003▽学生食堂その2


 「くそ……言いたい放題いいやがって」


 アヤトは憤然としながらも、食堂出入り口辺りへ、投げつけた消しゴムを回収しにいく。

 肩を怒らせ、苛立ちまぎれに地面を踏みつけるような足取り。

 数日連続での徹夜状態にもかかわらず、テスト勉強ははかどっておらず、また肝心の再試自体も手応えはいまいち。

 そこに、まだまだ夏休み堪能中の友人がからかいに来れば、腹も立とうというものだ。


 食堂のドアを蹴飛ばしかねない、八つ当たりの衝動を、ぐっと抑える。


 さらにガラス扉に映る自分の姿を見れば、苛立ちと共に、気分が沈んでいく。


 「ああ、くそぅ……っ 一体どうやったら、150超えるんだよぉ……」


 茶髪と天然パーマの頭がドアのどの辺りをあったかを思い出しながら見上げ、ため息。

 口の悪い友人達のどちらもが、少なくともアヤトよりも頭一つ分は優に高く、具体的に数字を聞いた覚えはないが、身長180センチメートル近くは確実だろうという上背だ。

 対して、身分証明書を隠せば、映画館に中学生料金で入れそうなアヤトである。

 ここ数年で、親類に立派と言われた覚えがあるのは、父親似の太い眉毛くらいだ。


 「……もしかして。

 みんな俺が知らないところで、背の伸びるヒミツの何かを食ってるんじゃねえの……?」


 ── ちなみに、この時のアヤトの脳裏に浮かんだのは、紫色の高麗人参的な『何か』だった。多分、アルコール的な液に漬けて、出たエキスを飲む系だ。


 そんな風に、今のアヤトが頭をひねった所で、一夜漬けの連続で疲労困憊ひろうこんぱいな脳みそには、妙な事しか浮かんでこない。


 アヤトは、トイレの手洗いで牛乳まみれの手と顔を洗うと、あくびをかみ殺しながら、食堂の端にある自動販売機コーナーに向かう

 いくら高い学費を払っている私立大学の食堂兼カフェテラスとはいえ、調理メニューが出される時間は限られている。クラブ活動の生徒か卒業研究にいそしむ上級生くらいしか登校しない夏休みなんかは特に短く、昼12時前後の2時間しか営業していない。

 その代替なのだろう、食堂の一角にはカップ麺や菓子パン、スナック菓子などを扱う自販機がいくつも並んでいた。


 アヤトは、隣のスナック菓子販売機に目移りしながらも、食後のひと勉強のための眠気覚ましに缶コーヒーを買うため、ドリンク系の自販機にコインを投入する。

 その時に、横を通りすがる人影に、視線が引っ張られる。

 女だった。夏らしく、涼しげな格好をしていた。


 ── 胸元の開いた黄色のワンピース

 ── 豊かにはずむ胸と、魅惑的な谷間


 そういった物に一瞬目を奪われ、その不注意で、指先から硬貨が1枚滑り落ちた。


 「── あっ」


 逃げ出したコインは、金属音と銀の煌めきを跳ねさせながら、自販機の下へと転がり込む。


 「……はぁ……っ」


 アヤトは面倒さと苛立ちの混じったため息をつき、億劫おっくうそうにしゃがんで自販機の下を手探りする。しかし、コインは勢いよく奥に転がり込んだのか、手探りしてもかろうじて指先に触れるだけで、手が届きそうにない。


 「ああ、面倒くせえなぁ……」


 アヤトはうんざりとした口調でつぶやき、こそこそと、まるでやましい事でもするように、左右を見渡し、人目が向いてない事を確認する。

 ── 『もぉ~やだぁっ』『ははは、ばっかだなぁ』、とかイラっとくる会話をするカップルが通り過ぎるのを待ち、アヤトはしゃがんだまま目をつぶった。

 そして、自販機の下に隠れている小動物のペットでも呼び出すように、人差し指で招くように動かす。

 それに応えるように出てきたのは、ネズミや子猫ではなく、転がる銀色の硬貨1枚。


 「…………」


 アヤトは、まるで意思があるかのように落とし主の元に戻ってきたコインを拾い上げ、左右をキョロキョロと挙動不審に見回す。

 そして、慌ただしくコーヒーを買ってポケットにねじ込むと、急いで自分の席へ向かう。


 まるで、初めて万引きを犯した中学生のような態度だ。本人の意図に反して、全くもって不審極まりないのだが、人気の少なさが幸いし、特に彼に注目している者はいなかった。


 アヤトは、慌ただしく自分の席に戻ってイスに腰を下ろすと、安堵の吐息。


 「普通の生活じゃ、本当にこのくらいしか使い道ねえよなぁ……この能力」


 自虐じみた言葉をぼやきながら、缶コーヒーのプルタグを引いて、コーヒーをあおる。


 「── ぶ……っ!?」


 ひと口含んで、途端に顔をしかめた。思わず吐き出したくなる苦汁を、なんとか飲み下す。


 「げえっ 無糖ブラック!?

 ……うあぁ……間違えたぁ」


 アヤトは缶コーヒーのラベルを確認して、意気消沈とため息を吐く。


 「本当に、ろくな事ねえな、今日は……」


 アヤトは、無糖コーヒーの缶を忌々しそうにテーブルの端まで遠ざけて、ふて腐れるように机に突っ伏した。


「なんで俺って、こんなにも頭悪いんだろう……自分でイヤになる……」


 大学構内の食堂の中は、雑談や外のセミの声で適度にざわめいていて、眠気を誘う。

 そこに徹夜続きの疲労と満腹感が合わされば、もはや睡魔に抗う事も難しい。


 ── すぅー……すぅー……と、緩やかな寝息が響きはじめた。





//── 作者コメント ──//


2020/01/13 変更点

 ・ストーリー順番変更 002 → 003

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る