§03 バベルと骸月

007▽仮設テント



 夕暮れの住宅街に、赤い光がちらついていた。

 赤色灯を回転させるのは消防カラーのジープ型車両で、スピーカーを震わせながら、ゆっくりと街角を巡回していく。


 『 ── 現在、この地域ではスパイラル隆起りゅうき現象が発生しています。

 今のところ隆起りゅうき現象に伴う地震、天然ガスや高熱蒸気の噴出などの異常は確認されていません。

 各地域ごとに避難誘導を行っております。

 区役所職員や消防隊員の指示に従い、慌てずに避難所に移動して下さい。

 なお、避難所へ移動する際には、必ず貴重品や防災グッズ等を忘れずに、家族で固まって移動してください。

 繰り返します ── 』


 画一的な家屋というか、似たような家並みが続くのは、新興住宅地の特徴だ。

 都市部の郊外にある閑静なベッドタウンは、思いがけない事態に沸き返っていた。

 道路のあちこちに赤色灯や、通行止めの黄色い鉄柵が設置され、警察や消防隊員が慌ただしく駆け回る様子が方々で見られる。


 その騒動の中心から近くにある公園に、仮説テントが組まれ、対策本部が設置されていた。


 「経過はどうなっている?」


 白い仮設テントの甲高い声を響かせたのは、七三分け髪の神経質な細目男。


 カツカツカツ……っ、とボールペンの先が、苛立たしげにリズムを刻んでいる。

 白い横幕で囲まれた手狭なテントの中は、何個か長机の上にノートパソコンや書類が雑然とならぶ事務所の様相で、そこに二人の男が向かい合っていた。


 一方は、先ほどの発言の男。横柄な態度でパイプイスに腰掛けた、三十代ほどの上司だ。ワイシャツの上に白衣を羽織っている。


 もう一方は、気弱な顔で立ち尽くす、年上の部下。五十に近い中背の男が、宇宙服じみた、白く厚い防御服をまとっている。

 部下の、気弱そうな壮年の男性は、上司の鋭い目付きに気圧されながらも口を開いた。


 「依然、西地区の3丁目と、5丁目の避難が遅れており……その、例の自然保護団体の会員がいるらしく、係員に執拗しつように説明を求めているようで……」


 白い防護服を着込んだ部下が歯切れの悪い報告をすると、上司の男は忌々しそうに舌打ち。


 「死にたいのか、愚民共ぐみんども……っ

 あのバベルの ── あの化け物どものドンパチに巻き込まれれば、人間なんぞ、すぐに挽肉ミンチだぞ」


 「そ、その……ば、バベルの危険性は、何度も説明しているのですが」


 「──ああ、分かってる。

 『スパイラル隆起現象りゅうきげんしょう』 の原因は、マグマや地殻の異常や天然ガス噴出だと公言を踏み切った、その副作用だな。

 それなら地震と同じうような前兆があるだろうと、余震よしん一つ起こっていないならすぐにどうかなる事はないと、高をくくってやがる訳だ。

 ……何が 『自然と環境に優しくしましょう』 だっ

 何が 『かけがえのない地球と生命を大事に』 だ!

 そんなに木だの獣だのが大事なら、猛獣に喰われてクソになって木のやしにでもなってしまえ!」


 「あの……」


 火が付いたようにわめき始めた責任者に、防護服の中年は困惑気味に声をかける。

 すると、返ってきたのは、吐き捨て、切り捨てるような台詞。


 「もういい。

 警官隊を連れて行って、公務執行妨害か、抵抗するようなら特災法とくさいほうか治安維持法違反あたりで、しょっ引かせろ」


 「し、しかしそれでは、団体本部と関係議員から抗議や横槍が……っ」


 「知るか! 後始末は本庁のイスにかじりついてる、脳腐れどもにでも押しつけておけっ

 特災法とくさいほう15条勧告かんこくの避難命令を出して何時間経つと思ってるんだ!?

 これ以上待てるか!」


 そう投げやりに指示をだすと、怒声を浴びた部下が駆け足で退出する。

 彼は、眉間を押さえて、イスに倒れかかるように腰を下ろした。


 「……こんな時だけは、楠木がうらやましくなるな……」


 そうぼやき、書類の散乱したデスクからプラスチックホルダーにはめ込んだ紙カップを拾い上げると、冷め切って酸味の増したコーヒーに口をつける。


 ── 一口飲んだその瞬間、タイミング悪く、携帯電話が鳴った。

 彼は慌てて口の中の苦汁を飲み込んで、着信の名前を見る。

 と、顔が再び険悪になった。


「……もう一方の化け物が着いたか」


 呼び出し音を鳴らし続ける携帯電話を片手に、カップ一杯の冷めたコーヒーを一気飲みして、舌打ちを一つ。

 テントの天幕の合間から外を見れば、夕暮れに赤に、夜の黒が混じり始めていた。


「夕暮れまでに到着が『間に合わかった』のか。

 あるいは、わざわざ魔のこく、『夜に合わせてやってきた』のか。

 ── 果たして、どちらのつもりなんだろうな……」


 うんざりとした口調でつぶやき、乱れたネクタイを直しながら携帯の通話ボタンを押し ── そして、若い官僚候補キャリアは臨時の対策本部である仮設テントを後にした。


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