第33話 着岸

昭和19年8月30日、巡洋艦名取短艇隊は13日間、小さなカッター3隻で東京・神戸間の距離に匹敵する600キロをエンジンの力を借りずに人間の力だけで漕ぎきった瞬間であった。


私、松永市朗大尉はこの様子を陸地に到達できた喜びより大切な隊員全員を無事フィリピンにつれて帰れることができた安堵感で涙をこらえながら見たのであった。


「みんな最後まで信じてくれてありがとう」


おもわず独り言をもらした私に上官の小林大尉の笑顔が振り向いた。


「よし!負傷者以外全員整列!」


一同がふらついた足取りで砂浜に整列しました。


隊列の後には今まで乗ってきた三隻のカッターが波で洗われているのが見えます。


「ただいまを持って名取短艇隊の任務を終了する!ご苦労!」


私の顔を見た小林大尉は笑顔で

「松永大尉ご苦労」と敬礼をしながら言ったのです。


過度の栄養失調と睡眠不足でほとんどの隊員が椰子の木陰を選んで横になって寝る枕元に私は残った乾パンを公平に分けて置いていきました。


それが終わって桟橋のカッターを見守る私に同じ海軍の外川軍医と名乗る中尉が話しかけてきました。


「わたしはこの地の陸軍に呼ばれて今日ここにあなたたちを迎えに来ました。もしよろしかったら私があなたたちの担当医になることをお許しください」


地獄に仏とはこのことで心も体もボロボロのわれわれにとって医療の施しをしてくれることに何の反論もありませんでした。


その後私は宿舎や食料でお世話になるであろう陸軍の司令部に挨拶に行きましたが2キロほどを歩くその足取りはふらふらでした。


司令部の門で衛兵に敬礼して中に入ろうとしましたが13日間で塩と風でボロボロになった海軍の制服にまるで幽霊でも見るような驚いた顔をしていたのが印象的でした。


その後多くの陸兵にじろじろ見られながら司令官の部屋に案内された私は敬礼しながら


「海軍大尉の松永市郎です。ただいま日本海軍名取短艇隊帰還いたしました」


と簡単に沈没からの経緯を報告しました。


ボロボロの軍服姿の私が報告するのを受けた陸軍の軍医は最初非常に驚き

「松永大尉ご苦労。よくその体力でここまでがんばった。すぐに隊員全員に宿舎と夕食を用意させるので現場で待機されたし」

と答えました。

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