§02 彼らの主従関係

005▽食堂トラブル


 ── バンっ、と。


 ドアが勢いよく開き、冷房の効いた室内に、ムワァッとした外気が流れ込む。

 誰もが思わずそちらを注目し、そのまま喧噪けんそうに満ちていた食堂が静まりかえった。


 ── 丼を持ち上げたまま、呆然としている者。

 ── 友人との歓談を中止して、唖然としている者。

 ── 席を立とうとして、腰を浮かせたままの格好で制止している者。

 ── 自動販売機のスイッチを押したままで振り返り、凝視している者。


 まるで、時間が停止したかのような光景だ。


 その停止した人混みの中を、2人の女性がかき分けて行く。

 学生のたまり場であり、憩いの場である食堂に、突如と現れた女性2人の異分子が静寂の原因だった。

 最高学府の自由気ままな学生生活、猶予期間モラトリアムを満喫して、時折やや奇抜なファッションに傾倒する者も少なくないが、そんな大学生にしても2人の異分子は異常の部類だった。


 異常で異彩。


 誰もが目を奪われ、息を呑む程の美人で有り ──


 ── そして、声をかけるのを躊躇われる程の、奇抜なファッションに身を包んでいる。


 頭には、アンテナ付きのインカムのようにも見える、2本の兎耳風の飾りのついたヘッドセット。

 付け襟の代わりに、首元にはリボンのついたチョーカー。

 ビスチェのように肩紐のない、ワンピース水着風のレオタード。

 脚線をあらわにする、網タイツ。

 ヒップラインに可愛らしく飾られた、綿毛風の尻尾。

 腰の高さまでスリットの入った白地のロングジャケットや、レザー生地のロングブーツ。

 バニーガールの正規フォーマルから外れた部分も少なからずあるが ── しかし、誰もがバニーガールと認識する格好をしていた。


 「ば、バニーさん?」

 「え、何? コスプレ? 何かの撮影?」

 「風俗とかソッチ系?」

 「いやいや、どこかの学園祭の宣伝とか、そんなのじゃない?」


 そんな衆人の憶測や、興味の視線を全く無視して、風俗店の制服か、あるいはイベントコンパニオンのような服装の2人組。先頭をいくグラマラスな美女は悠々と、続く幼顔の少女は恐る恐ると、人混みをかき分けていく。


 彼女たちの向かう先には、4人掛けのテーブルを1人で占領して、居眠りをしている男子学生の姿があった。

 彼が突っ伏すテーブルの上は、参考書やノート、コーヒーの空き缶、牛乳の小パック、眠気ざましのミントのタブレット清涼粒菓、消しゴムのカス、文房具 、うどんの丼などが散乱して混沌としていた。

 こんな夏休み終了直前の時期に、こんな風に切羽詰まった様子の生徒なら、何があったか改めて聞くまでも無い。


 ―― 再試だ。

 赤点を取ったのだ。

 つまり、期末試験で及第点の60点に満たなかった、落ちこぼれだ。

 正直、このレベル ── 『最終学歴が高卒では心許こころもとないので、とりあえず大学を出ておこう』 という程度の学生しかいない低レベルの大学で再試なんて受ける奴は、よほどのバカか、まるで講義に出ていないかのどちらかだ。


 その 『よほどのバカ』 かもしれない 男子学生に近寄ったコスプレ美人2人は、慣れた様子で散らかったノートや文房具を片付け、あるいは食べかけの容器や缶を処分していく。手早く片付け終えると、年上の方のバニーガールが、居眠り学生を優しく揺すった。


 「マスター、お仕事よ」


 何度か耳元で囁くと、男子生徒は寝ぼけ眼で顔を上げる。


 「……ぁあ……もう朝か?」


 その寝ぼけた声に答えるように、年上の美女が横からかがみ込む。

 ── いや、腰を曲げて覗き込むような体勢で、突如、そのまま唇を重ねたのだ。


 突発のキスシーンに、周囲から『うわあ』 とか 『うおお』 とか、感嘆やら嫉妬やら呆れやらが入り交じった歓声があがる。


 そのいきなりの大胆なスキンシップに唖然とし、遠巻きに見守る観衆の中、たっぷりと10秒以上。


 ── チュッ、チュッ……

 と、顔の位置をずらし、唇を深く交え、粘着質な音。

 さらに、

 ── んっ んんっ……

 と、甘い吐息や呼気が漏れてくる。


 明らかに口の中で舌が絡まり合うような、まさに粘膜接触というべきキスが交わされていた。


 「── うふふ……おはよ」


 長い黒髪の麗しいバニーガールが身を離して、妖艶な微笑み。


 「お、おう……紅葉?」


 小柄な男子大学生が、まだ少し寝ぼけた声を上げる。

 そのわずかな時間で、紅葉と呼ばれたバニーガール衣装の女は、テーブルとの間に身体を滑り込ませ、彼の膝の上に座る。


 彼、アヤトが、寝ぼけ眼のまま、何となく脚の上に座った女性の腰に手を回すと、彼女はさらに密着してくる。


 「ん? なんか ── 」


 「── んん……っ」


 訝しむ男子生徒の言葉を、紅葉は上から覆い被さるようなキスで遮った。


 「ええ、2セット目!?」


 困惑混じりの叫びは、傍らに立つ幼げな方のバニーガール。

 彼女は、再び始まった熱烈な情愛行為を前に、目のやり場に困ったように赤い顔を逸らす。 

 再度、音を立てて何度もついばむようなキスが繰り返される。


 ようやくそれが終わると、『ああぁ』 と、観衆一同の溜息が漏れた。

 思いがけず始まった劇的なシーンに、皆、思わず息を止めて見入っていたようだ。


 羞恥で顔を赤くしていた気弱そうなバニーガールの少女が、行為を終えた男子生徒に深々と頭を下げる。


 「……お、おはようございます、マスター」


 「── あ、ああ……おはよ……

 あれ、ここ、学食か……?

 俺、あのまま寝てた? じゃ、なんで紅葉と、椿が……?

 んん……?」


 バニーガールから連続キスを受けた男子生徒は、まだ眠気が抜けてないのか、あるいは幸せで夢心地なのか、どこかぼんやりした表情。

 その様子には構わず、バニーガール2人は、妙に背の低い男子生徒の両脇を抱え、連行するような強引さで連れ出す。


 「じゃ、セイラが待ってるから急ぎましょ?」


 まるで、気づかれる前に事を済まそうとばかりの、慌ただしさ。


 「── では、皆さん、バイバーイっ

 勉強がんばってねー」


「あの、あの……。

 皆さん、大変お騒がせしました……っ」


 いきなりの非日常的光景に呆然としている観衆に向けて、大人なバニーが愛嬌たっぷりに手を振る。

 続いて、大人しそうな少女が、赤いウサギ耳風の飾りがついた頭を下げて、跳ねて逃げるような勢いで去って行く。


 慌ただしく、学生食堂のドアが閉められた後、


「隊長が、あちこち首突っ込んで、ウロウロするからだと思います。

 一時間も、二時間も待たせてるんですよ」


「あら、仕方ないじゃない。

 マスターがどこに居るか、全然分からなかったんだからぁっ」


「これ、絶対みんなに怒られます。

 姫百合副隊長なんて、プンプンだと思います……っ」


「マスターの事あれだけの人数に聞いて回ったのに、あまり知ってる人がいないなんて、意外よねー。

 こんな、存在感の塊なのに、ねー」


「……やたら頭まわらねえんだけど。

 何でお前らが、大学に……? 寝ぼけてるのか、俺……」


「気にしない、気にしない♪」


「やっぱり、私もお説教なんでしょうか……

 やだなぁー……」


 そんなやり取りが、徐々に遠ざかっていく。


 彼女たちの足音が完全に消えてから、食堂に残る生徒達は、ようやく呪縛が解かれたように、呆然としたつぶやきを漏らす。


 「……何あれ?」

 「さあ……」


 衝撃のあまり凍り付いていた空気がようやく溶け始め、徐々に大学の食堂はいつもの騒がしさを取り戻していった。

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