第34話 外川軍医 中尉

帰ってこの報告を椰子の実の倉庫を仮の宿舎として使用していた隊員に聞かせると全員が起き上がって


「よし!今日はごちそうだぞ」


「腹いっぱい食いまくるぞ」


と大喜びしました。


しかしその日の夕食はなんと何も具が入っていないうすいおもゆだけでした。


「何だこれは!」


「これがごちそうか?ふざけるな!」


「海軍に食わすめしはないってわけか!」


よく「食べ物のうらみは怖い」といいますが、全員が期待した分だけ怒りが大きく、今にも爆発しそうな雰囲気でした。


全員の不平不満の中、陸軍の食糧事情が悪いためにこのような献立なのかと思い念のため陸軍部隊が食べている夕食を見ると魚や肉や野菜がたくさん盛り付けられたごちそうが並んでいました。


この光景に頭にきた私はさっそくさきほどの外川軍医のところに抗議に行ったのです。


このときは部下のために真剣に怒ることを決意し、場合によってはぶん殴るつもりでした。


「おい、外川軍医この食事の待遇の差は何だ!我々は全員13日間何も食べていないのだぞ!貴様は我々を殺すつもりか!早くまともな飯を出せ!」

と大きな声で抗議する私を軍医は制しました。


「松永大尉、お怒りはごもっともです。

しかしよく聞いてください。今すぐに陸軍の兵士と同じものを食べられると思うならどうぞ食べてください。そのかわり全員すぐに死ぬことになりますがそれでもいいのですか?」


意味がわからない顔をして突っ立ている私に向かって軍医は続けて言いました。


「たしかに腹一杯食べたい気持ちはよくわかります。しかしあなたたちは13日間まともな食事を何も食べていない状況なんです。あなたたちは気づいていないだけであなたたちの体は現在、重傷者と全く同じ状態にあるのです。重傷者の胃袋といものはすでに弱りきって何も受け付けなくなっています。ですから胃袋に一番抵抗の無いおもゆにしてあるのがわからないのですか!」


この言葉を聞いて正直私は恥ずかしくなりました。


私は責任上、部下に腹いっぱいおいしいものを食べさせてやりたい一心で抗議したのですが、専門の医者から見ればわれわれはまさに死ぬ寸前だったのです。


小さくなっている私に向かって軍医は笑いながら

「松永大尉、まあそんな暗い顔をしないでください。毎日回復の度合いにあわせて徐々にいいものを出すようにしますから心配しないで大丈夫ですよ」

と言いました。


このとおりを隊員に伝えると全員が

「俺の胃は大丈夫だからよこせ」


「腹が減って死にそうだ」


との意見に私は自分の13歳のときにチフスにかかった経験とその回復期に同じような食事療法をしたことを交えて熱心に説得したら全員がしぶしぶながら納得してくれたようです。


軍医が言った約束どおり日ごとに食事の内容は徐々にごちそうに近づき1週間後には他の陸軍の兵士と同じ肉や魚、野菜が並んだ献立になりました。


その後私と小林大尉を含む士官6名に海軍司令部から東京に帰還命令が出て2式大艇という飛行機に乗って内地へと帰還しました。

  

沈没から13日の漂流という苦楽を分かち合った部下と別れるのはつらかったのですが命令ですから仕方がありません。


「小林大尉、松永大尉みなさんお元気で」


「また内地でお会いしましょう」


ひとりひとりと握手をして後ろ髪を引かれながら私は飛行場に向かいました。


部下の手を振る姿に向かって


「みんなわれわれだけ先に帰ってすまない。元気でな!」


と心の中で私は答えました。


内地に戻った私は葛城という名前の空母勤務を経て山口県岩国航空隊の通信長に任命されて同地に赴任しました。


そしてここで広島の原爆を経験して8月15日の玉音放送を聞き終戦を迎えたのです。

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