見て取ったのか、セイラは諦めたような表情の後、話題を変える。


 「ところで、本当に大丈夫なの。

 いくら急いでいるからって、夜に<天祈塔バベル>に侵入するなんて……<対象Cクリチャー>は吸血鬼と同じで、基本夜型なんでしょ?」


 心配というより、目に見えた無茶をする弟をいさめるような語調だった。

 それに対して、アヤトは危機感のないぼんやりとした口調で返す。


 「大丈夫だろ。 万が一のための頭数があるし」


 「そうは言っても、基本的にメイドの子達は戦わないんでしょ?

 じゃあ、アンタあわせて、実質の戦力は3人じゃない」


 セイラは銀髪メイド2人を一瞥して、アヤトと両脇を固めるバニーガールの3人に視線を戻す。


 「だから 『3人も』 いるじゃねえか」


 アヤトはどこか億劫おっくうそうに答え、大きなあくびを一つ。


 「……ちょっと、仕事前にヤりすぎて眠いとか言わないでよ?」


 セイラは半眼で、とげのある言葉をく。


 「あのなぁ……ただの献血を、エロい事みたいな言い方するなよ。

 ……単に、試験勉強の徹夜続きで、最近あまり寝てないだけだって」


 アヤトは、先ほど散々バカ学生扱いされた事が尾を引いているのか、目をそらしてボソボソと答える。

 しかし、セイラとしてはそれが別のやましさから来るように見えたのか、半眼が鋭くなった。


 「── 本当に?」


 まったく、いくら思春期だからってサルじゃないんだから、とか。

 だいたい疲れてるならあんな事しなければ、とか。

 他人の目がある所であんな風に、アンアンアンアン、とか何考えてるのかしら、とか。

 しかも同じ車の中で遠慮無くサカってくれて、聞いてるこっちが恥ずかしくなるわよ、とか。

 何か、小声でぶつぶつ呪いのようにつぶやいている。


 それを見て、ほう、とどこかとろけるようなため息を吐くのは、銀髪メイドの優しげな顔立ちの方、白雪。


 「セイラさんて、本当にお上手ですよねぇ。

 わたくしも見習わなくては」


 「何の話よ?」


 「ツンデレが。

 とても、お上手ですよ」


 「…………は?」


 「わたしくしもかねがね、日本人女性の作法と言いますか。

 内面的な美しさの追求という方面には、見習うべき物があると思っていましたので」


 「……………っ」


 よく分からない事を言って微笑む白雪と、突発性の偏頭痛へんずつうに耐えるような顔のセイラ。


「ほらほら姫百合、お勉強ですよ。

 これが奥ゆかしい『ツンデレ』振る舞いです」


「姉さんが言っていた、殿方に魅力的と思わせるための、ヤマトナデシコの所作ですか。

 なるほど、感銘いたしました」


 アヤトは、女性達のかしましい会話を聞き流しながら、あくびついでに空を仰ぐ。


 「……ああ、ねむい……」


 夏の青空と高い白雲が、ほとんど朱色に塗りつぶされ、空の端からは夜の闇すら迫っている。


 そんな夕闇に沈む空には、太陽に代わり<骸月がいげつ>が ── もう30年近く前に砕け散り、今やアルファベットの 『E』 の字形の残骸と、砕石帯アステロイドのような細かな破片だけを残す月が ── 輝き始めていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る