第35話 名指揮官とは
今の社会はすべて組織で構成されていますね。
たとえば学校なら校長先生、教頭先生、担任の先生、会社なら社長、副社長、専務取締役、常務取締役、部長、課長。
組織が何かを決めるときには必ず次の3つの方法を取ります。
1 トップの独断
2 下部組織の意見の中からトップが選択
3 多数決
みなさんも友達同士でなにか決め事があったら多数決で決めることが多いですね。
今の日本は民主主義が永く続いていますから参加者全員の意見を尊重した多数決が多分「公平」に思えるかもしれません。
しかしそれは命に別状のない「平時」の手段なのです。
いかに「公平」であってもその回答が「正解」とは限りません。戦争や地震などの「緊急時」にはこのような多数決を取っていたのでは時間的にも間に合わないし正解にたどりつくのも難しいものなのです。
私の名取短艇隊600キロ回漕の物語は実は今の防衛大学校でも「指揮官の功罪」という授業で成功例として学生に語られています。
つまりあのような切迫した環境において隊員の気持ちを一つにしてまとめ、困難な作業に従事させることができ生還させた事例は世界でも非常に珍しいことなのです。
それはひとえに指揮官の瞬時の決断力と統率力が優れていたと教えているのです。
しかし指揮官は迫り来る「目に見える敵」に対しては目標がはっきりしているので部下に戦闘心を起こさせるのは簡単ですが「フィリピンまで600キロ」という目に見えない敵に対してはなかなか勇気を奮い起こさせることが難しいのです。
同じ防衛大学内の授業で指揮官の判断の悪い例として挙げられているのが1902年、日本陸軍が仮想敵国ロシアに対しての雪山訓練を行った「八甲田山 雪中行軍」です。
これはまさに「目に見えない敵」に対して部隊が全滅した例です。
「八甲田山 雪中行軍」は青森県の2つの陸軍部隊がそれぞれ青森市と弘前市という違う場所から出発し、豪雪の八甲田山中で出会うはずだったのですが、人数が多かった青森第5連隊が210名参加して199名が凍死のために死亡、かたや少人数で長距離を歩いた弘前第31連隊は全員無事で完全踏破したというものです。
全滅した青森第5連隊は秋田県出身の神成大尉が指揮官で210名を率いて「雪中における軍の展開、物資の輸送の可否」を研究するために2泊3日の予定で青森市を出発しました。
一方の弘前第31連隊は福島大尉が指揮官で37名の少人数を率いて「雪中行軍に関する服装、行軍方法等」を研究するために11日の行程で弘前市を出発しました。
2つの連隊の指揮官はともに優秀でこの行軍を成功させるためにお互いに夏から八甲田山に入り木の高い部分に紐をしばり目印をつけたり、山の姿を描きとめたりと準備を怠ることはしませんでした。
しかし不運なことに準備万端であった青森第5連隊では出発が近づいたある日、全く山岳経験のない山口少佐という上官が「絶対指揮に口を出さない」という条件で見学と言う立場で参加することになったのです。
最初は口を出さない約束であったにもかかわらず四方何も見えない白銀の世界で不安になったのか自分の拙い考えを出すようになり、指揮系統を狂わせてマイナス20度の吹雪の中で210名の部隊は立ち往生したのです。
さらに、せっかく夏から入念な計画をして案を練った神成大尉の意見を全く無視してまちがった進路をとりついに部隊は全滅したのでした。
一方、弘前第31連隊は、福島大尉が自分の判断で責任を持って夏から山の形や道などの実地調査を行い、その結果行軍も全行程を一人で判断して指揮できたので成功したのです。
このように指揮官たるものは部下の命を握っている責任があるのでどんな状況でもあわてずに冷静な判断を下さなければなりません。
話を戻しますが、カッターでの回漕中われわれの命を握った小林大尉の瞬時の判断力と全隊員に納得させた姿勢は尊敬に値します。
もしあの場で一般常識的に沈没海域にとどまっていれば全員飢えと暑さで死亡して行方不明となっていたに違いありません。
そして夜のみとはいえ13日間も、食料もなくあてのない回漕を維持できたのも小林大尉の人徳と隊員に飽きささないようにクイズを出したり、昼間は海に浸かって海水浴を許したりした「息抜き」のおかげであったと確信します。
今日本の経済はバブルのあとの後遺症がたたって回復の兆しすらありません。
かつて経済世界一の日本の姿は過去のものとなって久しいです。
これは指揮官たる経済を担っている企業のトップと政治を担っている政治家に問題があるからではないでしょうか?
有名な上場企業ですら目先の利益を追求するために不祥事が相次いで起こりそのたびにテレビなどで謝罪するトップの姿をよく見かけるようになりました。
また政治の世界でも政策がころころ変わり「朝令暮改」現象が見られますし外交においては国民の生命・財産より他国の顔色を伺うような風潮が見受けられます。
今は緊急の判断を必要とする「戦時」ではありません、ゆっくり最良の方法を考え実行できる時間がある「平時」です。
どうか企業や政治の代表者の方にお願いいたします。
大切な多くの部下や国民の生活を預かる指揮官として責任をもって間違いのない舵取りをしてください。
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