第29話 漂流11日目 8月28日



「見ろ!椰子の実だ」


「どこだ?」


「あそこだ!」


「本当だ!椰子の実が浮いているぞ!」


船の前方に丸い椰子の実1つが浮いているのが見えました。


波の間に上下して見え隠れしていたものがカッターの横を通り過ぎていきます。


昨日の蝶々といい今日の椰子の実といい確実に陸地のにおいがします。


しかし安易に喜びそうな情報を出してもあとで落胆した時の落差が大きいことが全員わかっているので全員が無言のままで静かに流れ去っていく椰子の実を目で追いました。


昼間カッターの底で休んでいた私に17歳の若い兵士2人がぼそぼそ語っているのが耳に入りました。


「おいこのままだとわれわれは栄養失調になって死ぬかもな」


「ああ、何も食わずに重労働だからな」


「若くして死にたくないな」


「本当だ」


その言葉を聞いた私は起き上がって


「おいお前達、親指を見せろ」

と言った。


2人は自分達の会話が聞かれたことを知って恐縮しながらそっと親指を私のほうに差し出しました。


「よし、つめの根本に三日月が見えている。この三日月が見えている間はまだまだ栄養失調ではない」


というとそのうちの1人が


「はい!祖父からも同じような話を聞いたことがあります。がんばります」


このころから私自身も


「本当にフィリピンにたどり着けるのか?」


「カッターの方向は間違ってないのか?」


と疑問に思いだしましたが、首を横に振って


「指揮官の俺が弱気になってどうする。小林大尉に賭けようと言ったのはこの俺だ」


ともう一度深呼吸して全員に

「がんばれ! フィリピンまで後もう少しだぞ」

と声をかけました。

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