第32話 漂流14日目 8月31日
夜中の12時を過ぎたころ小林大尉が注意深く陸地を見つめてつぶやきました。
「月が明るいのが気になるがそろそろよかろう」
そして大きな声で
「総員につぐ、各自衣服をあらため上陸用意。名取短艇隊発進!」
この声の後は全員の顔が一度に明るくなり白い歯もみえるほどでした。
もちろん今更あらためるような衣服はありませんが全員「心」をあらためました。
しかし30分ほど漕いだ後
「ダッダッダッ」
という船の音が接近してきて全員がおもわず首をすくめて警戒しました。
敵の船ならもう戦う気力はありません。
万事休すです。
しかし特徴あるエンジンの音で友軍とわかり全員が大声で叫び助けを求めました。
「おーい、助けてくれー」
「こっちだー」
「おーい」
この船は陸軍の10人乗りの哨戒艇で、声を聞きつけて大きく手をふるわれわれのほうにゆっくりと近づいてきました。
「やった、助かった」
「陸軍の船らしい」
「地獄に仏だな、まったく」
全員が涙目で陸軍の船を迎えました。
まさしく180名が「生」を掴んだ瞬間です。
私と小林大尉は、敬礼しながら陸軍の哨戒艇に入り、船長に今までのいきさつを話してカッター3隻を引っ張ってもらうよう頼みました。
「了解しました!」
話を聞いた船長は驚きとともにわれわれの要求を快諾してくれてフィリピンのスリガオという町までロープでつないだわれわれを曳航してくれたのです。
「やったー、もう漕がないで済む!」
「本当か?」
「助かった!」
今まで亀のような速度でしか体感しなかったカッターが、曳航されてかなりのスピードが出たので風が気持ちがよかったです。
あくる朝われわれはついに陸軍の桟橋につきました。
接岸前に小林大尉から
「陸軍部隊にはずかしくないよう、全員正装。軍記を正して接岸するように」
と最後の注意があったのちにわれわれ3隻のカッターはほぼ同時に桟橋に接岸しました。
どこにそんな力が残っていたと思うくらい何人かが桟橋から飛び降りて、砂浜に抱きつき何度も何度も頬擦りをして砂の感触を確かめ合いました。
「砂だ!」
「夢ではないのか?」
「やったぞ!」
「陸地だ!生き残れたぞ!」
「よかった よかった」
13日間の絶食で体力が弱った者と怪我をしているものを迎えにきてくれていた陸軍の兵士が抱きかかえるようにして全員がカッターから降りることができました。
もう水分も残っていないはずなのに誰の目にもうれしさのための涙が光って見えたのです。
このときに私はいよいよの時のために手紙をしたためて海に流すつもりでいたラムネの瓶を「もう必要ないな」と思いそっと砂浜に捨てたのを覚えています。
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