002▽夏休みの学生食堂



 ── ミーン ミン ミン ……


 八月も終わりの頃。

 エアコンの効いた室内にも、セミの鬱陶うっとうしい鳴き声が届いてくる、晩夏ばんかの昼下がり。


 私立わたくしりつ九州経営大学きゅうしゅうけいえいだいがくの学生食堂は、夏期休暇かききゅうかの期間中ともあって、閑散かんさんとしていた。


 長期の休校期間中にわざわざ大学にやってくるのは、運動部員か、あるいは卒業研究を進める4年生くらいだ。

 さらに、午後3時手前という半端な時間帯も相まって、学生食堂の中には、コーヒーや缶ジュース片手の学生がポツポツとテーブルを囲んでいるだけ。

 人気のまばらな学食内には、学生の雑談の声よりも、空調の音の方がよほど響いていた。


 その中で、だいぶん遅めの昼食を取っていた小田原アヤトの耳に、聞き慣れた声が飛び込んできた。


「── うわっ まじでアヤトがいる」


「ほら、やっぱりな」


 彼が、汁が半ばほど残った発泡スチロール丼を下ろすと、テーブルの向かい席に見慣れたニヤケ顔が二つ。

 なお、アヤトの今日の昼食メニューは、学食隣に生協売店で購入した即席食品インスタントうどんだ。


「いやー、流石にまだ夏休み中だけあって、学食も人少ないなぁ」


「よぉ、赤点王!

 今回は三獲得ハットトリックですか?」


 いつの間にか学生食堂にやってきたのは、大学の友人二人が、テーブルの向かいに腰掛けつつ、そんな軽口を叩く。


「──おおっ!

 松下、沢田っ」


 アヤトは、男友達2人のからかい半分の言葉を聞き流し、歓声を上げながら立ち上がった。


「お前達も再試だったのか!?

 水くさい奴らだな、もっと早く教えろよっ

 よかったぁ~……っ!

 今回、赤点取ったの俺だけかと思ったぜ」


 同世代より一回ひとまわり背の低い大学生・アヤトは、ともすれば涙でも流しそうな感激具合だ。

 長い外国暮らしの中、久しぶりに同郷の人間にあったかのように、歓迎の握手さえ求めてくる。


 しかし、彼の同性の友人2人は、暑苦しい歓迎の握手から逃れると、小馬鹿にするように鼻で笑う。


「バカ、お前と一緒にするなって。

 今日はサークルで来ただけだって」


「そうそう、赤点なんて取るわけないだろ、小田原じゃあるまいし。

 今から夏休み最後のお楽しみ、合宿の反省会だぜ」


 ニヤニヤと意地の悪い笑顔で、自慢するように告げる茶髪と天然パーマの男二人。

 アヤトは一瞬、同類ができたと喜んだだけに、がっくりと項垂うなだれた。


 さらに彼は、友人2人に楽しげな予定を聞かされ、忌々いまいましそうに舌打ち。


「── ちっ

 天文研が、こんな昼間から何するんだよ。

 星なんてまだ、全然だろ。

 だいたい『天体観測するサークル』なんて、いちいち言い訳くさいんだよ。

 実際には、暗がりでエロい事するのが目的で、まともに星なんて見てないだろ、お前らっ」


 アヤトの、やっかみ混じりの悪態。

 しかし、全くの的外れとは言えない程度には、彼の男友2人は軽薄な雰囲気をしていた。


 彼らは、やけに芝居がかった仕草で、頭を振ったり、肩をすくめたりし始める。


「おいおい、伝統ある我が天文研になんて事を」


 「まあまあ、仕方ないさ。

 小田原みたいな、物理的にも精神的にも『ちっちゃい奴』には、天文学という広大なスケールは理解できないのさ」


「誰が、『ちっちゃい』だっ!」


 大学生男子としては無視できない悪言に、激しく反応する。


「よしよし、良いか中学生?

 俺たち天文研は山のキャンプで、大自然の偉大さ、宇宙の神秘に接してだな」


「誰が中学生だ!」


「まあ聞け、反抗期まっさかりのチビ」


「チビ言うな!」


「いいから聞けよ、短小。

 今日もまた、無限に広がる宇宙への夢とかロマンとか、そういう事を語り明かそうと ──」


 日焼け顔が妙に爽やかな男達が、2人揃って両手を広げ、夜空か宇宙の広大さを表現しようとする。


 しかし、アヤトは今まで以上の勢いでみつき、長講釈ながこうしゃくさえぎった。


「―― 『短小』はマジでヤメろぉ!

 『チビ』は事実だとしても、『短小』はヒボー中傷だ!」


 アヤトが男児だんじ沽券こけんをもって、断固として訴える。

 彼は、鼻息荒い口調のまま、テーブル向かいに座る男2人を厳しく指差した。


「大体、何が 『宇宙の神秘』 だよ。

 お前らが興味津々なのは 『女体にょたいの神秘』 の方だろ」


「おお!

 アヤトが『女体にょたいの神秘』なんてムズカしいコトバを使うなんて!!

 まるで、バカじゃないみたいだ!?」


「── おい沢田っ」


 大仰に驚くピンクTシャツの友人に、アヤトは眉を跳ね上げる。


 すると、すかさずもう一人の男友達が追撃する。


「ほら、中学生の頃とか。

 覚えたての難しい言葉を、すぐ得意げに使ってただろ?」


「── だから中学生じゃねえ!」


 アヤトの、怒りが多分に含まれたツッコミ。

 ひどい口撃こうげきもあったものだ。


「あと、こっちが必死に再試の勉強してる時に、バカなメールばかり送るのも止めろ!」


 アヤトがそう言って、『思い出すのも腹立たしい』とばかりに携帯端末スマートフォンのメール画面を呼び出せば ──


 ── 『マリちゃんマジ可愛い!』

 ── 『あーみんの水着がたまらん! 今日は来てよかった!!』

 ── 『鮎の塩焼きマジうめぇっ キャンプで食う飯はサイコー』


 ……等々などなどetc...エトセトラ


 夏を満喫する、画像付き・映像付きのメールがずらりが携帯端末スマートフォンの画面に並ぶ。


 大学生最初の長期休暇である、夏休みも終盤に差し掛かった今日この頃。

 ── かたや、長期休暇の最中でも再試験の勉強に苦しむ者。

 ── かたや、青春を謳歌おうかし夏休みを満喫まんきつする者。


 その格差をわざわざ見せつけるような写真の添えられたメールだ。

 そんな鬱陶うっとうしい近況報告が、迷惑スパムメール並に送られてくる。


 その上こうやって、再試のために夏休み出校している日にまで冷やかしに来られれば、アヤトのような気が短い者でなくとも、皮肉の一つでも言いたくなるだろう。


 しかし、どうもひまを持て余しているらしい男2人は、芝居くさい口調のままで言い訳を続ける。


「は~あ。

 『せめて気分だけでも味あわせてやろう』という、この親切心がわからないかねー」


 天然パーマの男が、メガネのブリッジを中指で押さえながら、ため息と共に頭を振る。


「嫌がらせの間違いだろ」


 アヤトは、けっ、と吐き捨てる。

 苛立ちのまま、ストローを思いっきりブッ刺し、紙パックの牛乳をひと飲み。

 そして、会話を続ける。


「大体、反省会だか何か知らんが、どうせただの呑み会なんだろ?」


「当然だな。

 というか真面目に反省する反省会なんてないだろ、普通」


「おいおいキミタチ、失礼だヨぉ!

 そもそもお前、呑み会とか言うなよ、聞こえが悪いだろぉ」


 天然パーマとメガネの男は、至極当然と頷くが、もう一人の男は『いやいや』と片手を振って否定した。

 そして、彼はこう続ける。


「コンパだよコンパぁ。

 サークル内の友好を深め、人間関係を円滑にする、立派な活動だよぉ。

 大体、こんな天気の良い日に、部屋の中に籠もってる方が不健康なんだよぉ。

 青い空、白い雲、美しい海岸! 気の知れた仲間達とバーベキューしながら和気藹々としながらさっ

 それで、ちょっとアルコールが入れば身も心も開放的にだなっ

 具体的には、脇とか、背中とか、胸元とかな、太股とかなっ!

 ── なぁっ!?」


 言いながら、徐々に鼻息の荒くなってくる友人の片割れ。


 アヤトは、呆れの混じったため息を吐き、責めるように告げる。


 「おい、まさか今からか?

 お前らまたこんな、お天道様てんとうさまの高い内から酒盛さかもりとか、何考えてんだ!?」


「── はい出ました!

  『オテントウ様』 っ」


 パン、と手を叩いて笑ったのは、茶髪とピンクのティシャツの男。


「── 『お天道様てんとうさまが高い内から~』 とか、昭和の人間か、お前。

 相変わらず、無駄に堅苦かたくるしい奴め……

 ただでさえお前は、色々と残念キャラなんだ。

 その上、そんな面倒くさい事ばかり言ってたら、いよいよ女にモテないぞ?」


 苦い顔で、やや真剣に苦言をていしてきたのは、天然パーマと黒縁くろぶちメガネの男。


「余計なお世話だ!

 ってか何だよ、『残念キャラ』って!?

 それに、俺だってそれなりにモテるんだぞ!

 もう女なんて両手の指に余るっていうか、もうそれどころか両手からあふれすぎて、これ以上は良いってくらい ── 」


 アヤトは声を大にして反論する。


 しかし天然パーマの男は、その熱弁をさまたげるように、正面から身を乗り出すと、アヤトの両肩をつかんできた。


「 ── 小田原ぁ、現実を見ろぉっ!

 ゲームの中の女子は、画面から出てこないんだぁ!!!!!」


 とても強調記号5個!!!!!も使う台詞せりふでもない、内容の薄さだった。


「勉強もスポーツもダメで、チビの上、女の子にもモテなさ過ぎて、変なゲームにはまってるなんて……アヤト君かわいそぉ~~~~」


 アヤトの大言たいげんを、茶髪の友人は女子の声を作りながらも、白い目を向けてくる。


「ゲームの話じゃねえよ!」


 不名誉な憶測おくそくを否定しても、友人達の視線の冷たさは変わらない。


「じゃあ、アニメかマンガか……」


「くっ……なんて哀れなヤツなんだっ

 ── ついでに言うと、そんなに頑張って牛乳飲んでも、今さら背は伸びないぞ?

 逆に、あんまりカルシウムとりすぎると尿結石にょうけっせきって病気になるぞ、俺の叔父おじさんみたいに」


 友人の片割れから、あからさまな嘘泣きと共に、微妙な心配をされてしまう。


「うるせーっ

 牛乳好きなんだよ、放っとけっ」


 アヤトが顔を赤くして言い返した。

 すると、すぐに天然パーマの男が、茶髪の友人を止めに入る。


「── おい、沢田っ

 なんて事言うんだ、お前という奴は!?」


 天然パーマ男は、太い黒縁メガネの位置を直しつつ、真剣な表情で不用意な発言をした友人を非難する。


 「小田原が、友達がぁ!

 18歳で成長期が終わるって話を聞いて、一生懸命カルシウム摂取せっしゅしてる涙ぐましい努力を!

 病気とか、無駄な努力とか、時間と金の浪費ろうひとか、貧しい国に募金した方が100倍マシとか、そんな風に言うな!」


 「いや、言ってねえよ。オレでも、そこまでは」


 ピンクのシャツをつかまれ、非難された茶髪の男が弁解するが、天然パーマの男の熱弁は止まらない。


 「19歳の誕生日までのあと数ヶ月に、これからの未来が全てかかってんだぞ!

 お前だって、大学生にもなって、いまだに中学生とか小学生扱いされたら、傷つくだろ!

 そう、傷ついてるんだよ小田原は、常に!

 ──『あの~、お客様ぁ、こちらは18歳未満の方はお買い上げ出来ません(笑)』 みたいな事にぃ!」


 「── ブゥ~~~っっ……!!?」


 ── どこで見てた!? と、問いただしたくなるような事を言い出す悪友の言に、アヤトが思わず牛乳を吹き出した。


「お前ちょっと、他人ひとの気持ちとか、デリカシーとか、考えてからしゃべれっ」


 さらに続ける天然パーマに、『お前が言うな!』と叫びたいアヤトだが、気管支きかんしに入ったのか、むせ返ってしまう。


── げほっげほっ、となかなかせきが収まらない。

 その息苦しさと、密かな悩みと望みを言い当てられて、顔は真っ赤だ。

 この不機嫌な落第生にとって、女子中学生にさえ負けかねない背丈は、言われ慣れたコンプレックスだが、だからと言って黙って聞き流す筋合いもない。

 今すぐにでも怒鳴りつけたいのだが、呼吸すらままならない。


「見ろぉ、沢田ぁ!

 ── アナタの心ないコトバで、泣いている人だって居るんですよぉ!!」


 天然パーマ男が、ムダに興奮エキサイトして、どこか聞き覚えのあるフレーズを叫んだりする。


 もちろん、アヤトは泣いている訳ではない。

 せて、き込んでいるだけだ。


嗚呼アァッ、アヤト君のテーブルの前に、白い雫がたくさん!

 これがココロのナミダ!?

 ハートハァートゥの傷からこぼれる血は、白いんだぁ!!」


 愕然として頭を抱える、ピンクTシャツ男。


(お前も、乗ってこなくていいっ)


 アヤトは、声を発しようにも口がせきで手一杯なので、心の中だけで突っ込んでおく。


「ごめんな!

 ごめんな、アヤト!

 お前がそんなに、公衆の面前で白い液体をいっぱいこぼすなんて!

 俺、お前がこんな、所構ところわずブッカケるなんて、思いもしなかったんだ!」


(── ヤメろ!

 変なカン違いされそうな発言、止めろ!)


「── ちなみに、俺が見た時は。

 駅内店舗えきなかの薬局で『薄さ0.02ミリ』の『フィット感抜群』の謎の箱を会計している時だった……」


(── ヤメろ!

 デリケートな買い物のこと細かな報告、止めろ!)


 そんなアヤトの願いもむなしく。

 悪友2人が、こちらが言い返せない状況を良いことに、この上なく好き勝手にしゃべり倒す。


「……そうか。

 その時ちゃんと買えていれば、こんなお漏らしをせずに済んだのか。

 ちゃんとしたカバーがあれば、『誤射』が防げたのにぃ……!」


「沢田、仕方ないさ……

 中学生が興味本位で手に取ったら、普通の店員は止める。

 むしろ、ちゃんと保健体育の授業で教えない事が、現代教育の敗北なんだよ……」


「……そもそも使う相手もいないのに、買ってどうするんだろうな、松下」


「初使用前にひとり練習するとか、色々あるだろ。

 まあ、実演の機会があるかは、わからんが」


「……コイツ不器用だから、変な付け方して、外れなくなったりとかしてそう。

 で、泣きながら、『おかぁさ~ん!』って」


「── やめろ、沢田!

 これ以上、小田原を笑わせるな!

 これ以上、牛乳かれたら流石さすがに困る!

 もうテーブルの上、いっぱいいっぱいなんですよ!」


 ちなみに、アヤトが肩を震わせているのは、笑いではなく怒りである。

 想像の中とはいえ、オモチャにされ過ぎて怒り心頭なのだが、発散しようにも呼吸がままならない。


「ゲホっゲホっ……ゲホっ……グフっ」


 気管支が大変な事になっているアヤトには、ただただ耐えるしかない悪夢のような時間だ。


 ── アヤトも

 ── 体は小さくとも九州男児

 ── 涙くらいへっちゃらさ


 アヤト、心のポエムである。

 真っ赤な顔でせきを抑えながら、現実逃避を試みていた。


「はぁ……はぁ……はぁ~」


 アヤトが、ようやく呼吸が整い、布巾ふきんでテーブルを清掃していると、また友人らがバカな事を話し始める。


「ちなみに、コンドームの語源は『発明した医者の名前』という説が有力らしい。

 子孫は未来永劫、羞恥プレイだな」


「……なんでもかんでも、発見した人の名前付けるの、止めようぜ。

 病気の名前とか、特にさ」


「さて、話にオチがついたから、部室でも行くか」


「そうだな。

 これ以上からかうと、イジメてるみたいだし」


 アヤトがテーブルにこぼした牛乳をき上げる間も、腕組みして手伝いもせず、ただただ去っていく男2人。


 アヤトは、さすがに見かねて、その背中を呼び止める。


「……お前ら一体、ここに何しに来たんだよ?」


「え、ヒマつぶし、的な?

 松下がなんかヤケに行こう行こう言うから……」


「何か話題を仕込もうと思ったら、予想以上にイイ画像が撮れた。

 これを酒のサカナに、今日の反省会で盛り上がるぜ!

 ── 期待に応えるヤツだよ、お前はっ」


 黒縁メガネの方が、片手に携帯端末スマートフォン、もう片手で親指を立てる。


「て、め、え、らぁ ──」


 最後まで、おちょくるような言動を繰り返す二人に、アヤトの堪忍袋かんにんぶくろが限界を迎えた。


「── ああ、もう、この!

 勉強の邪魔だぁ! さっさと帰れ!」


 アヤトは、消しゴムを投げつけ、むせ過ぎてれかけた声でえる。


「ははっはぁっ まあ、頑張れよ」


「再試落とすと、今度は留年だぞ?」


 男2人は、アヤトの怒声を笑って聞き流し。

 さらに、投げた消しゴムをも、巧みにかわし。

 最後まで、からかうような事を言い続けながら、学生食堂を出て行った。





//── 作者コメント ──//

2019/10/08 変更点

 ・内容改訂、ストーリーの大筋には変わりありません


2020/01/13 変更点

 ・ストーリー順番変更 001 → 002


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